第19話 【ざまあ回】いまさら戻れと言われてましても
「フ、フレドリック様……?」
「そこの行商人。悪いが、この娘は連れて帰らせてもらう。異議申し立てがあるなら聖王国に連絡を寄越すがよい。慰謝料を支払うよう、私から取り計らってやろう」
フレドリック様が、取り付く島もないといった様子で、アスラン様に命令口調でピシャリと言い渡す。
「――それは、困りましたね」
そう言うと、アスラン様はわたしを庇うように、すっと後ろに下がらせてくれた。
レイヴンが、フレドリック様に向かって、聞いたこともないような唸り声をあげている。
「彼女は、もう僕の婚約者なんですよね。君こそ、異議申し立てがあるなら、帝国に正式に連絡をくれるかな?」
言いながら、アスラン様はフレドリック様に向かって、ことさらに見せつけるよう前髪をかき上げた。
「なっ……」
「やあ。久しぶりだね従兄弟殿。まさか、僕の顔を忘れたとか言わないよね?」
「アスラン……皇子」
「後継者の戴冠式はとっくに終わってるから、正確には皇太子だけど」
アスラン様の正体に気づいたフレドリック様が、かつて今まで、わたしが見たことのないくらいの動揺した表情を見せた。
「さて。属国の王子が、帝国の皇太子の婚約者を連れていくと言うんだ。それなりの理由を示してもらわないと」
「しかし……、それはもともと、私の婚約者で……!」
「婚約破棄を言い渡したのは、君の方からだって聞いたけど」
「……!」
「聖女詐称だって言って、彼女を聖王国から追放したってことも」
アスラン様が、完膚なきまでにフレドリック様を言い負かしていく。
「それは……っ。……わ、私の早計で、彼女に対して、誤った判断を下してしまいました……」
「ふうん? じゃあ君は、エステルが聖女だって認めるんだ」
「……」
「他にも余罪はあるんだけどね。きみ、僕がエステルを連れて帝国に向かっている間に、僕らが何回襲撃を受けたか知ってる?」
悠然と、アスラン様がフレドリック様を追い詰める。
帝国への移動中に襲撃があったことを知らなかったわたしは、思わずその言葉に反応するが、アスラン様が軽くこちらを振り返り、「その話はあとでね」とでも言うかのように、にっこりとかわされた。
そして――。
「来い」
「は」
アスラン様が片手を上げて一言呟くと、どこからともなく黒装束の男の人がさっと現れた。
「片付いたか?」
「何人かは取り逃しましたが、あらかたは」
「そうか」
そう言うと、アスラン様が再びフレドリック様に向き直る。
「きみが悪さをしようと周囲に控えさせていた手勢は、あらかたこちらで捕らえさせてもらった。さて……」
どうする?
おとなしく捕まるか、無駄だと知りつつ抗うか。
「くっ……」
アスラン様の最後通告に、フレドリック様が悔しげにうめいて……、観念して、地面に両膝をついた。
それをきっかけに、どこに控えていたのか、帝国の騎士らしき人たちがわらわらとフレドリック様を囲み、あっという間にフレドリック様を捕らえてしまった。
「エステル……! くそっ……、くそが! お前のせいで! お前がいなければ……! 一生恨んでやる! エステル、覚えてろよ! お前だけ、幸せになれるなんて思うなよ!」
フレドリック様は、わたしに向かってあらん限りの罵声を浴びせながら、騎士たちに引き連れられていく。
「いいか、覚えてろよ……、お前を、一生呪って……、痛っ!!!」
突然痛がるフレドリック様に何事かと思うと、いつのまにかわたしがリードを離してしまっていたレイヴンが、フレドリック様のところまで駆けて、その足に噛み付いていたのだった。
「れ、レイヴン……!」
「ごめん、エステル」
アスラン様がそう言うと、レイヴンを追いかけるため駆け出そうとしていたわたしを、後ろからふわりと抱きしめた。
「エステルを傷つけたいわけじゃなかったのに。結果的にエステルを泣かせてしまった……」
「あ、え……?」
わたしはその時になってようやく、自分が泣いていることに気がついた。
「街に出てきてから、彼がずっとつけてきていることは気づいてたんだ。エステルに気づかれないように排除しようかどうか、ずっと迷いながら――結局僕は自分のエゴで。エステルの目の前で、彼に罰を与えてやりたかったんだ」
「……な、なにをですか?」
「エステルを傷つけた罰を、エステルの目の前で、仕返ししたかった。彼の選択が間違っていたことも、エステルが本当に価値のある人間だってことも――見せつけてやりたかった」
まさかあんな、最後の最後まで女性に罵声を浴びせるような、品位のない人間にまで成り下がってるなんて思わなかったのだと。
そう言うアスラン様は、むしろ、わたしよりも自分の方が落ち込んでいるように見えた。
「アスラン様」
「うん……」
「そんなことを言うなら、わたしもきっと品位のない人間です。だってわたし……、わたしは、アスラン様がフレドリック様を言い負かしている時、とっても気持ちがスッとしたんですから」
「エステル……」
「嬉しかったんです、わたし。アスラン様がわたしのことを、こうして守ってくれて」
アスラン様が、わたしのことをちゃんと大切に思っていてくれていることが、そうして今、こうやってわたしのために胸を痛めてくれていることが。
――とっても嬉しくて、とても、愛しい。
「アスラン様……、あの、わたし……」
……頑張れ。
恥ずかしがってばかりいないで、勇気を出すんだ、わたし。
照れ臭い気持ちを押さえつけて、いま、言うべき言葉を伝えるために、ありったけの勇気を振り絞る。
「だ、だ……。大好き、です……。わたしのことを見つけてくださって、大切にしてくれて、ありがとうございます……」
「エステル……!」
アスラン様が、再びわたしをぎゅっと力強く抱きしめる。
「……エステルに、はじめて好きだって言われた」
「……は、はい……」
いいのだろうかと躊躇しながら、わたしは、遠慮がちにアスラン様の背中に手を伸ばす。
「ああ……、ごめん。いま、すっごくキスしたい。エステルの気持ちの準備ができるまでって決めたのに……」
「あ、アスラン様……!?」
わたしの耳元で、アスラン様が切なそうな吐息を漏らす。それを耳にしたわたしも、なんだか堪らない気持ちになって、少し体を離して、アスラン様の顔を覗き込む。
――そこには、うるうると潤んだ、アメジストの瞳が目の前にあって。
あっ、と思うまもなく、アスラン様の唇が、わたしの唇の端っこを掠めていった。
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