第09話

 十月二十二日、土曜日。

 わたしは午後二時過ぎ、電車の駅まで妹の美結を迎えに行った。

 改札前に――たぶん学校帰りなんだろう――制服姿の美結が居た。


「美香ねえ!」

「そんじゃ、行こうか」


 沙緒里さんの部屋から体感一キロぐらい歩いてきて、普通に疲れた。ただでさえ憂鬱気味なのに、さらにテンション下がってきた。

 だけど、すぐに美結を連れて引き返した。


「どこかのお店で、三人でランチするだけでよかったじゃん」

「そんなの意味無いよ! 美香ねえがどんな所に住んでるのか、この目で見ないと!」

「あっそう……」


 変なこだわりのために、姉を往復三十分も歩かせないで欲しい。

 ていうか、わたしと沙緒里さんの愛の巣に来ないで欲しい。


「そうだ、美結。ケーキ買っていこう」


 確か駅の近くに、チョコレートケーキの有名なお店があったはず。閉店までに売り切れるぐらい、人気あるらしい。


「別に要らないから、さっさと行こうよ」

「あんたが要らなくても、手土産のひとつでも持ってくのがマナーなの」


 よし。社会人として、姉として、良いこと言った!

 これならきっと、沙緒里さんは美結にも……そんな風に教育した姉のわたしにも、好印象を持つだろう。


「なんであんな奴に、手土産なんか渡さないといけないの!?」


 まだ会ってもないよね? あんたには一体、何が見えてるの?

 ダメだ。頭が痛い。いくら姉の威厳を守るためとはいえ、やっぱり会わせるべきじゃないのかも……。

 でも、目と鼻の先まで来たのだから、もう遅い。


「お姉ちゃんの大事な人を、あんな奴って呼ばないで……。お姉ちゃんに恥かかせないで……」


 仕方なく、メンヘラモードでボソボソと言った。


「わかったよ、美香ねえ」


 美結はしぶしぶ頷いた。そうそう、わかればよろしい。初めから、素直に聞こうね?

 わたしは美結と、ケーキ屋さんに向かった。こういうきっかけになったけど、まだ食べたことがないから何気に楽しみだ。


「美香ねえ、これ並ぶ?」


 小さなお店だけど、短いながらも行列が出来ていた。

 流石は休日の昼下がり……。そりゃ、売り切れもしますわ。


「……別のところで買ってこ」


 とはいっても、近くのお店はよく知らない。

 結局、わたしは萎え気味で、美結とコンビニに入った。シュークリームとプリンとロールケーキを買って、マンションへと戻った。

 エレベーターを上がり、扉の鍵を開けた。


「ただいまー」

「お、お邪魔します」


 リビングからアミちゃんがスタスタとやってきて、出迎えてくれた。

 相変わらず、可愛いなぁ。美結もガン見してるし。


「おかえり。……妹さんも、いらっしゃい」


 黒のジョガーパンツに、ライトブルーのコットンシャツ――この前買ったものに、さらにグレーのカーディガンを羽織った沙緒里さんも、続いて現れた。

 キレイめな格好に、スラッとしたシルエットと前髪無しショートはとても見栄えが良い。これだけで、もう反則でしょ!

 さらに、仕事用の柔らかな笑顔を浮かべてる。明らかに取り繕った外っ面に、わたしは笑うのを堪えた。

 ……そういえば沙緒里さん、あんまり緊張してなかったな。前から思ってたけど、メンヘラのくせに、仕事だと誰とも普通に絡めるのが凄いですよね。ていうか、これも仕事だと割り切ってる感じ?

 第一印象は悪くないどころか、満点だ。美結も、驚いてる。

 沙緒里さんはアミちゃんをひょいと抱え、柵を開けた。リビングへと招いた。


「ほら、美結……」

「う、うん。これ、つまらないものですが……」


 わたしは美結を促して、コンビニのビニール袋を沙緒里さんに渡させた。コンビニスイーツなんて本当につまらないけど、気持ちが大事だよね。


「ありがとう。お茶淹れるから、座ってください」


 袋を受け取った沙緒里さんは、そのままキッチンへと向かった。

 座るとはいっても、リビングにあるものは、ふたりがけのダイニングテーブルと、ふたりがけのソファーだ。どっちにも三人以上は座れない。どうしようと悩む。

 美結は一応客人だから、とりあえずソファーに座らせた。わたしも隣に座った。

 アミちゃんが物珍しそうに、美結を足元から眺めていた。でも、美結は構うことなく――というか、構う余裕なんて無いぐらい、緊張しているように見えた。あれあれ? さっきまで威勢良かったじゃん、妹ちゃん。


「ね? ちゃんとしてるでしょ?」


 わたしは意地悪く、小声で言った。

 部屋は2LDKとそれなりに広い割に、綺麗に片付いている。……わたしが散らかしても、沙緒里さんが文句言いながら片付けてるんだけど。

 沙緒里さんの人柄といい、それに相応しい部屋といい、文句をつけられるはずが無い。これでわかったでしょ? お姉ちゃんは、こんなに高スペックな人と一緒なんだから! つまり、わたしが凄いってことじゃん?


 しばらくすると、沙緒里さんがスイーツの他、ティーポットとカップをトレイに載せて、キッチンから現れた。ひとつはソーサー付きのティーカップだけど、残りふたつは二種類のマグカップだ。相変わらず統一感は無かった。まあ、これも生活感があるということで……。

 沙緒里さんはリビングのテーブルにトレイを置くと、正座してお茶を注いだ。礼儀正しいなぁ。そういうの、どこで習うんだろ。


「沙緒里さん、妹の美結です。美結、この人が……」

「はじめまして。米倉沙緒里です」


 わたしは立ち上がってふたりを紹介したところ、沙緒里さんには遮られた。

 ついでにわたしは、沙緒里さんの隣に行った。ちょうど、ソファーに美結ひとり――わたしと沙緒里さんがテレビを背中に、美結と向かい合って床に座るかたちとなる。なんだ、この図は。

 沙緒里さんが、ソーサー付きのカップと、皿に移したロールケーキを美結に渡した。


「美香ねえ……じゃなかなった、姉の面倒を見て頂いて、ありがとうございます。……ところで、あの部屋にベッドが見当たりませんが、姉はどこで寝てるんですか?」


 美結は振り返った。

 寝室の方は閉まっていて、扉の開いたアミちゃんの部屋が――わたしのダンボール箱にもつも置いてあるけど――見えた。

 確かに、美結が言うような推察は出来る。鋭いな。


「お姉さんとは、一緒に寝てますけど」

「そんなの、ハレンチじゃないですか! あたしだって、もう一緒に寝てくれないのに!」


 さらりと沙緒里さんが答えたところ、美結が勢いよく立ち上がった。沙緒里さんはちょっとだけビクッとした。

 我が妹ながら、言動がイタすぎて姉のわたしが恥ずかしい。


「ちょっと。落ち着いて、美結。同棲だから……大人の恋愛は、これが普通なの」


 わたしは美結をなだめて、座らせた。

 まあ正直、あのベッドでふたりで寝るのは狭いと、前々から思ってた。部屋のレイアウト的に難しいかもしれないけど、キングサイズに替えて欲しい。もしくは、アミちゃんの部屋にわたしのベッド置かせて貰って、エッチ以外はそこで寝たい。


「大体、米倉さんは姉のこと、本当に好きなんですか? 確かに姉は、可愛くてか弱くて、守ってあげたくなりますよ? でも、それだけじゃないんですか? 本当に愛しているんですか?」


 沙緒里さんが、チラリと隣のわたしを見た。

 うう……視線がイタい。沙緒里さんが言いたいことは、わかります。わたしの姉としての立ち回りが秀逸だったから、美結はこうなったんです。


「はい。私は小林さんのこと好きですよ。愛しています」


 ちょっと、沙緒里さん! 本心じゃないのはわかりますけど、ぎこちなく言うと説得力が全然ありませんよ! 肝心のところキメないで、スベってどうするんですか!

 ていうか、それを抜きにしても、やらかしましたね!


「小林さん? ……あれ? 姉と付き合ってるんですよね? それなのに、名前で呼ばないんですか?」


 やっぱり、美結が食いついた。沙緒里さんをじろりと見た後、お茶を一口飲んだ。形勢逆転した気でいる……。

 不注意を突かれて、沙緒里さんも動揺してるのがわかった。もうっ、仕事はできるのに、ポンコツなんだから! ここは、わたしがフォローしないと。


「会社では隠してるから、名字で呼び合ってるの。ふたりっきりの時はなるべく名前にしてるけど……切り替えややこしいから、しょうがないじゃん」


 一部は事実だけど、苦しい言い訳になったと思う。

 それもこれも、まだ名前で呼んでくれない沙緒里さんが悪いんだから!


「美香ねえは黙ってて!」


 美結は一蹴した。お子様らしく、勢いだけはある。


「米倉さん……姉のどこが好きなんですか? 料理も洗濯も掃除もできない、うるさいだけのダメ女なんですよ?」


 そうやって、さり気なくお姉ちゃんのことバカにするの、やめてくれる?

 わたしは軽くヘコむ反面……沙緒里さんがどう答えるのか純粋に気になった。普段はそういうこと言わないから、余計に……。妹よ、よく訊いてくれた。ここだけは褒めよう。


「確かに料理も洗濯も掃除も出来ませんが、それは私が全部やります。別に、何かを返せなくても……貰ってばっかりでも、いいじゃないですか。恋人ってたぶん、そういうものだと思います」


 あれ? どこかで聞いたことのあるような台詞が……。


「それに、私はお姉さん……美香さんと一緒に居ると、楽しいです。私の方が美香さんから貰ってばっかりなんで……少しずつでも返していけたらと思ってます。美香さんが嬉しくなるように、楽しくなるように、頑張ります」


 沙緒里さんがわたしの方を向いて、はにかんだ。

 や、ヤバい……。とりあえず、超嬉しいんですけど……。わたしの方こそ恥ずかしくなって、俯いた。

 一緒に居て楽しい、か……。美結への回答というか、わたしの好きなところは、それになるんだよね? まあ、及第点かな。

 そりゃそうだ。こんなメンヘラのダメ女を相手してあげられるのなんて、世界でわたしぐらいだもん。


「わたしも、沙緒里さんと一緒に居ると……幸せですよ」


 わたしはメンヘラ演技で――儚い感じに沙緒里さんを見上げて、ぽつりと漏らした。あー、恥ずかしい!

 美人で、仕事ができて、泊めてくれて、身の回りの世話もしてくれて……こんなに都合の良い女、沙緒里さんの他に居ませんよ? これからも、わたしのために頑張ってください。

 まあ、これだけラブラブな様子を見せつけたら、バカ妹も納得するだろう。正面を見ると、美結が超イライラしながらロールケーキを食べていた。ウケるー。


「美香ねえには、あたしが居ないとダメなんです!」


 美結は鞄を持って立ち上がった。


「いいですか!? 美香ねえを泣かせることがあったら、許しませんからね!」


 そして、玄関まで向かって去っていった。

 最後まで敵意丸出しで、小物臭い捨て台詞まで吐いていくとは……恥ずかしい奴め。

 妹よ、あんたの出番はもう終わったの。お姉ちゃんはこれから、沙緒里さんに面倒見て貰うから、心配しないで。


「はー……疲れた。若いのに、凄い子だったな」


 ふたりっきりになると、沙緒里さんは脱力気味に姿勢をラクにした。

 そんな沙緒里さんにわたしは抱きついて、勢いで押し倒した。


「沙緒里さん、ありがとうございます! よく頑張りましたね!」


 頭をナデナデして、褒めてあげた。


「うん。キミのために、頑張ったよ……。ていうか、妹さんから慕われてたな。私はひとりっ子だから、ちょっと羨ましい」

「……言っときますけど、わたしは沙緒里さんの妹じゃないですからね?」

「どっちかというと、お姉ちゃんじゃないか?」


 沙緒里さんは恥じることなく、わたしに甘えるように抱きついた。

 こんな妹欲しいなって一瞬思ったけど、それはダメだ。やっぱり、恋人という体のアクセサリーじゃないと。


「美結に言ってくれたこと、嬉しかったです」

「別に……納得してくれたなら、それでいいじゃないか」


 沙緒里さんは照れくさそうに、視線を外した。

 あー、やっぱりあれが嘘偽りない本心だったんだ。超嬉しいんですけど! ニヤニヤが止まらないんですけど!

 照れてる沙緒里さん、可愛いなぁ。これはもう、いっぱいご褒美あげないと。

 わたしはリビングの床に寝転んだまま、沙緒里さんの頬に触れて――視線を戻して、キスをした。あっ、ヤバ……気持ちが昂ってたせいか、それだけでムラムラしてきた。


「とりあえず……ヤッちゃいますか」

「まだ昼間だぞ? 買い物にも行かないと」

「そんなこと言って、ヤりたいくせに……」


 ふたりで身体を起こして笑い合うと、寝室へと向かった。

 結局――エッチして小腹空いたからコンビニスイーツ食べて、またヤッてちょっと寝て、シャワー浴びて――午後八時過ぎ、ふたり共スウェット姿でスーパーまで買い物に行った。

 憂鬱だと思ってた週末だけど、ダラダラと楽しく過ごした。



(第03章『わたしの妹が同棲生活を壊そうとしてる』 完)


次回 第04章『公然猥褻罪だと私は思う』

沙緒里は美香と、ハロウィンにテーマパークへ遊びに行く。

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