第27話 戦争


「コルケット伯爵夫妻が殺された?」


 その日、ローズの元に信じられない報告がもたらされた。その知らせを持ってきたのはゴードンにつけている見張りの男からだ。


「は、はい……どうやら何者かに寝室で首を切られたようです。そして息子であるゴードンは領地に戻りました。血痕などの状況証拠から、ゴードンの犯行だと思われます」


 ローズは絶句した。


「いったい三人の間に何があったの……? それに、病人のゴードンにそんなことができるの……?」


 邸で寝たきりになっているゴードンはかなり体力も落ちていたはずだ。それを指摘すると、男はやんわりと首を振った。


「確かに絞殺などは難しいでしょうが、斧などを使えば寝ている相手にならば難しくないかと……」


「そう……」


 ローズは顔をゆがめる。

 コルケット伯爵夫妻には長年いびられてきたし、良い感情は持っていない。けれど無残な死を遂げたことを知ると、やはり気分は良くなかった。


「……それで、ゴードンの様子は?」


 ローズの問いに、男は青ざめた顔で言う。


「それが……領地で兵を募っているようで……」


「兵を? まさか挙兵でもするつもり?」


 目を剥いたローズに、男は硬い表情でうなずく。


「どうやら、そのつもりのようです。それに現在の王制に不満を持つ貴族にも声をかけているようで……見張りをつけていたヘインズ子爵とモロニー男爵の元にもコルケット伯爵令息からの使者が来ていました」


(ヘインズ子爵とモロニー男爵って……)


 ディランが王子だと王宮で名乗りを上げた時に、不満そうにしていた大臣達だ。嫌な予感に胸がさわぐ。


「でも、ヘインズ子爵とモロニー男爵がゴードンの提案に乗るかしら? それにゴードンがコルケット伯爵夫妻を殺害したことはすぐに彼らの耳にも入るはずよ。いくら王制打倒を夢見ていたとしても、今大臣の地位に就いているなら、国王にコルケット伯爵家が反意を抱いていることを知らせた方が利になると考えるはず……」


 ローズが思考を巡らせながら、そうぶつぶつと言う。しかし男は暗い表情で首を横に振った。


「いえ、それが……どうもコルケット伯爵の使者に会ってから、ヘインズ子爵とモロニー男爵の様子がおかしいんです。目はうつろで、独り言をぶつぶつとつぶやくようになり、食事もしません……コルケット伯爵領の領民達も皆、同じような感じになっていて不気味なんです。まるで麻薬中毒者のようにゴードンの言いなりになってしまっているようで……」


「それは……おかしいわね」


 仮に違法な麻薬を使っていたとしても、こんな短期間で多くの人を操ることは現実的ではない。

 ローズはしばらく黙考していたが──諦めて首を振る。


(これ以上は、今考えても分からないわ)


 それよりローズにできることは──。


「一刻も早く、ディランにこの事を知らせないと」






 ディランは視察の予定を切り上げて、大神殿までやってきた。その表情は強張っている。


「ローズ、連絡ありがとうございます。それで、先ほど使者から聞いた話についてですが……」


 聖女の間に入るなり、そう切り出したディラン。

 ローズがうなずき、今後の相談をしようと思い口を開きかけた時──。

 神殿にふさわしくないような慌ただしい足音が響いて、扉をノックされた。


「聖女ローズ様! 申し訳ありません、至急ディラン殿下にお伝えしたいことがございまして……!」


 ローズとディランは視線を合わせて、お互いに緊張した表情になる。


「入ってちょうだい」


 ローズがそう言うと、王宮の政務官らしき恰好をした青年が現れ、その場に深く頭を垂れた。


「お話し中のところ誠に失礼いたします」


「良い。話せ」


 ディランの端的な言葉に、政務官はチラリとローズを見る。


「はっ、しかし……」


「彼女は構わない。俺にとって世界で最も信頼できる人物だ」


 そう言われて、ローズは胸が喜びで満たされるのを感じた。

 政務官は首肯して、はっきりと言った。


「──反乱軍が王都に向かってきています!」


 その言葉にローズが瞠目した。


(早すぎる……!)


 いくらゴードンが挙兵するにしても、もう少し時間がかかると思っていたのに。

 コルケット伯爵領は王都に近い場所にある。近いとはいっても【転移門】を使わなければ馬で三日ほどかかる距離だが……。【転移門】を使えば翌日には到着する。


(でも、【転移門】には守衛がいるから、反乱軍を通すような真似はしないはず……)


 政務官は額に脂汗をにじませながら叫んだ。


「南の【転移門】が突破されました! 西と東の【転移門】の守衛からも応答がなく……! このままだと反乱軍は明日には王都に迫るものと思われます」


 その報告に場が水を打ったように静まる。

 ディランは怒りを抑えているのか、空気がピリリとしていた。


「──分かった。宮殿に戻る。早急に対策本部を立てよう。先に戻っていてくれ」


 ディランがそう言うと、政務官は深く頭を下げて去って行った。

 彼はローズに向き直る。


「……すみません、ローズ。王宮に戻らなければならなくなりました」


「大丈夫よ。神殿は──協力を惜しまないわ」


 ローズはハッキリとそう言った。それは聖女であるローズや神殿女官達が、戦時には治療師として後方支援をするという宣言だ。

 ディランはわずかに目を見開いた後、悔しそうに唇を少し噛んだ。


「……あなたを危険に晒したくはないのですが……」


「何を言っているの。神殿女官は戦時では全面的に軍に協力する決まりよ。──それに何より、あなたが危険な時に神殿に隠れていることはできないわ」


 そう軽口を叩いて、ローズはディランの肩をポンポンと叩いた。

 ディランは暗い表情でうつむいた。ローズの手を取り、そのまま引き寄せて強く抱きしめる。


「……ディラン?」


 いきなり、どうしたというのか。

 急な密着に心臓が激しい音を立てる。

 ディランはまるで怖い夢でも見た子供のように、ローズを抱きしめ──いや、しがみついていた。


「……何だか、一瞬恐ろしい映像が脳裏に浮かびました。戦場についてきたローズが、ゴードンのクソ野郎に剣を突き立てられる光景が……」


「ディラン、どうしたの……?」


 まるで二人の先祖であるイライザと聖者アシュの最後の別れの絵だ。

 それを思い出して、ローズの息が詰まる。

 ローズは深く息を吐いて、ディランの両頬に手を当てた。


「……ディラン、大丈夫よ。私はイライザじゃないし、ディランだって末裔だけどアシュ本人じゃないわ。私達は……」


 その時、一瞬自分達は生まれ変わりなのではないか、という疑念が脳裏をかすめたが──ローズはそれでも構わないと首を振る。


「私達は今ここにいて、未来を誓い合っている。簡単にやられてやる気はないわ。ゴードンがどういうからくりを使って人々を操っているのかは分からないけれど、必ず私達は勝つわ。……私が間違ったことを言ったことはないでしょう?」


「八歳の時に木登りで、『この枝なら大丈夫』だと言って思い切り踏み外していましたが……」


「……それは忘れて」


 ローズはムッとして頬をふくらませた。

 しかし怒りは持続しない。


「あの時は、ディランが木の下にいて私を抱き留めてくれたのよね」


「生きた心地がしませんでしたよ。大事なお嬢様に怪我をさせてはいけないと必死で……」


 そう苦笑する彼を、ローズはぎゅっと抱きしめる。


「……あなたがそばにいてくれたから、私も無茶できたんだわ」


 まだわずか八歳で親元を離れて王都の大神殿で聖女という大任について──重責に押しつぶされそうになっても、何とか踏みとどまってこられたのはそばにディランがいてくれたからだった。


「もう無茶はしないで欲しいですが、たとえ無茶をしても、また俺が受け止めます」


「……ありがとう。あなたの加護の力がありますように」


 ローズはそっと彼の背中に手を回す。

 ディランはローズの額に口づけを落とし、微笑んだ。


「愛しています、ローズ」


「えぇ、私もよ。ディラン」


 二人は見つめ合い、どちらともなく顔を寄せてキスをした。

 これを最後のやり取りにしないために戦わねばならないのだ。



 ◇◆◇



 ディランは王宮に戻ると、守備兵は敬礼をする。


「殿下! お戻りになったのですね!」


「ああ。陛下は?」


「すでに対策本部を立てられております。ご案内いたします!」


「分かった」


 ディランはそう言って、政務室へと足を向けた。そこには大臣達がすでに集まっている。ヘインズ子爵とモロニー男爵だけがいない。大臣達の表情は険しい。

 ディランはゴードンやコルケット伯爵領の民の不審な言動、兵士を集めていることなどの知りえた情報を伝える。


「──なるほどな」


 重々しい声でそう言ったのは、国王イザークだった。彼は円卓に肘をつき、手を組んでそこに顎を乗せている。


「まさか、ヘインズとモロニーに足元をすくわれるとは……」


「陛下、反乱軍を迎え撃つ準備を急ぎましょう。神殿は協力を惜しまないそうです」


「そうか……それでは、ディラン。お前に兵の全権をゆだねよう」


「陛下……」


 さすがにそこまで重大な役目が与えられるとは思っていなかったので、ディランは驚いた。だが、国王は思慮深げな瞳をして言う。


「もしこの戦いに勝てば、国民のお前の信頼はゆるぎないものとなるだろう。──王太子としての地位を不動のものとするのだ。お前にその覚悟があるならば、私は全力で支援しよう」


「! ……はい。必ず、ご期待に沿ってみせます……!」


 国王──父からの信頼と応援に、ディランは胸の奥が熱くなるのを感じた。本当に自分を王太子として受け入れてくれたのだと改めて感じる。その気持ちが嬉しかった。


「うむ。ディラン・マクノーラ・イブリースを王国軍総司令官に任ずる! では皆の者、これからディランの言葉は私の言葉と思うが良い」


「御意!!」


 臣下一同が声を上げる。

 ディランは胸に拳を当てて、国王に向かって深く頭を下げた。


(絶対に勝ってみせる……!)


 そう決意を新たにした瞬間だった。



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