結実 その七

 マンションからでて、スマートフォンで時刻を確認すると、十六時を少し回ったところだった。この時間であれば、電話に出る可能性は十分ある。


 祈るように津田の電話番号をタップする。


 津田はスリーコールほどで出た。


「津田さん? ちょっと会って話、できませんか?」


 私は彼の応答も待たずにまくしたてる。


 いてもたってもいられず、とりあえず彼の拠点であるK市に向かおうと、駅に向かっているところだった。


 早歩きをしているためか、私の息は上がっている。


 私の問いかけに応答いた津田も、私に負けず劣らず興奮していた。


『俺もちょうど敷島さんに連絡しようとしていたところだ。良かった。見せたいものが在るんだ。あの島の調査から今日東京に戻ってきたんだ』


 そう言えば、最後に電話したときに、咬ヶ島に行くと言っていたことを思い出す。あの後、姉から電話があり、郁人さんが亡くなったことを知った。それからは、姉の入院やら葬儀の準備やらに忙殺され、すっかり忘れていた。


 彼の興奮した口ぶりから察するに、何かを見つけたようである。もしかしたら、例の鳴らない鈴を見つけたのかもしれない。いや、それ以上の成果もあった可能性がある。


「何か見つけたんですね」

『ああ、それらしい鈴も見つけたし、それにいろいろと分かった。電話だと伝えづらいから、直接会って話をしたい。どこに出ればいい?』

「いえ、私がうかがいます。初めて会った喫茶店でどうでしょうか?」

『分かった。そこで落ち合おう。俺は色々と資料やら準備してから向かう。もしかしたら敷島さんの方が早く着くかもしれないが、待っててくれ。必ず行くから』

「よろしくお願いします」


 私はそう言って電話を切った。


 姉の身に危険が迫っている。


 凛子のときのように遅れをとるわけにはいかない。


 私は、電車に飛び乗った。


 電車に揺られながら、思考を巡らせる。


 この物語の中心は明らかに私だ。


 どこで手に入れたのか分からない心霊写真。私はそれを小学校時代の親友だとなぜか思い込んだ。そして、凛子を巻き込み彼女は呼ばれてしまった。彼女が身を投げたあの岬は、黒鶴荘の茜ちゃん曰く、「自殺者が頻発する岬」らしい。しかし、津田ともう一度訪れたときに出会った地元の男性は「星見の岬」と呼んでおり、そのような恐ろしい場所という認識は全くなさそうだった。その話を津田にしたとき、彼はこんなことを言っていた。


 ――君たちのために語られた怪談のようじゃないか、と。


 そう、君たちというよりも、このクチナシ様にまつわる一連の物語の中心にいて、そして、周囲の人間を巻き込んでいるのだ。


 しかし、なぜか私自身に危険が及ぶようなことはない。クチナシ様という存在は、私を操り、そして私の周囲の人間に害を及ぼしていく。真綿で首を締めるように。


 いや、本当にそうなのか?


 私の知らない記憶。


 私の知らない私。


 窓の外はもうすっかり日が落ちている。


 車窓のガラスには、私の顔がくっきりと浮かびあがっていた。その顔は、よく見知っているはずの私だ。私のはずなのに、ガラスにうつる私はなんだか少し歪んで見えた。いや、それどころか、まったく知らない人間にも見えた。


 じわじわと体温が下がっていく。足先、指先が氷のように冷たくなっていく。


 K駅に着くころには、体の芯から冷えていた。


 早く暖かいコーヒーを飲みたかった。


 あの喫茶店には津田はまだ来ていなかった。


 とりあえず冷えた体を温めようとホットコーヒーを注文したときだった。津田からの着信が入った。


「もしもし」

『…………』

「津田さん?」


 そう問いかけても何も応えない。


 彼の荒い息づかいだけが聞こえてくる。


 私は強烈な嫌な予感がし、全身の毛が逆立つのを感じた。


「津田さん、ちょっと大丈夫ですか⁉」

『……敷島さん、俺も呼ばれちまったみたいだ』


 全身から血の気が引いていく。それに反して心臓は早鐘のようでうるさいくらいだった。耳の奥で自分の心音が鳴り響く。彼の声を聞き漏らすまいと、スマートフォンのスピーカに耳を押し当てる。


「今どこですか!」


『……西T駅のコインロッカーの前だ……』


 彼は怪我を負っているのか、息も絶え絶えと言った感じで答えた。


「今、行きますから!」


 私は急いで席を立つと、出口に向かって駆け出す。


『だめだ……来ちゃ……あいつが来る』


 その言葉に足がぴたりと止まる。そして、そのままその場から動けなくなってしまう。


「あいつって……」

『鈴の音が、ずっとしてる……あいつがすぐそこまで来てる……あんたも喰われちまう……』

「津田さん!」


 私の声は震えていた。


『こいつを祓うのは無理だ……いいか、敷島さん、コインロッカーの中にあの鈴を入れておいた……明日の朝になったら取り出して、そして逃げろ。とにかく逃げろ……』

「津田さん……」


 私はいつの間にか泣いていた。


『ああ、来た……やめてくれ、やめてくれ……あああああああああああああ! 朋絵ぇえええ!』


 彼の断末魔が響く。


 ――りん


 一瞬の静寂の中、確かに鈴の音が響く。

 

 そして、硬いものを打ち鳴らしたような、あの音。

 

 ――かちり


 ――かち、かち、かち、かち、かち、かち、かち、かち、かち、かち、かち、かち、かち、かち、かち、かち、かち、かち、かち、かち、かち、かち、かち、かち、かち、かち、かち、かち、かち、かち、かち、かち、かち、かち、かち、かち、かち、かち、かち、かち、かち、かち……かちり


 それは、無数の音だった。

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