08_暗躍する者

 影ビトにあったのはここらが開拓され始めてすぐのことだった。狩猟中だった俺は森の深くまで入り、獲物を探していた。


 しばらくして見つけた鹿を遠くから矢で狙撃しようと手近の木に登った。弓を構え、精神を集中して狙いをつける。茂みに遮られているためにまだ向こうは俺に気づいていない。…まだ。…まだだ。矢を引き絞り、時を待つ。感覚が研ぎ澄まされ手先と眼球の感覚が鋭くなるのを感じる。すると獲物が茂みから顔を上げた。すかさず矢を放ち、仕留める。

「…ふう」

 精神の緊張が溶けて筋肉が弛緩するのを意識する。それから大きく深呼吸をした。


「君、うまいねぇ」

 不意に発された右隣からの声にびくりとし反射的に腰からナイフを引き抜き、後ろに飛び退く。

「そんな物騒なもの出さなくてもいいじゃないか。今の人類ってあれかい?褒めたら臨戦態勢になるのかい?」

 そんなことはない。しかし、何もない場所から突然現れて話しかけてくるような人は警戒して然るべきだろう。

 距離を取ってからよくよく見ると、それは黒い色をした人型のシルエットに異様なほど口角が上がった白い口だけがあるおおよそ人とは思えない姿をしていた。

「マジマジとみてどうしたんだい。顔に何かついてるかい。…ああ、そういえば今は顔なかったっけ」

 右手で頭を掻く動作をしながら異形は笑った。ただでさえ歪んでいる口元がさらにぐにゃりと曲がる。

「しっけぇ、しっけぇ。珍しいもんだから、じっと見いっちまったぜ」

 あいつがなんであれ、こちらに危害を咥えるのか、そうでないのかは今ここで判断しておく必要がある。俺はそう考えて会話を続けることにした。

「いやぁ、それにしてもさっきの一射はすごかった。お見事だよ、お見事」

「そりゃ、どうも。これでも生活がかかってるんでな」

「ほんと、この前大陸に渡ってきたにしては出来過ぎなくらいだ」

「なんでそんなことがわかる」

 俺は露骨な警戒心を異形に向ける。こんな人間は見たことがない。たった今あっただけであればそんなことは知らないはずだ。その言葉には俺たちをどこからか見ていないと辿り着かない。

 それにニュアンスと汲み取るとまるで昔からこの大陸にいたかのようであった。

「あっと、口が滑ったぁ」

 そいつはアハハハッとふざけたような笑いを続ける。

「…はぁ」

 ひとしきり笑ったかと思うと今度は急にため息をつく。それが奴の不気味さを一層引き立てた。俺はナイフを構えたまま、相手の動きに注視する。

「僕はねぇ、君たちを観察していたんだ。君が思った通りだよ。いやぁ、二千五百年ぶりくらいにワクワクさせられたよ」

 今度は顔と思われる場所を右手で覆い、ケラケラと笑っている。反応がいちいち大きいのはこいつの性分なのだろうか。


「この世界は、人間はちょっと前まで面白みがなかったんだよね。文明が栄えてから幾星霜、狩りをしていた猿は知恵を磨いた後ただの社会という自動機関を作ってしまった。僅かに続いていた小競り合いも千年前に終結。あの海上都市なんてヘンテコなの作ってさぁ…。ただ毎日を送るだけなんて…」


 両手を掲げ、つまらなそうにため息をつくような仕草をした。こいつは…危険だ。思考は最もだが、醸し出す雰囲気が身の危険を感じさせる。言動に無理やり人間味をねじ込んで話しているようなわざとらしさがあるように感じる。

 本来なら、一目散で逃げるべきなのだろうが本能がそれを妨げた。俺の直感が「逃げるな。」とそう語りかけてくる。

「……なぁ、陸。君はこの世界をどう思う。面白いかい。楽しいかい。苦しいかい。どうなんだい」


 暫しの沈黙の後、異形は声高にして俺に問う。俺の名前を知っていることに驚いたが突然の質問に解がすぐに見つからない。

「…生きるのに精一杯なんでそんなこと感じる余裕もなかったな。…それにこの火のせいで友達と妹ともはぐれちまった…」

 俺は流火のある方角を見ながら、答えがまとまらないままゆっくりと言葉を紡いだ。

「なぁ、それも大事だがお前は何者だ」

 視線を目の前にあるシルエットに戻して睨む。俺は「今の人類」、「この世界」、「人間は」という言葉の使い方に引っかかりを覚えていた。それに千年規模の話ばかり。会話の展開にしては飛び越え過ぎだ。それに人がそんなに長い間生きていられるはずがない。しかし、眼前のそれはまるで全て見てきたかのような言い草をしていくる。複数の思考が乱立し、頭が重くなるのを感じる。

「なんだい、急に。僕は少し君に聞いてみたかっただけさ。『何者だ。』なんて乱暴な言い方じゃ僕は何も教えないよ−だ」

 すると異形がそれまで纏っていた不気味かつ陽気な雰囲気が剣呑なものに変質し、周囲の木々が騒つかせ始める。

「…まぁ、戯れはこれくらいにしておいて。実はね、僕の体がそろそろ朽ちそうなんだ。君はいい。すごくいい。生前の僕の体とピッタリだ。それにいい目を持っている。だから…」


「君の体、ちょうだいよ」


 刹那、目の前のそれは右手を勢いよく横凪にする。次の瞬間、俺の体は宙を浮いていた。…何が起こった、と戦慄する間もなく落下が始まる。

 落ちる最中、視界が捉えた木に右手に握るナイフを突き立て落下速度を減退することに成功し、背中から落ちる形で致命傷を免れる。

「っつぅ」

 体に響く衝撃で肺が圧迫され、息が零れた。目眩に襲われるが、それを振り切り体勢を立て直す。次に相手の出方見るために異形を注視した。

「目もいいけど、やはり体もいい動きをするなぁ。次はこんなのはどうだい?」

 舌なめずりをしながら、今度は右手で空気を縦に割くような動作をする。するとその軌道に沿って炎が生まれ、俺のいる方向に迫ってくる。体を限界まで捩って半身になりながら炎を躱し、瞬時に体勢を立て直す。

「ほら、ほら、ほら!」

 俺が焦点を異形に合わせると共に右手と左手を無茶苦茶に振るって、次々と炎が生み出される。それを辛くも避け続け、相手と木で遮るような形を取った。刹那の間で息を整えて言葉を異形に叫ぶ。

「再度、問う。お前は何者だ!なぜ、俺の体を狙う!」

「はぁ…。またそれかい。でも、いいよ。どーせ、君は僕のものになるんだし。それにさっきのを避けたご褒美も上げなきゃね。まず…あれだね。僕が何者かだったね。」

 すると先程の奇妙な雰囲気に戻り、攻撃行動が鳴りを潜める。

「ゆうなれば、昔は神様、今は破壊の使徒、ってかんじ?。う〜ん。表現が難しいね。じゃあ次だ。君の体が欲しいのは僕の体が朽ちそうだから。何十年かの周期で体を変えないと僕は消えてしまうのさ」

 木の影から片目で覗くと僅かに黒い煤のようなものが体から落ちているのが見て取れた。なるほど、到底信じられることではないが「体を乗り変えること」で何千年という時間を生きてきたのなら先刻の話にも道理が通る。

…奇想天外にも度があるが。


「…ああ。そうそう。ご褒美だ、ご褒美。忘れてた。君たちが流火と呼ぶあれだけどね。やったの僕だ。君たちの都市を崩壊させたのも僕。まああれをやったのは大毒蛇だから僕は間接的に、だけどね」

 俺は言葉の咀嚼と共に沸き上がる情動を無理やり押さえつける。居場所がバレたらしまいだ。今出ていけば確実にやられる。

 体が奪われるには捕縛されるのは確実。生身か死体かはわからないな。さっきの攻撃が真面に当たれば即死は確実。それが現状の俺に推察できることだった。

 どうすればこの状況から逃げ出せる?

 考えろ、頭を使え!


 俺は絶望的な状況を前にして凍りかかっている思考を加速させる。周囲を見回し、耳を立て、さらには相手を見据え、情報を整理する。

 まず、相手はどこからともなく火を出したり、風を招いたりできる。いわば、魔法使い。もしかしたら他にも手があるかもしれない。それから半不死身。ただ不死なのは魂だけで体はそこまで強くない。さらに今に至っては朽ちかけている。

 …そういえば、あいつは俺に対して攻撃を仕掛けた時から一歩もその場から動いていない。ということは、動くことも難しいほど体に限界が来ているのかもしれない。

 その間にも異形が放った炎は森を食しながら燃え盛り、周りの温度が徐々に上がり始めた。このままでは炙り出されるのは時間の問題だ。

 「何処だーい。りぃーくく〜ん。そろそろ〜くれる気に〜なったか〜い」

 ああ、くそ。やるつもりは毛頭ない。しかし、事実と推測だけが浮き彫りになり、有効な策が講じられないまま時間だけが過ぎていく。

 何か、何かないか。いや、あってくれ。出ないと俺は死んじまう。最悪、体を盗られて人類滅亡だ。せめてあいつらの生死がわかるまでは…。

 その考えが脳裏に過ぎった瞬間、目が遥か遠くの灯を捉えた。あの灯、僅かに動いている。なら、こっからは賭けだ。俺は血で赤く染まった服の一部を割いて矢の先端に結ぶ。

「俺はここにいるぞ。クソ野郎」

 相手が俺のいる方向から背を向けた時を狙って叫んだ。瞬時に矢を番、射出する。

「こんなの僕には効かないよ」

 異形は呆れたような声を出しながら、体に当たる寸前で粉々にする。

 瞬間、異形は慄いたように見えた。


 破壊されたはずの矢がいまだにこちらに向かって飛んできていたのだから。


 この距離じゃ魔術も間に合わない。異形は当たることを嫌い、体から異音を唸らせ、反らせることで矢を避ける。

「いやあ。今のは危なかった。まさか一本目の軌道に二本目の矢を隠すなんて。偶然か、はたまた必然か。肝が据わってる。恐ろしいね、君は。ますます気に入ったよ。でも、残念。僕は避けた。避けられてしまった。これで万策尽きたかな」

 アハハハハッと耳をつん裂くような嘲笑が森の中を駆け巡り、なんの警戒もせずにこちらに歩いてくる。ゆっくりとけれど確実に。俺は矢を乱れ打ちながら後退する。…体にふらつきは見られるものの致命傷には至っていないようだ。

「悪あがきかい。僕そういうの大好きだよ」

 そう言いながら、向かい来る矢を一つ残らず撃墜していく。

「ん、んん?まだやるのかい。がんばるねぇ」

「………」

 俺は口を閉ざし、ひたすら撃ち続ける。

「…そろそろいいかなぁ。もう飽きたよ」

 気分を害した異形が苛立つのを感じた瞬間、俺は吹っ飛ばされ木に叩きつけられる。あいつから発せられた衝撃波をもろに受けたのだ。今度は先程のように受け身が取れず、背中に激しい痛みが生じる。意識が朦朧として瞼に力が入らない。

「君の負け。君の体は僕がしっかりと使い込んであげるよ」

 勝ちを確信した声色のする方へ、血で滲みボヤッとした視界の中で見上げる。刹那、視界の端に明滅する何かが目に入った。奴の背後にあるそれは徐々に大きくなり、段々と増えているのがわかる。


「ざん…ねんだったな。俺の勝ち…だ」


 俺は右手を持ち上げ指を掲げる。後ろをみろ、そういう意図を乗せて。

 異形の後ろに近付いていたのは俺の狩猟部隊。総数二十。

「くそっ。この分じゃ、儀式は無理か」

 短い舌打ちと共に光を拒絶する黒は霧散し、一帯から消えた。


 狩りの時は事前に遠方への指示の手段として赤→危険、緑→狩場として最適、黄色→安全地帯という風に色別の布を使って誰でもわかるようにしていた。

 本来は高い木の枝に括り付けて印のような機能をさせるのだが今回、俺は赤い布、つまり危険の意味を含んだ矢を仲間のいる方に放つことで呼び寄せることが最大の目的であり、賭けだった。俺は仲間の姿を視認したときにドッと疲労感が訪れ、意識を失った。

 

 以来、不思議なことに影ビトと命名されたそれを見た人はいない。流火と影ビト。今のベースはこの二つを警戒せざる終えなくなった。

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