第5話 女・手鏡

 私には、どうしても分からない奇妙な体験というものがある。

 その1つが、今回紹介する物だ。


 小学校高学年の頃、私は自宅で幽霊を見たことがある。

 熱く寝苦しい日の深夜、ふと目が覚めた時のことだった。

 窓際に背を向けた女性が居た。

 髪の長い女性で、白っぽい服装だったように思う。


「お母さん」


 私はなぜかそう口走った。よく考えると母とは似ても似つかないのに不思議だった。

 女性はゆっくりと振り返った。足を動かしている様子はなかった。

 普通ならば、ここで悲鳴を上げるのだろうか――だが、私はそうしなかった。

 別に金縛りで声が出なかったとか、自分には度胸があるとか主張したい訳ではない。


 その女性の顔は非常に穏やかだったからだ。


 敵意や害意とは無縁の、穏やかな表情。それは見ていて恐怖を感じさせるものではなかった。

 女性は滑るようにこちらに近付いてきたと思うと、向きを変えて壁の方を通り抜けていった。その後ろ姿は透けていた。

 私はそれを見届けると、静かに床に就いた。


 さて、この話には後日談がある。

 後日談――と言っても、私が何か関係があるのではと思っているだけで、全然無関係であることも考えられるのだが。

 祖父に聞いた話である。


 かつて(江戸時代?)、我が家は裕福な家庭だったがお家騒動となった。まあ、今で言えば遺産相続の問題なのだが、その相続争いで二人の兄弟が揉めて片方に遺産の大半が渡ってしまった。

 だが、その中にあった手鏡が夜な夜な「家に帰りたい」と泣くので、その手鏡だけは返してきたというのだ。

 正直、昔は裕福だった家庭が没落して――というのはありきたりな昔話で信憑性に欠けるが、手鏡は現存している。

 私も実物を見たが、鏡面は曇っていて鏡としてはもはや使い物にはなりそうになかった。

 裕福な家庭だったからには高価な品かもしれないと思いつつ調べてみたが、インターネットで同じ銘の物が数千円で買える代物だった。


 ……ここまで読まれた方はこれがどう関係するのかと疑問に思われるかもしれないが、私にはあの時見た者が鏡に憑りついていた何者かではないか……そう思えるのである。

 根拠は無い。ただ、悪意のないあの顔は悪い存在ではないように感じるからである。

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