第六章 家族

新たな生命-1

 レオナルドが船に戻り、コバルト号は喜びに包まれた。白虎の仲間の釈放も伝えられ、ハリソンは眼鏡を外し、暫く目元を押さえていた。

 目的は達成された。今後のことも考えなければならないが、今はこの祝福に水を差すこともないだろう。宴は三日三晩続いた。恩赦の影響でたんぽぽ海賊団の手配書は取り下げられており、セントラルに船を泊め、街を闊歩していても、何を言われることも無かった。


「カスミーィ! こっちで飲もうぜ!」

「もう、私はまだお酒飲めませんってば」

「なんだよ、いいじゃねぇか。すっかり顔色も戻ったろ」


 昼間から上甲板で酒盛りをしているラコットに声をかけられて、奏澄は軽い調子で躱した。すっかり元気になったように見えるが、食事を取らない期間も随分続いた。胃腸が弱っているから、と奏澄は宴の間も一度も酒を口にしなかった。実際、時折具合が悪そうにしている姿も見られた。


「カスミ、ちょっといいかな」

「はーい! アントーニオさんが呼んでるので、もう行きますね」

「つれねぇなぁ」


 夕食の仕込みを手伝ってほしい、と言われ、奏澄はアントーニオと厨房で作業をすることにした。

 黙々と皮を剥く奏澄は、ちらりとアントーニオの顔を窺う。体調を理由に、奏澄は乗組員たちとは別のメニューを口にしていた。それはだいぶ回復したと思われる今もまだ続いている。


「どうかした?」


 視線に気づかれたのか、アントーニオの方から声をかけられて、奏澄はどきりとした。


「え……っと、その。ちょっと、気になって」

「うん?」

「アントーニオさん、もしかして、ハリソン先生から……何か、聞いてます?」

「うーん……まぁ、コックだからね、ぼく」

「ですよねぇー……!」


 自分の予想が当たっていたことに、気恥ずかしさと気まずさがあって、奏澄は視線を逸らした。

 考えてみれば当然のことだ。これについては、ハリソンを責められない。食事の管理は絶対に必要なことだし、あの時の奏澄に、誰に伝えて誰に隠して、などという判断はつかなかった。最低限の根回しをしてくれたのだろう。


「メイズさんには?」

「一応、これから、タイミングを見て」

「早い方がいいよ。仕方ないとはいえ、自分より先に仲間が知ってるって、面白くないでしょ」

「ぐぅ……!」


 正論すぎて返す言葉が無い。呻いた奏澄に、アントーニオが笑った。




 その日の夜、奏澄はメイズを自室に呼んだ。どことなく緊張した面持ちのメイズに、奏澄は申し訳なく思った。色々と、気をつかわせているのだろう。

 あの日のことを話すと思っているのかもしれない。それができないことにもまた、申し訳なさが募った。

 メイズに椅子を勧めて、奏澄はベッドに座った。


「やっと落ちついてきたね」

「そうだな」

「たんぽぽ海賊団の仲間も、みんな揃ったし。これからどうしよっか。四大海賊の人たちにあいさつ回りとか、した方がいいかな? 色々協力してもらったもんね」

「ああ……それもいいかもしれないな」

「みんな、付いてきてくれるかな」

「お前が言えば、来るだろう」

「そうだといいなぁ」


 軽く笑った奏澄に、メイズも僅かに微笑んだ。空気が緩んだことにほっとして、奏澄は本題を切り出す。


「あのね。メイズに、ちょっとした報告があって」

「報告?」


 珍しい言い方に首を傾げるメイズに、奏澄は悟られないように軽く深呼吸した。なんだかんだで、自分も緊張しているのだ。

 大丈夫。この人は、拒絶したりしない。大丈夫。

 言い聞かせて、口を開く。


「子どもができたの」


 言って、じっと目を見る。メイズの返答を待つが、何も言わない。


「あの……大丈夫? 意味飲み込めてる? えと、妊娠した、って報告なんだけど」


 駄目だ。石像のように固まっている。そこまで衝撃を受けるようなことだろうか。

 手放しで喜んでくれるとまでは期待していなかったが、こうも想定外でした、という態度を取られると、それはそれで複雑である。


 セックスをすれば子どもができる。そんな当たり前のことを、何故考えずにいられるのだろう。

 奏澄の時代の技術を用いても、百パーセント避妊する方法は無い。パイプカットなど体に手を加えれば別だが、一般的に普及しているコンドームやピルでは確実に防げないことなど、女性の間では既に常識として浸透している。

 だから女性はいつもその可能性を頭に置いている。どんなに気をつけていても、妊娠するときはする。万が一の時の対処法を考えている。だというのに、何故か男性は妊娠を『突然』だと受け止める。そしてまるで自分が被害者であるかのように宣うことすらある。

 父親に『されてしまった』。『失敗』した。本当に『自分の子』か。

 特に最後は、自分は避妊していたのだから妊娠などするはずがない、という思い込みが隠れている。だから、避妊しない他の男としたのだろうと。無知ゆえの言葉で相手を傷つけることよりも、自分の保身を優先している、最低の発言といえよう。


 メイズの場合は、無知は仕方ない。教育の場も、教えてくれる人も、自ら学べる機会すらも無かったのだから。それでも、以前からセックスはしていたのだから、まさか子どもの作り方を知らないということは無いだろう。避妊することを教えなかったのは奏澄の責任だが、教えなければその可能性に全く思い至らないというのも不思議な話である。彼は娼婦の子どもだったのだから、尚更。

 確率で言えば、誰にとっても妊娠はその時期を正確に予期できるものではない。そういった意味では、誰にでも等しく『突然』の出来事だ。

 だからこそ。それに直面した時、その回答がどうあるかは、彼自身の本質が出るだろう。


 自身の罪にも自覚がある奏澄は、満点の回答は望まないから、せめて最悪の回答だけは避けてくれ、と祈っていた。

 メイズが、固まっていた口を開く。心臓が、うるさく音を立てていた。


「……いつ」


 ガツン、と殴られた気分だった。これは、かなり、最低寄りの発言じゃないだろうか。

 時期を気にするということは、自分以外の可能性を疑っているということだ。


「結構、前だよ。ミラノルド島くらいかな」

「そう、か」


 メイズはほっとしたように息を吐いた。


 ――それ、どういう意味なの。


 聞けない。その安堵は、何の。


「少し、時間をくれ」


 それだけ言って、メイズは部屋を出ていった。残された奏澄は暫く呆然として、じわじわと込み上げてきた嗚咽を嚙み殺した。

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