再出航-3

『乾杯!』


 コバルト号の上甲板にて。ジョッキのぶつかる音が響く。

 たんぽぽ海賊団の面々は、思い思いに騒いでいた。それは再会を祝してであり、解放を喜んでであり、そしてこれからの困難に立ち向かうための景気付けでもあった。


「カスミ! なんだおめぇ、ちっとも成長してないな!」

「そりゃ一年ちょっとじゃそう変わりませんよ!」


 ラコットに頭をぐしゃぐしゃとやられて、奏澄は笑いながら文句を言った。

 実際のところ、奏澄の方では一年経過していない。見た目は全く変わらないだろう。

 ラコットの方も相変わらず、デリカシーは無いながらも豪快で快活だ。舎弟たちも元気そうである。


「そうだ、メイズとやっとくっついたんだってな」

「はい。おかげさまで」

「そうかそうか、おめでとさん!」

「あ、ありがとう、ございます」

「これからはあんまし雑に扱ったら、メイズに怒られちまうな」

「そう思うなら、とりあえず放した方がいいですよ」


 ぐわんぐわんと頭が揺れるほどに撫でまわされて、奏澄は揺れる視界でメイズを見やった。遠目に顔が見えるが、あれは多分我慢している顔だ。久々の再会だから、大目に見ているのだろう。

 舎弟たちともそれぞれ言葉を交わして、奏澄は女子会メンバーの方へ向かった。


「カスミ~! 待ってたよ!」

「おかえりなさい、船長」

「エマ、ローズ!」


 女子特有の高い声ではしゃいで、二人とハグを交わす奏澄。


「ちょっとカスミ、髪ぐしゃぐしゃじゃないか」


 手櫛で軽く直したのだが、まだ乱れていたらしい。ラコットに撫でくり回された髪を、苦笑しながらマリーが整えた。


「ありがと、マリー」

「いいさ。それより、あんたからの報告を今か今かと待ってたんだよ、二人とも」


 きらきらとした目で見つめてくるエマに、穏やかに微笑みながらも心なしかそわそわしているローズ。二人ともメイズとのことは既に知っているのだろうが、改めて奏澄の口から聞くのを待っていたのだろう。

 照れくさく思いながらも、奏澄は一つ咳払いをした。


「えぇっと。メイズと、正式に、恋人になりました」

「おめでと~カスミ~!」

「おめでとう」


 言いながら奏澄に飛びつくエマに、軽く拍手を送るローズ。ありがとう、と言いながら、奏澄は顔が緩むのを止められなかった。こんなに全力で祝ってもらえるなんて。


「もうね! 聞きたいことがね! 山ほどあるからね! 飲んで飲んで!」

「いやそれはちょっと」

「今日ばかりは諦めて」

「えっ今日はローズもそっち側なの?」

「諦めな、カスミ。あたしも気になる」

「わぁ味方がいない!」


 やはり女子にとっては、恋愛話は燃料だ。きゃいきゃいと姦しい様子に、男性陣は苦笑しながらやや距離を取って眺めていた。


 騒ぎが一段落したタイミングで、ライアーが割って入った。


「もーここはね、すぐカスミのこと占領するから! オレらにもちょっとは話させて!」

「えぇ~、まだ足りない!」

「エマ、またいつでも話せるだろ。船長が寝落ちする前に、俺らにも時間くれ」

「ポール、私そんなすぐ寝落ちないから!」


 ドロール商会のメンバーとも、改めてそれぞれ挨拶を交わす。少しだけ逞しくなったように見える男性陣は、商会に戻ってからも訓練を続けていたのだろう。


 お酒が入り、次第に声量も上がっていく騒ぎをにこやかに眺める老人の元へ、奏澄は歩み寄った。


「ハリソン先生。大丈夫ですか? 疲れてませんか?」

「ええ、大丈夫です。こうして賑やかな宴を見ていると、白虎を思い出します」

「白虎も、やっぱり宴は騒がしいんですか?」

「それはもう。無礼講ですからね」

「そうなんですね」


 目を細めるハリソンに、奏澄は胸が痛んだ。ハリソンには、負担をかけている。

 そんな奏澄の様子に気づいたのか、ハリソンが穏やかな声で願い出た。


「カスミさん。良ければ、歌っていただけませんか?」

「え?」

「私は、まだあなたの歌をちゃんと聴いたことがないので」


 奏澄は目を瞬かせた。そういえば、ハリソンが加入した時には既に緊迫した状況だったので、のんびり歌を聴かせるようなことは無かったかもしれない。

 はぐれものの島でも、メイズを探したあの一度きりしか歌っていないし、島を出てからは雇った水夫たちと一緒だったので、やはり口ずさむ程度にしか歌っていない。


「上手くはない、らしいですよ?」

「構いませんよ」


 わざと冗談めかして言う奏澄に、ハリソンも笑って答えた。


「では、喜んで」


 前に進み出て、息を吸う。

 今の私たちには、そう。勇気の歌を。


 奏澄の歌声が響き出すと、皆が会話を止めて、奏澄の歌に耳を傾けた。

 それに多少の気恥ずかしさを感じつつも、奏澄は歌った。仲間たちが、好きだと言ってくれた声で。


 この航海の成功を――悪魔の討伐を、願って。




*~*~*




 歌って、騒いで、笑って、飲んで。

 どれだけの時間そうしていたか。奏澄がうつらうつらとし始めたタイミングで、メイズが回収した。


「ここまでだ」

「ちょっと、まだ、だいじょうぶ」

「わかったわかった」


 問答無用で抱え上げて、部屋へと連れていく。後ろから冷やかすような声が聞こえた気がするが、祝福の一種だと思って無視した。


「メイズ、下ろして」


 部屋に入る前に、奏澄はメイズの肩を叩いてそう主張した。

 それを聞いたメイズが、大人しく奏澄を下ろして、立たせる。


「あのね、しばらく別々に寝よっか」


 奏澄からの提案に、メイズは目を丸くした。


「今更、同じ部屋で寝るくらい、あいつらは気にしないだろ」

「うーんと、そういうことじゃなくて」


 これは別に酒に酔って、勢いで言っているわけじゃない。仲間と合流するとなってから考えていたことだった。


「船でのルール、決めたでしょ。あれがね、その、守りにくいようだったら。物理的に距離取った方が、いいかなって」


 元々一緒に寝ていたし、問題は無いと思っていた。けれど、もし。一緒に寝ていることで、我慢がきかなくなることがあるのなら。わざわざ『待て』をさせるのも、どうかと思ったのだ。

 奏澄にはわからない感覚だし、過去の恋人ともそんなことはなかった。けれど、今向き合っているのはメイズなのだ。彼に合わせたやり方で付き合っていきたい。

 そもそもメイズと共に寝るようになったのは、奏澄の寂しさが原因だ。彼にばかり無理をさせるわけにはいかない。だったら、奏澄の方も一人寝くらい我慢できる。


「お前は、それで、いいのか」

「うん。大丈夫。もう寂しくないし」


 メイズを安心させるように微笑んでみせる。大丈夫だ。メイズは隣にいるのだし、仲間たちも一緒だ。


「あ、でも」


 つい、と奏澄はメイズのシャツの裾を引いた。


「これ、貸して欲しい」

「これ……?」

「今着てるやつ。メイズの匂いがないと、眠れないから」


 ずっと傍にいすぎて、すっかりあることに慣れてしまった。本人はいなくても、匂いがあれば安心できる。


「ダメ? しばらくしたら、ちゃんと洗って返すから」


 まさか替えがないわけでもないし、一枚くらい貸してくれないだろうか。

 そう思って尋ねると、メイズが片手で顔を押さえていた。


「それどういう感情? 呆れてるの? 怒ってるの?」

「どっちでもない」

「なに……ダメならダメって言ってよ……」


 急に不安になる。引かれたのだろうか。別に変なことに使うつもりはないのだけれど、気持ち悪かっただろうか。

 気まずい思いで次の言葉を待っていると、メイズが深く長い溜息を吐いた。


「服なんかじゃなくて、本人がいるんだから、隣で寝ればいいだろ」

「だって……」

「何もしない」

「……一応、言っておくけど、二度目はないからね?」

「…………大丈夫だ」


 だからその間が不安なのだが。

 言った手前、本当に二度目を許す気は無い。今は仲間たちが共に乗船している。

 けれどそれ以上に。


「メイズは、それでしんどくない?」


 気づかうように見上げる奏澄に、メイズはくしゃりと頭を撫でた。


「問題無い」


 強がりにも聞こえるが、本人が大丈夫だと言っているのにこれ以上食い下がるのも、プライドを傷つける気がした。


「うん。じゃぁ……お言葉に甘えて」


 結局、今まで通り変わらずに、二人は一緒に寝ることにしたのだった。

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