「メイド服が好きだから」 -3-
「さて、では……次の試験に移りましょうか。ネイサン」
会話を切り上げ、ギルバートはネイサンに指示を出す。頷きで応えたネイサンは、ロウを含めて全員の志願者を連れて、邸宅の中へと戻っていく。
向かったのは、邸宅の二階の廊下。一定間隔で開け放たれた扉があるその場所は、普段はほとんど使われることがない、一部の客室が並ぶエリアだ。
「今度はこちらで、本日到着されるお客様が部屋を使うという想定で、掃除をしていただきます。客室は五つになりますので、二人一組で一部屋を担当してください。組分けはこちらから発表します。アイリーンさんとサラさん、お二人はこちらの部屋を」
そうして、ネイサンが名前を呼び上げていき、客室を順に示す。
どの部屋も、ほぼ同じ広さと作りになっている。調度品は、天蓋付きの大きなキングサイドのベッド、テーブル、ソファ、キャビネットなどなど。置いてある種類自体には差がないが、調度品の色や雰囲気が、部屋によって大きく変えられているのが特徴的だ
この邸宅全体としては、華美な雰囲気はなく、マホガニーの木目を生かした、ダークブラウンを基調にしている。上質ながらもシックで落ち着いた雰囲気だ。しかし、例えばロウの担当になった部屋には、白と金の華やかな装飾がふんだんに用いられている。
その部屋ごとのテイストの差異は、あえて作り出されたものだ。邸宅を訪れた者の趣味趣向に合わせて、使う部屋を変えるためである。
「最後に。メルランさんとロウさんはこちらの部屋に。箒や雑巾など掃除に必要なものは予め客室に置いてありますが、そのほかに必要なものがあれば別途僕にお声がけください」
「それでは、はじめ」
ネイサンが説明を終えるのを見届け、始まりの号令だけはギルバートが行う。そのよく通る声を聞き、洗濯の時と同様に、志願者たちがキビキビと働き始めた。
志願者たちは皆、掃除を日常的に行なっている。また協調性もあるようで、どの部屋のペアも、特に揉める様子もなく、作業を分担して行なっていた。問題は、この邸宅には彼らの家と比べて、圧倒的に高価なものが揃っているということだ。
客室の扉は、すべて大きく開かれたまま固定されており、ギルバート、リリー、ネイサンの三人は、廊下を行き来しながら五つの客室を見て回っていく。その途中で、リリーが志願者の一人、アイリーンに慌てた様子で声をかける。
「ちょっと待ってちょうだい。それを水拭きしないで」
彼女は今まさに、水を含ませた雑巾で、艶やかに表面を仕上げられた木目の美しいテーブルを拭き上げようとしていた。
「そのテーブルは蜜蝋でのワックスがけで仕上げられているんです。不必要な水拭きをすると、逆に傷んでしまいます。柔らかな布巾で、塗装に傷をつけないように拭いて、埃をとる程度で大丈夫ですから。同じ仕上げがされている家具も、同じように扱ってください」
「す、すみません!」
アイリーンは背筋を正し、リリーに向けて深々と頭を下げる。リリーはすぐに、大丈夫だからと応えてそばを離れた。だが彼女の指摘の声は、他の部屋にいる志願者たちの耳にも届いていた。
そしてそのことによって、ほとんどの志願者の動きが、目に見えて鈍くなる。彼女たちは自分の無知な行動によって、調度品を傷つけてしまうのではないか、そのことで指摘されたり、評価を下げられたりするのではないかと、恐れはじめてしまったのだ。
そんな中で、動きの変わらない者が二人いた。ロウと、彼と同部屋を担当しているメルランである。実は今回の組分けは、先におこなった洗濯の、作業完了までが早かった者順に並べて、平均的になるように組まれていた。作業がもっとも早かった者ともっとも遅かった者がペア。次に早かった者と、次に遅かった者がペア、ということである。
洗濯では、ロウがもっとも作業が遅かったので、つまりメルランは、洗濯のノルマをもっとも早くこなした者だということだ。彼女の歳は三〇。栗毛色の長い髪をきっちりとアップにまとめていて、少しきつい印象はあるものの、できる女という雰囲気に満ちている。面接で聞いたところによると、彼女は農民ではなく、町の酒場で働いているとのことだ。
今までの実技試験の流れを見て、ギルバートたちの中に、採用に至るのはメルランで決まりだろうという共通認識が、半ばできかけていた。
「ここはもうすぐに終わるから、任せてもらって大丈夫よ」
「そうか、じゃあ俺はついでに、廊下でも掃除してくるかな」
メルランとロウが言葉を交わし、ロウは廊下に出てくると、そこにいたネイサンへと声をかける。
「お客が来る想定なら、ここの廊下も掃除して構わねぇか?」
「ええ、もちろん。よろしくお願いいたします」
そうしてネイサンに快諾され、ロウは本来のノルマにはない廊下の掃除までを済ましてしまったのだった。
「本日の実技試験はこれにて終わります。皆の働きぶりをもとに、午後には採用者をお伝えします。本日の働きに感謝し、昼食を用意しておりますので、どうぞお楽しみください」
全員の掃除が終わると、ギルバートは試験の終わりを告げた。
ネイサンに連れられ、志願者たちが廊下を移動していく。
この邸宅には二つの食堂がある。一つは主人であるエヴァンが使用する食堂。もう一つは客人がきた時に使用する、最も広く豪奢な大食堂。
しかし、使用人たちはそのどちらも使うことがない。使用人たちが食堂として使用するのは、使用人の憩いの場として作られた使用人ホールである。
今回志願者たちが利用するのもその使用人ホールになるが、食事は邸宅で抱えているコックが作っている。あくまでも賄いになるため、エヴァンが口にしているような料理にはならないものの、農民であれば普段口にできないような、美味な食事が用意されていた。
リリーを含む他の全員が使用人ホールへと移動したのを見送って、ギルバートは一人、自分の執務室へと向かった。手には、試験中にリリーとネイサンが所見を書き記していた紙がまとめられている。
ギルバートはデスクにつくと、それらの所見の一つ一つを確認して吟味していく。誰を採用するかを考えると、一位はメルラン、二位はロウという結果が浮かび上がって来る。
リリーとネイサンは、メルランよりもロウの働きぶりを高く評価していたが、ギルバートの頭には、やはりメイドとしての採用であれば女を採用するべきだという考えが残っていた。ロウの戦闘力の高さを手放すのは惜しいが、実際のところ、メイドに戦闘力はいらない。
ギルバートは、メルラン採用の旨を発表した上で、再度ロウには兵士団に入団してくれないかと、打診をすることを心に決めた。
そして、彼がしばらく後に執務室を出た時だった。
ギルバートの視界は、二階の廊下を、足音もなく歩く人影を捉えた。すぐに角を曲がって姿を消した者の後を追い、足早に廊下を歩く。
そして辿り着いたのは、先ほどの試験として掃除を行った、客室のある一画であった。僅かに開いている客室の一つを覗き込み、ギルバートは眉を寄せる。
そこには一人、ドレッサーへ向かうようにして、ロウが立っていた。
「このようなところでコソコソと、いったい何をしているのですか」
厳しい声を発すると、ロウはハッとしたような表情で振り向いた。そして、すぐにバツの悪そうな表情を浮かべる。ギルバートは彼の表情に、ひどく落胆した気持ちを覚えた。様子からして、ロウがこの客室に盗みに入ったところであると推察したのだ。
ロウは懐に入れていた、金の装飾がされた小さな手鏡を取り出し、ギルバートへと差し出す。それを受け取りながら、ギルバートは深いため息を漏らした。その手鏡は、間違いなく客室に備え付けられているものである。
しかし、続いたロウの言葉に、ギルバートは目を丸くした。
「見つかる前にこっそり戻そうと思って来たんだが……すまない、メルランが盗んだその時に気づいて、止められたら良かった。どうも俺が廊下に掃除に出た時に盗んだようでな」
「これを、メルランが? あなたはただ、返しに来たのですか」
「そうだ。俺は足音を立てずに歩く術を得ているし、見つからずに返せると思ったんだが、あんたもさすがだな。説得したら彼女も反省していたし、見逃してやってくれねぇか。当然盗みは悪いことだが、ちょっとした出来心で死刑になるのは、あまりにも酷だ」
「当然、盗みで死刑になどはしませんが……」
「そうなのか? 俺のいたセルジア領では、どんな些細なものであっても、領主のものを盗んだら死罪だった。当然、領内のありとあらゆるものは領主のものだから、基本的には盗みをしたら全て死罪だ。いい領主なんだな、エヴァンって奴は」
領主であるエヴァンを呼び捨てにするロウの様子を、ギルバートは改めて正面から見つめる。
もちろん、ロウの今の言葉のすべてが、盗みに入ったところを見咎められて、咄嗟についた嘘である可能性はある。しかし、ギルバートの目には、ロウが嘘をついているようには見えなかった。それに、もしこれが嘘であるならば、あまりにもお粗末だ。メルランに尋ねられたら、すぐに嘘が露呈してしまう。
「ロウ。どうしてあなたのように優秀で誠実な方が、そこまでしてメイドになることにこだわるのですか?」
ギルバートの口からついて出たのは、盗みとは関係のない質問。
ロウもまたギルバートを正面から見つめ返し、一拍置いてから答えた。
「メイド服が好きだから」
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