重なる温度-2

 果たしてメイズは戻ってきた。翌朝に。香水の香りをまとって。

 奏澄はそれに怒るべきか、不満げにするべきか、傷ついてみせるべきか迷って、結局。


「おはよ、メイズ」

「ああ」


 素知らぬふりをした。いっそもう面倒だった。

 女性といたということは、つまり奏澄だけでは満足できないということだ。そこを問い詰めたところで、結局奏澄では解消できないのだし、やめろと言えばやめるかもしれないが、無理を強いることになる。言うだけ自分が傷つく気がした。

 知らないところで、知らない内に、勝手にやっているなら別にいい。そうでも思わないと、やってられない。


 結局その日は何でもない風を装って、一日船の仕事をして、夜になると船番の当番と交代した。

 交代した、ということは、今夜は奏澄が島の宿に泊まれる。そして、宿に泊まる時は一人では許可が下りない。必然メイズと泊まることになる。


 ――今日は船に泊まるって言おうかなぁ……。


 昨晩別の女性を抱いたとわかっている相手と泊まるのは、なんとなく不愉快だ。しかも、ずっと船ではお預けだったのだから、宿に泊まるのならできると思っているだろう。

 けれど、ここで船に残るというと、あからさまに避けて見える。それもよろしくない、と奏澄はメイズと共に島へ降りた。


 宿をとって、体を清め、同じベッドに入って。

 今日はめちゃくちゃ眠いことにして寝たら駄目かな、と奏澄がぼんやり考えていると。


「カスミ。頼みがあるんだが」

「……なに?」


 メイズがやけに真剣な顔で奏澄と向き合った。その表情に嫌な予感がして、奏澄は尻込みした。


「今日は、俺の好きにさせてくれないか」


 奏澄は目を瞬いた。何を言い出すかと思えば。


「今日はも何も、いつも結構好きにしてない?」

「いや、まぁそうなんだが」


 普段から自分本位である自覚はあったらしい。言いにくそうに目を逸らした後、頭をかいて、再び向き直った。


「今日は、ちょっと、違ったやり方を試したい。だから途中で嫌だとか無理だとか言わずに、とりあえず最後まで付き合ってくれないか」

「え……なにそれ怖……。嫌だとか無理だとか言いそうなことするの……?」


 元々、奏澄はその類の言葉を行為の最中に言わないように気をつけている。

 聞いたところによると、『いや』とか『やめて』といった抵抗する姿に興奮を覚えるのは、日本人男性くらいなのだそうだ。支配欲を満たしたり、恥じらう様を美徳としている。

 性的同意の意識が根付いている国では、それは当然拒絶の言葉であるから、例えふりでも言われると傷つくらしい。

 セックスへの積極性から、おそらく日本よりは欧米の感覚に近いと踏んでいた奏澄は、恥じらいから形ばかりの拒絶を口にしないように注意していた。メイズにとって、奏澄の拒絶は堪えるだろうと思ったからだ。

 しかし奏澄の本質は生粋の日本人であるので、脊髄反射でうっかりその言葉が出ることが絶対に無いわけではないし、自身の感情ではなく様々な外的要因を考慮した上での拒絶はある。それを指しているのだろう、とは思うものの、やはり体を引いてしまう。


「本気で嫌がることはしない。ただ、前に約束しただろう。同意を得られないことはしないと。だから、お前も約束してくれないか。本当に、本気で嫌だと思わない限り、それを口にしないって」


 覚えていた。いや、メイズはいつもそうだ。奏澄が口にしたことを、忘れない。

 価値観は違っても、決してそれを無下にしない。奏澄の考えを、大事にしてくれる。そのことに、先ほどまで抱いていた不愉快さはすっかり消えていた。


「駄目か?」


 駄目押しの一言に、奏澄はぐぅと声をあげそうになった。これはずるい。甘えた声を出すな。捨てられた犬のような目をしおってからに。絶対に奏澄がこの目に弱いとわかってやっている。甘え方まで学習しているとは。滅多にやらないだけに破壊力がすごい。三十も半ばを過ぎた男が可愛いとは何事か。ずるい。


 奏澄は喉の奥で唸った。力押しで頷かせようとするようなら怒れたが、メイズは奏澄との約束を守って、同意が得られるまでじっと待っている。

 メイズがこれほど心を尽くしてくれているのに、奏澄の方が意地を張るわけにはいかないだろう。


「わかった。いいよ、好きにして」


 一つ息を吐いて了承した奏澄に、メイズは嬉しそうに笑った。




*~*~*




 どれだけ時間が経ったか。奏澄は、安易に許可を出した過去の自分を呪った。


「――……ッ」


 大きく体を跳ねさせた奏澄に、メイズが唇を吊り上げた。それを涙目で睨みつけるも、両手で口を塞いでいるので文句も言えない。代わりに心中で大声で叫ぶ。


 ――た、楽しそうにしやがってぇ~!


 恥ずかしいやら怒りやら混乱やらで頭はパニックなのだが、対するメイズはまるで子どもが新しいオモチャで遊ぶような無邪気さで、怒るに怒れない。惚れた弱味とはこういうことか。可愛い顔しやがって。

 奏澄の想像だが、多分メイズは遊んでいるわけではない。嗜虐趣味というわけでもないだろう。単純に、メイズの手によって奏澄が悦んでいるのが嬉しいのだ。


 そうだった。メイズは元々、尽くすタイプだった。

 奏澄の口にした言葉や、何気ない仕草を逐一覚えていて。言われなくても、望むことを考えて。

 そういう男が、奏澄がセックスを楽しめていない、と思ったのなら。その対策が、セックスを控えることになるはずがない。

 つまり、楽しめるようにと技術を磨いてきたのだ。


 過去の相手は、性欲処理の相手でしかなかっただろう。だから相手を悦ばせる必要など無かったし、自分本位で良かった。

 けれど、相手のためを思ったのなら。どうすれば良いのか、と考え。その結果が、これなのだ。おそらく、昨晩の相手は娼婦で、彼女から教わったのだろう。いきなりこれほどやり方が変わるなど、一人で考えつくことではない。

 他の女から教わったことを試すな、という気持ちはあるが、そんなことをまともに思考できるほど奏澄の頭は正常に回っていなかった。


 もう、どうにでもなれ。

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