開花 その十三
山城の言う紅葉寺までタクシーで二十分ほどであった。
檀家のための駐車場が整備されている。駐車場の規模を見る限りかなり有力な寺であるらしい。地元民はこの寺を愛称で呼んでいると言っていた。地元では愛されている寺であり、かつ景観も素晴らしいということが想像できる。
確かに山に囲まれた自然豊かで静かな環境で、山はところどころ美しく色づいていた。
「山の上はさすがに冷えるな」
津田が革ジャンの前閉めながら言った。
吐く息が白くなるほど寒かった。山中特有の湿り気を帯びた冷気が充満している。
「そうですね」
「どこかに林道があるんだったよな? とりあえず寺の周りを見て回るか」
「そうしましょう。とりあえず、歩かないと凍えそうです」
私達は、とりあえず紅葉寺の境内を見て回ることにした。
駐車場からすぐのところに石段があり、その先には大きな仁王門が建っている。仁王門をくぐると、そこは朱色と茶色の世界だった。
紅葉寺とはよく言ったもので、境内には多くの紅葉が植わっており、それらすべてが鮮やかな朱色に色づいている。落ちた紅葉の葉で埋め尽くされ海老茶色の地面と目の覚めるような紅葉の赤色のコントラストが美しい。
紅葉の先には本殿があった。本殿も仁王門と同様、大変立派である。
私たちは立ち止まって紅葉に彩られた本殿を眺めていた。
「こりゃあ、すげえな」
「そうですね。とても綺麗ですね」
とても美しい場所だ。陰謀蠢く恐ろしい事件の舞台となった場所だとはとても思えなかった。
しかし、ここで早々にあきらめて帰るわけにもいかない。
津田の手分けして林道を探してみようという提案にのり、私は一人境内を探索することにした。
本殿の右手側からは渡り廊下が伸びている。その渡り廊下は山の斜面を下っていた。廊下に出るためには本殿内に入らなければならない。しかし、勝手に入ってよいものか分からず、とりあえず渡り廊下の外側を辿ってみることにした。
渡り廊下が下る斜面は、道こそ整備されていなかったが、何とか下りられそうである。
数十メートル続く斜面を降りていく。渡り廊下のその先には本殿よりも一回り小さい建物へと続いていた。その建物の近くには大きな銀杏の木が植わっている。その銀杏は朱色の紅葉の中、ひと際鮮やかに、金色に輝いていた。
私は銀杏へと吸い寄せられるように近づく。紅葉で海老茶色に染まった地面は銀杏の周りだけは黄色に染まっている。そこだけ隔絶された別世界のようである。
ふと、昨晩津田から聞いた島と結界の話を思い出す。
次の瞬間、鞄の中でスマートフォンが鳴った。取り出して画面を確認すると、津田からだった。
「はい」
『今どこだ?』
「ああ、本殿の右手から伸びる渡り廊下を下った先です」
『渡り廊下? ああ、これか。本殿の中から行けばいいのか?』
「いえ、私はその廊下伝いに、その先の斜面を降りました。廊下は渡ってません」
『そうか。林道はあったか? こっちは何もなかった』
そう問われて、私は林道を探さなければならないことを思い出す。
「ああ、ちょっと待ってください」
私は急いでざっとその場を見渡す。
すると、視界の端に何かが映った。
「あれ?」
『なんだ? なんかあったのか』
銀杏の木の数十メートル向こう、さらに下った場所にそれはあった。
それは鳥居だった。
それは、この錦の山寺には似つかわしくない、古く寂しい枯れ木色をした杉の鳥居だった。鳥居の先は木陰になっており、よく見えない。しかし、どこかに続いているようだ。
「鳥居があります」
『なに? ここは寺だぜ?』
「ええ、でもあるんです。それに、ここからはよく見えないんですけど、その先に道のようなものが見えます」
『……そうか。とりあえず、そっちに行くよ』
「分かりました。待ってます」
そう言っては私は電話を切った。
津田は数分でやってきた。
「鳥居だって?」
「ええ、ほら。あれ」
私は鳥居を指さす。
「本当だ。しかし、どうやって行くんだ?」
この山寺は丘の上に建立されている。今いる場所も本殿から見れば下ったところだが、鳥居がある場所はさらに下ったところにある。しかも、急斜面を下っていかなければならない。鳥居の周囲を確認するが、麓から登ってこられるような道は続いていないように見える。つまり、この鳥居はぽつりと、崖下に存在しているのである。
「この山寺と鳥居の間にあった地層が土砂崩れで流れてしまったのかもしれません。ほら、崖下はほとんど木が植わっていません」
「なるほど。あそこに行く手段はなさそうだな……」
「何言っているんですか? ここを降りればいいじゃないですか」
私がそう言うと、津田は目を丸くする。
「冗談だろ?」
「いいえ? だって見てください。崖にはなっていますが、垂直ではないですし、後ろ向きで慎重に進んでいけば下りられると思います」
「いや、だって下りられても登れないだろう?」
「ああ、それは大丈夫ですよ。鳥居の向こう側の斜面を見てください。右側にすこし下っているでしょう? あれを降りていけば、さっきタクシーで通った道に出られますよ」
「だったら、そっちから登った方が良くないか?」
確かに津田の言うとおりである。しかし、それは明らかに遠回りである。目の前の斜面を下ればすぐに着くのだ。それに見たところ、そこまで危険な斜面ではない。これくらいのう山歩きならば研究のためのフィールドワークで嫌というほど経験している。津田も、私も靴は運動靴である。なんの問題もない。
「だってこっちの方が近いじゃないですか。さあ、行きますよ」
私は半ば強引に斜面を下り始める。
津田も、しぶしぶといった感じでついてきた。
私の目論見どおり、急斜面であったが、垂直というわけではないし足場も十分にあり、下るのにそれほど苦労しなかった。まあ、これを登るのは骨が折れるだろうが。
下りた先、崖上から見えた鳥居の前に津田と二人で並んで立つ。
鳥居は、鬱蒼と茂る杉林を背にぽつりと立っていた。
鳥居から続く杉林は、山寺の鮮やかな色彩とはうって変わって、黒々とした緑と、腐葉土色の暗く湿っぽい雰囲気である。秋の銀色をした陽光は杉の葉に遮られ、林の中は夕暮れのように暗い。
鳥居の奥にはその背後に茂る杉林の木々の間を縫うように、石段が続いている。その石段は山寺の仁王門につながるような立派なものではなかった。自然の斜面に合わせて石を敷き詰めた、そんな感じである。
「とりあえず、行ってみるか」
「そうですね」
私達は、津田を先頭に鳥居をくぐり、石段を登っていく。
風はなく、林の中は鎮まり返っていた。私達の足音と吐息だけが聞こえる。それらの音は響くことなく、じっとりとした林の中に染みこんでいった。
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