5話。勇者アレスのもっとも大切な物を奪う
「なぁっ!? な、何者じゃ……?」
「お前が、魔王グリゼルダか?」
銀髪の少女が、俺を警戒した目で睨んだ。
俺が殴り飛ばした弟のアレスは、壁にめり込んでピクピク痙攣している。気絶したようだ。
闇の魔力を付与(エンチャント)して強化した拳を叩きつけた。その威力は、武術の達人も青ざめる域だ。
「……魔王じゃと? わらわは確かにグリゼルダであるが?」
少女は訝しげな声を出す。
彼女は俺の記憶にある魔王グリゼルダと、瓜二つではあるが、瞳の色が違っていた。魔王は赤い瞳をしていたが、この少女は海のような青い目だった。
だが名前と特徴が、ここまで一致しているなら、本人と断定して間違いないだろう。この少女がやがて魔王となるのだ。
「それじゃ、この娘がお前の親友のサーシャか?
なるほど……アレスのヤツ、胸糞悪いことしやがるな」
壁に張り付けにされた魔族の少女は、全身から血を流して息も絶え絶えだった。
放置しておけば、やがて死ぬだろう。
「でも、どうやら間に合ったみたいだな。良かった」
グリゼルダたちが屋敷内にいることはわかっていたが、場所が特定できなかった。そのため、やってくるまでに時間がかかってしまった。
アレスはふだん人の出入りの無い倉庫を、彼女らを閉じ込めるために使っていた。何人かの使用人に話を聞いて、ようやく特定できた。
「なに……? なぜ、わらわたちの名を知っておるのだ?」
「俺はカイ・オースティン。その質問に答えるより、治療が先だな」
サーシャが戯れに殺されることで、グリゼルダは魔王として覚醒する。
まずは、それを防ぐことが肝心だった。
俺はサーシャの頬に手を添えて、闇の回復魔法【ダーク・ヒール】を使った。魔族のような闇属性の者にとっては、効果てきめんの魔法だ。
たちまちサーシャの傷が癒えて、健康な白い肌を取り戻す。
「あっ、こ、これは……!?」
サーシャは驚愕に身を震わせた。
ボロボロに引き裂かれた服がそのままなので、目のやり場に困る。俺は慌てて目を反らした。
「な、なんと強大な闇の魔力じゃ!? それに、カイ・オースティンじゃと?」
「あっ、ああ……グリゼルダ、お前の傷も治してやる。それと、奴隷契約の魔法もかけられているんだな? これも解除だな」
かつての宿敵を救うのは、微妙な気分だった。
相対すると魔王の恐怖が蘇り、今にも襲われるのではないかと身構えてしまう。
だが、今、目の前にいるのは、多くの人間を虐殺した魔王ではなく無力な少女だ。奴隷にされた哀れな被害者に過ぎない。
「【ダーク・ヒール】。……【バインド・ブレイク】!」
俺は回復魔法と拘束破壊魔法【バインド・ブレイク】を立て続けに使った。
バッキキキキキン!
耳障りな音を立てて、少女たちを縛っていた手枷足枷が砕かれる。同時に奴隷契約魔法も破壊された。
破壊は、闇の魔法の十八番だ。
「なにッ!? き、消えた……わらわの傷も、忌まわしい奴隷契約も!? 一瞬で!?」
「グリゼルダ様、私も奴隷契約から解放されました!」
「な、なんとサーシャ、わらわたちは自由じゃ! やった! やったぞぉおお!」
少女たちは抱き合って、お互いの無事を喜び合った。
「グリゼルダ様、本当に本当に良かったです! 【魔族狩りのエルザ】に領地を奪われた時は、も、もうダメかと……ッ!」
「うむ! 本当はわらわも怖かったのじゃ! 父上にも申し訳なくて……お、おぐぅうううっ!」
ふたりは感極まって泣き出してしまった。
顔面をくしゃくしゃにしているグリゼルダには、魔王の貫禄など皆無だ。
サーシャの言葉に、俺は驚く。
「エルザだって? もしかして、【魔法剣士】のクラスのエルザか? 赤髪の?」
「そ、そうじゃが……知っておるのか?」
「知っているも何も。そいつとは、パーティーを組んでいたことがあるんだ」
エルザの名を聞き、怒りと憎しみが込み上げてくる。
そうか。グリゼルダほどの上位魔族が、囚われて奴隷に落とされたのは、あの女──勇者パーティーの一員となるエルザの仕業だったのか。
「えっ? ま、まさかカイ殿は、あのエルザ一党の仲間だったのですか?」
「そういう訳じゃない。むしろ、アイツの仲間だなんて思われたら、虫唾が走る」
大陸の南側3分の1は、魔族たちの領土だった。
この魔族領に侵入して、財産を略奪したり、魔族を奴隷にして売り飛ばすビジネスをしていたのが、エルザだ。
エルザは『金こそ全能の神』が口癖の拝金主義者だ。エルザは千人単位の冒険者たちを束ねて徒党を組み、魔族領を襲って巨万の富を築いていた。
魔族狩りのエルザ一党と言えば、1周目の世界では有名だった。その名声と実力を買われて、鳴り物入りで勇者パーティに入ったのだ。
エルザの今の年齢は、17歳だが……もう、そんなことをやっていたんだな。
「……いや、それよりも、お礼がまだじゃったな。カイ・オースティンよ。そなたは命の恩人じゃ。このグリゼルダ、深く感謝しようぞ!」
グリゼルダは長い銀髪を揺らして、深々と腰を折った。
魔王から礼を述べられるとは、摩訶不思議な気分だ。グリゼルダは意外と礼儀正しいのだな。
「しかし、おぬしは聖騎士団長ギース・オースティンの息子にして、勇者候補の筆頭ではなかったのか? わらわたちを助けるとは、一体、どういうつもりなのじゃ? 訳がわからぬ」
グリゼルダは小首を傾げた。
俺は右手の【暗黒の紋章】を掲げて見せる。
「俺は人間よりも魔族に近いと差別される【暗黒の紋章】持ちなんだ。俺は人間社会では、どこに行っても除け者にされる運命にある。なら、いっそ魔族の仲間になった方が幸せに生きられると考えて、助けたんだ」
「なるほど……おぬしは【黒魔術師】か? ぬっ? しかし、その歳でそこまでの位階(レベル)に達しているというのは……?」
「はい、グリゼルダ様、あきらかにおかしいです」
サーシャは不審そうに目を細めた。彼女はグリゼルダを背後に庇いながら告げる。
「カイ殿、今日があなたのクラス授与式ではありませんか? 正直に、申し上げます。実は私たちはあなたの弟のアレス殿から、クラス授与式の前にあなたを暗殺するように命令されていたのです」
「無論、拒否してやったがな。誇り高き魔界の貴族は、卑しい人間になど、決して従わぬのじゃ!」
グリゼルダが誇らしげに小さな胸を張った。
「アレスが俺を暗殺? まったく、アイツらしいというか、なんというか……」
魔王誕生の裏に、そのような事情があったとは驚きだった。
そんなくだらない理由から、アレスは魔王と人間の大戦争を引き起こしたのか。そのために、何万人の人間が殺され、罪無き人々が塗炭の苦しみにあえぐことになると思っていやがる。
俺の中で、怒りと憎悪が膨れ上がった。
激情のままに、アレスを殺してしまおうかと、一瞬思った。
だか、俺が弟を殺したと知ったら、コレットは心を痛めるに違いない。
こんなヤツのために、彼女の笑顔がかげるようなことがあっては理不尽だ。
俺はコレットを幸せにすると誓ったのだから。
そこで俺の腹は決まった。
当初の計画通りに、アレスには生き地獄を味わってもらう。
前世でアレスは、俺の命となにより大切なコレットを奪った。
なら俺もアレスのもっとも大切なモノ──勇者の身分を奪ってやろう。
俺は気を失ったアレスに近づくと、呪いをかけた。
『他人に危害を加えると、勇者の証である【光の紋章】が24時間、【暗黒の紋章】に見えるようになる幻術』だ。
勇者となったアレスは、その特権【万人は勇者に協力せよ】を使って、やりたい放題することになる。
気に入った貴族令嬢の屋敷に押し入って、手ごめにするような凶行を平気でやっていた。
貴族令嬢の両親は勇者の怒りに触れることを恐れ、『夕べは、お楽しみでしたね』と、おもねっていた。
『念願のフレイムソードを手に入れたぞ!』と魔法の剣を自慢していた冒険者を殺して、剣を強奪したこともあった。
どんな罪を犯しても、誰も文句を言えなかった。
アレスが人類の希望たる勇者だからだ。
だが、これからは違う。
アレスが他人に危害を加えた瞬間、栄光なる勇者の証【光の紋章】は、邪悪な【暗黒の紋章】に変わるのだ。
果たしてアレスはその時、どんな目に合わされるだろうか?
他人から奪っておいてお咎めなしなど、あり得ない。しっかりとその報いを受けるべきだ。
それに、もしアレスが勇者を騙った偽物となれば、実家のオースティン侯爵家の名誉も失墜する。いずれ父上は聖騎士団長を解任されることになるだろう。
名誉と体面を何よりも重んじる父上にとって、耐え難い苦痛となるに違いない。
俺の復讐、それは相手のもっとも大切なモノを奪うことだ。
「父上への復讐にもなって一石二鳥だな」
呪いをかけ終わると、俺は鼻を鳴らした。
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