開花 その六

 私はその日、福井県T市を再び訪れていた。


 T駅のホームに降り立つ。ブーツの底がざらりと音を鳴らす。


 まだ十一月のはじめだったが、確かな冬の匂いがした。空には薄い鉛色の雲で覆われている。


 凛子の言った「楽しい旅になる」という言葉を思い出す。


 鼻の奥に湿っぽい刺激を感じた。


 あの日隣にいた凛子は隣にはいない。


「相変わらず辛気臭い場所だな」と隣で津田が吐き捨てるように言った。


 私は津田と会った日から連絡を取り合い、再びこの地を訪れることにした。

私達の真実を確かめるために。


 改めて駅のホームを見渡す。


 さび付いた駅名の看板、靴底から伝わる細かな砂利の感覚、人気のないホーム、左右に永遠と続く赤茶けた電車のレール、それらすべての物に埃のように寂しさが積もっている気がした。


「それで、どうします?」


 この地を訪れることにしたは良いが、具体的に何を調べるかは決めていなかった。


「そうだな……あてなんて何にもないからな」


 聞けば津田は朋絵ちゃんが亡くなってすぐ、この町を訪れ相当調べたのだそうだ。


 何を調べるべきか、彼にも分からないのだろう。


「私、あの岬にもう一度行きたいです」

「何か思い当たる節があるのか?」

「いえ、そういうことではないんですが……」


 思い当たる節などない。ただ、この二人の真実を求める旅の始まりはあの岬で、凛子を悼むことから始めたかった。


 津田は私の想いを酌んでくれたのか、否定はしなかった。


「なら、行くか」


 津田は小さめのボストンバックを肩にかけなおすと、歩き出す。


 私は彼の後をついて改札を出た。


 津田は駅から出ると、ライダースジャケットのポケットから煙草を取り出すと、歩きながら火をつけた。しばらく黙って歩いていたが、不意に立ち止まるとこちらを振り返る。


「花屋でも寄るか」

「え?」


 津田は「あんた」と言いかけたが、その言葉を飲み込む。


「敷島さんは、友達が亡くなってから初めてここに来たんだろ。花の一つくらい手向けたってばちは当たらんだろ」


 彼の以外な言葉に目を丸くする。しかし、彼も恋人の死を受け入れらず、もう何年も一人で真実を追い求めている人間なのだ。私の痛みにも覚えがあるのだろう。


「ありがとうございます」

「いや、礼を言われるようなことは何も」


 そう言って、彼はまた歩き出した。


 津田はその辺を歩いていた地元の人間に声をかけると、花屋の場所を聞き出した。


 教えてもらった花屋は小さく、さびれていた。花の種類も少なく、店内に置いてある花束のほとんどが仏花だった。


 仏花以外の花が良かった。凛子には似合わない。


 だから私は、白いバラだけで小さな花束を作ってもらった。


 花屋には入らず、店先で相変わらず煙草をふかしている津田に声をかける。


「津田さんは何か買いますか?」


 彼は手をひらひらとさせ、不要である旨を示した。


 花屋から出て岬へと向かう道中、私達は何も話さなかった。


 岬に広がる松の鎮守の杜を抜ける。潮騒と葉擦れの音だけが響く。


 鳥居を抜けた先、あの小さな社が立つ開けた場所に着いた時、津田が口を開いた。


「神社が無くなってる……」


 発言から察するに、以前津田が訪れた時にはまだ本殿があったのだろう。


 彼の恋人、朋絵ちゃんが亡くなったというのが三年ほど前だという。となれば、本殿はつい最近までここに建っていたようだ。


 私がその事実を確認しようと口を開きかけたとき、その広場に大きな柏手が鳴り響いた。


 その音に驚き思わず背筋に力が入る。


 あたりを見渡すと、あの小さな社を拝む何者かの姿があった。


 凛子曰く、祟り神を祀るというあの摂社だ。


 そんなことを知らない津田は、その人物に近づいていく。私は止めようとするが、声が出なかった。


 津田は礼拝が終わるのを待ってからその人物に声をかける。


「あの」


 声をかけられた人物はゆっくりと振り返る。


 どこにでもいるような初老の男性だった。


「はい?」


 その声は意外なほど高く、柔らかだった。


 その男性は津田を見た後、その後ろにぼうっと立っている私をちらりと見てから「観光ですか?」と声をかけた。


 男性の言葉は京都訛りのような上品さがあった。


「まあ、そんなとこです」

「そうですかあ。こんな何にもない田舎に若い二人でいらしたって、つまらないでしょう?」


 私達がカップルか何かに見えているようだ。


 津田は、否定するのも面倒くさいと思ったのか、否定も肯定もせず曖昧に受け流してから、男性に質問する。


「以前来たときはここに神社があったと思うんですが」


 男性はすこし意外そうな顔をした。


「ええ、まあ。ちょうど一年くらい前に焼けてしまいましてね。なんでも雷が落ちたとか聞きましたわ」

「雷ですか」

「あの、すみません」と私が声をかけると男性は私の方に目をやる。

「はい?」

「その、今拝んでいたのって、摂社ですよね」


 男性は今度こそ驚いたのか、目を丸くする。


「あなた、お若いのによくご存じですなあ。そうです。これは火折尊ほのおりのみことを祀る摂社です」

「ほのおりのみこと……」

「ええ、山幸彦っちゅう別名もあります」

「山、ですか。港町なのに」


 津田が疑問を口にする。


 すると、男性はころころと上品な笑い声をあげる。


「お兄さんの疑問は、そのとおりですなあ。でもこの神社は、海の神さんを祀る神社なんです」

「でも、今、山幸彦って……」


 私がそういうと、男性は大きく首を横に振る。


「いいえ。本殿に祀られておりましたのは、大綿津見神おおわたつみのかみちゅう海の神さんでした。山幸彦いうのは、この神さんの義理の息子、つまり婿殿ですわな」

「婿殿……。じゃあ、そこに祀られているのは荒魂とかではないんですね?」


 男性はまた笑い声をあげる。


「ほんま若いのによう知ってはりますねえ。そうです。此処におるんはそんな恐ろし気な神さんではないです」

「じゃあ、今でも地元の方がお参りに?」

「ええ、まあ。神主さんがおりませんから、私ら自治会のもんが掃除やらなにやら、持ち回りで。来年あたりには本殿の方も再建することになっております」


 凛子と見たとき、この社がそれは恐ろしく見えたものだが、真相を知ってしまえばなんて事はない。ただ地元の人が管理するただの社だったのだ。


 もしかしたら真実なんてものはどれもなのかもしれない。凛子の死の真相だって、私が思い描いているようなおどろおどろしいものではなく、もっといたって単純なものなのかもしれない。そう思えば、鉛のように重く冷たくなっていた心も少しは軽くなるような気がした。


「そういえば、お二人はこの先の星見の岬にはもう行かれましたか?」

「星見の岬?」


 男性は微笑みながら頷く。


「何にもない町ですがね、ちょっとした観光スポットなんです。海がよう見えましてな。まるで飛んでいるみたいな気分になるんです。晴れた夜なんかは星が綺麗に見えるんですわ」


 男性の言葉に私は強烈な違和感を抱く。


 あの宿で茜ちゃんから聞いた話とはずいぶんかけ離れた印象だ。茜ちゃんは、気味悪がって地元の人は誰も近づかないと言っていた。


 しかし、目の前の男性はその場所のことを気軽に、楽し気に話している。

何かがおかしい。


 おかしいのは、この男性なのか、それとも茜ちゃんなのか。


 しかし、あの日その場所について語ってくれた茜ちゃんの様子はとても嘘を言っているようには思えなかった。


 だとしたら、真実を隠し、嘘を言っているのは目の前の男性なのか。

でも、何のために?


 凛子は小さな社を見て「まだ祀られている」と言った。


 もし、凛子の言うとおり、あの社には恐ろしい祟り神が祀られているとしたら?


 それに参拝していたこの男性の真の目的は、私達に呪いをかけることなのだとしたら?


 そんな、恐ろしい妄想が頭を支配する。


 目の前で柔和な笑顔をたたえる男性を見つめる。


 そして、気が付く。


 その目は一切笑っていなかった。


 瞬間、全身に鳥肌が立つ。


 この人間は危険だ。


 私は一刻も早くここから立ち去りたいと思った。


 しかし、気取られるわけにはいかない。


 私は津田に声をかける。


「津田さん、そろそろ……」

「あ、ああ。そうだな。いろいろ聞かせていただきありがとうございました。その、星見の岬ですか? そこに行ってみようと思います」


 津田がそう言うと、男性は満足げに頷き、お社の後ろに在る階段を指さす。


「あそこに階段があるでしょう? あれを降りれば行けますよ」と言った。


 私達は小さく会釈してからその階段へと向かう。


 私は階段を下りる瞬間、絡みつくような視線を背後に感じ、思わず振り返る。


 男性が私達をじっと見つめていた。


 その目は、今度こそ嗤っていた。

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