神紋世界の口説き旅
新宮冊册
第一章 犬も食わない冒険録
暴走お嬢と偏愛従者(1)
――果てなき青に描くものこそ、夢である。
そんな風に、ある冒険者が語っていました。
どこまでも続く海、いつまでも廻る空。日々の傍らにあって、けれど意識の外にあるもの。そうした青を眺めたときに自然と頭に浮かぶものこそ、本当の夢であるのだと。
今まさに、オレの前にも一面の青が広がっていました。
「い~い天気ですねぇ……」
ようそろと行く船の上。
あきらめ混じりに、オレは海を眺めていました。
空が落ちてきたかのような青い海です。海面を泳ぐ魚の鱗は陽の暖かさを照り返し、まるで夜空の星のよう。すこし視線を上に向ければ、ふわりと膨らむ白い帆が、夏雲が風に追い立てられるように力強く船を引っ張っています。
ほんわかとする航海日和。
順風満帆、とはまさにこのこと。
「おいこらテメェ、そろそろ吐けよッ!」
「何のつもりで船に忍びこんだってんだ!」
「イスラフラッグの海賊を舐めんじゃねぇぞ! えェ?!」
――ここが海賊船でなければ、ですが。
悲しいことに、オレは現在、海賊に取り囲まれていました。
海を背にして両手を上げているにも関わらず、海賊たちは荒々しく、思い思いのやり方でオレを威圧しています。その数たるや甲板を埋め尽くしかねないほどで、抵抗するには少々厳しい状況です。
「いやぁ、そんな口説き方じゃ、落とせるもんも落とせねぇかと」
「だったらコイツで啼かせてやろうか?」
これは流石に、少々まずい。お許しいただけませんかの意味を込めて、にこっと海賊さんに微笑んでみましたが、にかっと笑い返されました。いいよ、の意味ではなく、だめだよ、の方です。まちがいなく。
そんなやり取りを重ねていると。
「密航者。おまえ、名前は?」
獣人が尋ねかけてきました。
全身がモフモフとした、二足歩行の狼です。頭には実に偉そうな海賊帽を被っており、よく陽を吸いそうな黒と灰色の毛並みをしていました。非常に見事な体格で、腕だけでも人間の頭ほどの太さがあります。
彼が出てきた途端、海賊たちのざわつきが静まったところを見るに、彼が海賊たちのリーダー格なのでしょう。船長さん、あるいは獣野郎と頭の中で呼ぶことにします。
「ランネル、と言います。天涯孤独なもんで、家名はありません」
「どこで忍び込んだ?」
「スティルベルの港で、夜のうちにこっそりと」
「そうかい。で、お前はいったい何者だ?」
注意深く探る獣の瞳に、オレの姿が映っていました。
褐色の肌に土色の髪。背丈は平均よりかは高い程度。衣服のほうは機能を優先したもので、ポケットの多い
「盗人だったら海賊船は狙わねぇな。同業や船乗りも同じ理由でナシ。スティルベルの衛視が乗り込む理由もねぇ。それに、これだけ実戦的に鍛えられてるとなりゃあ……ランネルさんよ。お前、もしかして――冒険者か?」
冒険者。
浪漫のために命を賭ける、未知と夢とを旅するものたち。剣を携え魔物と戦う自警団めいた討伐作業から、古代遺跡や未開地の冒険まで、その役割は多岐に及びます。
彼らであれば、海賊船に忍び込むなんて無茶をしてもおかしくない。
そう思ったのでしょうが――
「あー、その質問にはちょっと答えづらいというか、なんというか」
「沈めちまうぞ?」
「勘弁してください、カナヅチなんです」
だったら話せ、と船長さんに顎で促されます。
「オレはただの従者ですよ。スティルベルに住む、とあるお嬢様の」
「お嬢様ぁ? あのド田舎島国にか」
「気持ちはわかりますが、居るんですよ、これが。朝の身だしなみや、突拍子もないワガママの対応。色目を使う悪い虫たちの闇討ちに、彼女がうっかり引き起こした乱闘騒ぎの始末まで、なんでもするのがオレの仕事って訳です」
「まて、物騒なモンがなかったか?」
「お転婆な方ですんで」
「……まぁ、いい。で、その従者がどうしてこの船に?」
獣らしくギラつく瞳。
ウソをつけばお前を食ってやる、目玉がいちばん美味いんだ! なぁんて思っているかは分かりませんが、誤魔化せばタダじゃ済まないのは確かでしょう。
仕方なく、正直に目的を話すことに決めました。
「お嬢のために、この船をいただこうと思いまして」
時間稼ぎも十分でしょうし?
「あぁ? ……ッ?!」
船長さんが目を見開いて飛び退きました。
その反応も当然です。
なにせ、空から炎が降ってきたのですから。
「火薬でも油でもねぇってなると……紋章術か!」
炎が次々に甲板へと落ちてきました。
ロープや積荷が火に巻かれ、直撃を受けた海賊たちがたまらず海に飛び込んでいきます。いまや甲板は嵐でも来たかのような混乱具合です。
当然ながら、オレを見張る余裕などなく――
「それじゃ、ちょいと失礼しちゃいますよ、っとぉッ!」
「なッ、うぉッ?!」「このや、ろぉおお?!」「こいつ、はやッ……!」
手薄な場所へと拳を構えて突っ込みます。
まずは顔面。次に顎。殴って蹴って躱して蹴って。これでもそこそこ揉まれてますから、海賊なんかにゃ負けません。雑魚に悲鳴を歌わせながら、取られた荷物を探します。
「お、あったあった。いやぁ、海に捨てられてなくてなによりです」
船の隅にまとめられた荷物のなかに、オレの獲物を見つけました。
剣でも槍でも、ましてや弓でもありません。
身の丈ほどの長棍です。
よくしなる赤木を芯に持ち、軽くて硬い
「やっぱコレが無いと落ち着かないですから、ねぇッ!」
棍の一閃で海賊たちを吹き飛ばしつつ、甲板の状況を探ります。
炎はいまも絶え間なく降っていました。威嚇めいた威力ですが、海賊たちを混乱させるには十分。いまや甲板はパニック状態で、積荷の移動や船の消火に、てんやわんやといった有り様です。
「テメェら落ち着け! 消化は最低限でいい、火元を狙え!」
唯一冷静な船長さんが、火元――帆柱のてっぺんを指差していました。。
「石でも紋章術でも何でも使え! ただし柱は折るんじゃねぇぞ!」
声に従い、海賊たちは攻撃を開始。
投石や弩。少ないながらも、紋章術の炎まで。取り得る限りの飛び道具が、帆柱の上へと向けて放たれていきます。
しかし、その程度の攻撃では、彼女を止めるには足りません。降り注ぐ炎に蹴散らされ、石も術も、なにもかもが散っていきます。それどころか、炎がますます激しく放たれ、海賊たちはふたたびパニックに陥りつつありました。
正直なところ、オレも不安でいっぱいでした。
「この船が沈んだらオレたちも溺れるって、お嬢は分かってるんですかね……?」
この炎の主は非常に賢い方ですが、興奮すると手が付けられない人でもあります。そういうところも可愛いのですが、海を漂流する羽目になるなど、二度と御免です。
嫌な想像に、冷や汗が滲み出した頃。
「さーぁさぁさぁさぁ! こっちを見なさい、海賊たちぃ!」
眩い声が帆柱から降ってきました。
その場の全員が声の主を見上げます。
そこが世界の中心でした。
なんたって、太陽がそこに居るのですから。
「この冒険者、エイル=シーカーの勇士をとくと焼き付けるのよ!」
エイルの――お嬢の眩しさたるや!
どんな珊瑚よりも鮮やかな赤髪。白砂のごとく細やかな肌。翡翠の瞳はほんのり吊り目で、自由奔放な彼女の気質を表しているかのよう。
その玉体を飾るのは、彼女が祖父から授かったという、ぶかぶかサイズの
それはつまり、いまも炎を放っている、ということで。
「わッ、た、っとッ! ちょっとお嬢、オレまで巻き込まれますって!」
とびっきりの大声に、お嬢はやっと気付いたご様子。彼女はオレを見下ろし、いやーな予感のする笑みを浮かべると、帆柱から身を乗り出して――
……乗り出して?!
「ちょッ――」
「ちゃあんと捕まえてよね、ラン!」
叫ぶ間もなく飛び降りました。
オレを十人重ねても足りない高さから、です。
あのお転婆は、まーたヒヤヒヤすることを!
「ちょいと一撫でお借りしますよ。風の
想いを込めて呟くと同時。
右手の紋章が淡く光を放ち――
「《
お嬢の身体を柔い風が包みます。
それは着地の間際に咲いて、お嬢を浮かびあがらせました。踊りに誘うかのように手を引いて甲板に降ろしてやると、彼女は満足そうに笑いました。人をハラハラさせておいて、ほんと無茶苦茶な人なんですから。
「さっすがランね、上出来じゃない」
「お褒めにあずかり光栄ですが、無茶はほどほどにお願いしますね」
「無茶なんてひとつもしてないわよ?」
かわいく首を傾げるお嬢。
ほっぺを抓りたくなりますが我慢します。
「あー……はいはい、そうですね。マストから飛び降りるくらい、お嬢にとっては無茶に入らねぇんでした。七年前から、苦労させられっぱなしですよ。ほんと」
「む。なぁによネチネチと。冒険者ってこういうものでしょ?」
「いやぁ、それは本のなかだけじゃねぇかと」
「でも、本で見たようなことになってるわよ?」
「はい?」
振り返ると、例のもふもふ船長さんが、海賊を束ねてこちらを囲んでいました。ずいぶん暴れて見せたせいか、先ほどよりも油断がありません。一手対応を間違うだけで、全員で飛びかかってきそうです。
「……さっきの風は紋章術か。テメェ、わざと捕まってたな?」
「えぇ、踊神ダリオンに好かれているもんで」
「はッ、好色の神か」
紋章とは、神々の加護を受けた証。
この世界に住まう数多の神々は、己の望む生き様を示したものに、紋章という形で加護を与えます。たとえば、オレの紋章は、愛に生きる者が授かる紋章。オレがお嬢を想っているからこそ、加護を与えてくれたのです。
誰にでも宿る力ではありませんが、そこまで珍しいものでもありません。
十人いれば一人か二人は、何らかの紋章を宿しているもの。お嬢は我欲の神たる炎神アディエラの加護を受けていますし、目の前の船長さんは獣神ディーガルの加護により獣に変じた獣人です。
そして、紋章には、神の力を引き出す道としての機能もあります。
それこそが《紋章術》と呼ばれる力でした。
「……で、改めて聞くが、お前らの目的は?」
「イスラフラッグに行きたいの!」
元気の良い声が、殺伐として空気をぶち壊します。
「略奪と航海の国。海賊たちの島。無法なりしイスラフラッグ!」
お嬢が剣で示した帆柱の先。ゆらめく海賊旗に描かれているのは、寄り集まった髑髏で出来た船の意匠でした。それを国旗として掲げるイスラフラッグという国が、オレたちの目的地なのです。
「で、そのために忍び込んだんだけど、ランが見つかっちゃって」
「アンタが船内を探検したい、なんて言い出したからですけどね?」
「で、こうなっちゃったってワケ!」
「聞こえてます?」
都合の良い耳には聞こえていない様子。
まぁ、問題ありません。お嬢が話を聞かないなんて常のこと。
どこまでも突っ走る人ですから、振り回されるのにも慣れています。
しかし、初めての方には刺激が強かったようで。
「あー……ちょっと整理させてくれ?」
船長さんは耳と尻尾をぺたりと落とし、頭を抱え込んでしまいました。
「つまり、なんだ。イイとこのお嬢様が相乗り希望で乗り込んだが、無賃乗船がバレて捕まったってトコか。頭は痛いが理解した。そのうえで聞くぞ。俺たちは海賊だが、スティルベルの船は襲ってない。それはわかってるな?」
「もちろん! うちに来る船の事情くらい、把握してるわ」
「そうかいそうかい。だったら答えて欲しいんだが。なんでここまで暴れたんだ?」
船長さんが甲板を指し示します。
焼け焦げたロープ。穴の空いたセイル。真っ黒に煤けた甲板。航行不能とまではいきませんが、相当な被害です。たしかに相乗りだけが目的ならば、こうも暴れる必要はありません。
けれど仕方が無いのです。
人魚の国より深く、天竜の山よりも高い、切実な理由があるのですから。
「その方が楽しそうだったから!」
「楽しそうな顔が見れそうでしたので」
不意にぴたりと風が止み、海がぽかんと凪ぎました。
いまさらながら、ちょっぴり後悔していましたが、お嬢はそうでもありません。呑気で可愛らしいことに、どうして黙り込んじゃったのかしら、と首を傾げています。
一方、船長さんは額に青筋を浮かび上がらせ。
「野郎ども」
「「「へい、船長!」」」
「やっちまえ。ただし女は殺すなよ!」
雄叫び。突貫。大乱闘。
海賊たちが、波のように押し寄せてきました。
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