糠平温泉
白樺並木の撮影、士幌線の橋梁の跡の撮影を重ねながら・・・あれ、ここは橋梁跡の展望台となってるけど見えないじゃない。
「ここも鉄オタには有名でな。夏は湖に沈んどって冬になると姿を現すタウシュベツ川橋梁や」
冬に歩いて近くまで行く人もいるそうだけど、
「四キロぐらいあって、クマも出る」
それでも見事なアーチ橋だそう。鉄オタの世界もディープだな。さて今夜は糠平温泉だ。
「幌加温泉にしょうかと思うてんけど、素泊まりの上に布団も出えへんからやめた」
それはさすがにディープすぎるよね。寝袋抱えてツーリングやってないし、
「完全に山奥の一軒宿でメシを食うとこどころか、コンビニも近くにあらへん」
それでもって今日の宿だけど、これなんと表現したら良いのだろう。とりあえず後ろの青いビルは新館かな。
「ちゃうと思うで。もともと五十五室あって団体さん向けの旅館やったんを、十九室に絞ってリニューアルしたそうや」
十九室だけだったら後ろのビルで十分だものね。それと三階建てなの。
「二階建てらしい。あの三階部分は張りぼてやて」
よくわからんセンスだ。それにしても作りが、
「昭和三十年代からの建物らしいわ」
そんな感じのオーラが飛びまくってる。中に入ってみると、これは・・・山小屋風で良いよね。なにかレトロで懐かしいけど穏やかな雰囲気。外から見たら潰れそうな旅館だけど、中は本当に綺麗にリフォームされてる。
部屋も良いじゃない。へぇ、一部屋ごとにデザインが違うのか。でも基本的に木にこだわったリフォームで良さそう。こうなるとお風呂が楽しみ、えっ、露天風呂に行かないの。
「まあTPOや。鉢合わせしたらあっちが気を使うやろ」
混浴で裸を見せるのは前提みたいなものだけど、杉田さんたちはわたしたちが何者か知ってるのよね。別に裸を見てもらっても構わないのだけど、あっちはそりゃ気を使うし、気まずいよね。
内風呂の脱衣場もひたすら木にこだわってるのが良くわかる。こういうのは嫌いじゃないよ。さて浴室は、あははは、湯船の真ん中に太い柱が立ってて、そこからお湯が出てくる趣向なんだ。
糠平温泉はこの宿だけじゃなく全館がかけ流しだそう。かけ流しが出来るかどうかは温泉の温度や湧出量で変わるから、出来ないところを貶す気はないけど、でもやっぱりどっちが良いかと言われたらかけ流しかな。
「エエ湯やな」
風呂から上がって食事はレストランのテーブルだ。これはなかなかのコースだよ。上士幌ポークの陶板、切り干し大根と黒豆の出汁浸し、ニジマスのマリネ、牛乳の冷製茶碗蒸し、白株の風呂炊き、天ぷら、
「天ぷらのタネがおもろいやん。メマツヨイグサ、ミント、アカツメクサ、ヤマブドウ、オオバコ、ドクダミって野草ばっかりやんか」
他にも蝦夷鹿のローストとか、八到とうきびのムースとか、
「こっちかって、わかもろこしのグリルにアキタブキとコンブの甘辛、川エビの佃煮やぞ」
聞くと十勝産の食材にこだわってるで良さそう。うん、渾身の山の幸って感じがする。食前酒代わりの選べる果実酒もなかなかだもの。なるほどさすが杉・・・
「コトリが選んだ」
だと思った。
「杉田さんと言いかけたやろ」
それはコトリの思い過ぎ。部屋に戻って飲み直し。上士幌町には地酒がないみたい。まあ、米が取れないから根室にある方が不思議だよ。その代わりに地ビールがある。その名も、
「上士幌エールビールや」
やっぱり北海道と言えばビールだよ。そしたら加藤さんが部屋を訪ねてきた。杉田さんはと思ったら、
「不貞寝してま」
夕食の間も黙ってたものね。昨夜はあんなに楽しそうだったのに。
「六花ちゃんと話してまへんから」
えっ、それって、もしかして、
「北海道に来て初めて楽しそうな夜でしたわ」
あちゃ、加藤さんも大変だ。毎晩機嫌が悪くなった杉田さんの相手をしてたのか。そこまでやらなくとも、
「六花ちゃんに聞いたかもしれまへんけど・・・」
高校時代に恋人関係にあったこと、それが飛行機墜落事故で杉田さんの家が貧しくなり、イジメに加担してしまったこと、それを今でも後悔してること・・・でもさぁ、杉田さんの気持ちもわかるのよ。今さら関わりたくないって。
「わても最初はそう思たんですけど、杉田は今でも独身でっしゃろ」
「加藤さんもやんか」
「わてのことは置いといてください。話がややこしゅうなります」
杉田さんはやはりモテるそう。そりゃ、モテない方が不思議だけど、
「誰も振り向きまへんねん。わてが見ても十分可愛いとか、綺麗で性格の良さそうな娘が寄って来ても見向きもしまへん。なんかその辺のゴミ見てる気がするぐらいです」
あらわたしたちは、
「誰が本物の神さんに恋しまっかいな。バチが当たりまっせ」
そんなことはともかく、加藤さんも杉田さんが女嫌いじゃないかと思った時期さえあったそう。
「そんな杉田が六花ちゃんだけは気に入ったんですわ。あれは間違いなく惚れた目です」
でもそれは偽名を使い、変装もした六花じゃ、
「偽名を使おうが、変装しようが中身は六花ちゃんですやんか」
それって、もしかして、
「どっちかでっしゃろ。六花ちゃんと気づいたのか、六花ちゃんの雰囲気に惚れたんか」
どっちかだけど、
「わては気づいとった気がしてまんねん」
それってわざと騙されてたとか。でも正体がわかった時には追い出してるじゃないの。
「杉田は騙されたかった気がしまんねん。そのまま死ぬまで。そやけど六花ちゃんと確認されてもたら悪夢が蘇るみたいです」
よほど高校時代は辛かったんだろうな。いや、それ以上に六花に裏切られたのが忘れられないんだろう。だったら六花以外の女を相手にすれば良いじゃない。
「杉田の心は歪んどるでっしゃろ。アイツは真面目過ぎるところがあるし、不器用でんねん」
それは言えてる。ユーチューバーの才能で言えば加藤さんはまさに天才型。次々にまあ、あれだけ、しょ~もない企画を湯水のように産み出せるものだと感心するぐらい。
「あのぉ、それって褒め言葉でっか」
当然よ。それに対して杉田さんは努力型。それも半端な努力型じゃない。あそこまで努力できるのもある種の才能かもしれない。一つの企画を入念に練り上げ、他の者が容易なことでは真似できない領域にまで仕上げてる。恋愛もまたそうだとすれば、
「わてもそう思てま。杉田の事やから六花ちゃんが初恋で、六花ちゃん以外を受け付けへんようになっとると思うてますねん」
なんて不器用な恋なんだよ。
「ユッキーも似てるやんか」
ほっといてよ、その話をするとややこしくなるじゃない。
「ちいとややこしい話でっから、最初から話したいのでっけど、時間は宜しいですか」
イイよ。夜は長いもの。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます