第20話 どこかへ

 マルヴィナは、都市郊外へ向かう馬車に乗っていた。


運賃は定額で非常に安く、そのためかその大型の馬車内は混雑していて、左右六人ずつの座席は全て乗客で埋まっていた。

その端、最後尾寄りに座るマルヴィナ。すでにヤースケライネン教国の首都、ビヨルリンシティを出て一時間近くが経過していた。

「到着でーす」

馬車が停止して、御者が後部の扉を開けた。そこは比較的大きな街のようで、乗客のうちの大半がそこで降りて、そして二人ほどが乗って来た。客車の中は定員の半分以下になって、空間にだいぶ余裕ができた。そして再び馬車が走り出す。

「知らない景色がこんなに気持ちいいいなんて」

空間に余裕ができて、外の景色を眺める余裕が出てきた。風景は、平地の広がる都市部よりも地形の変化が富んできた。少し標高のある山が連なっているのが見えた。少し振り返って窓の外を見ると、馬車が走る道の周囲は草原が広がっており、そして所々に鬱蒼と茂った木々の密生地が点在して通り過ぎていく。


「着きましたー」

次の停車場では、マルヴィナ以外の全ての乗客が降りてしまい、そして誰も乗ってこなかった。再び馬車が走りだしてしばらく、

「このままずっと乗っていたい」

今度は、実際に口に出して言っていた。そしてその瞬間、涙が頬を伝った。

「あれ? 私、知らないうちに泣いてた……」

それから、客車内の乗客が自分だけであることもあって、低く嗚咽しながらしばらく泣いた。泣いた後に、バーナー島に伝わる鎮魂歌を小さな声で歌った。窓からは、ひとつとして同じかたちのない山々、そしてそのうえに様々なかたちをした雲が通り過ぎていく。

「もっと頑張ればよかった……」

冒険者大会にしても、魔法学校の受験にしても、事前にもっと出来ることがあったのではないか。それをなぜ自分はやらなかったのか。自分の中に湧き上がる後悔の気持ちを、マルヴィナはたしかに認めていた。

「少なくとも、どちらかが必ずうまくいく。そう信じていた……」


 その日、マルヴィナは、魔法学校の編入試験の実技試験中に気を失ったあと、学校の病院で目を覚ました。医師の診断によれば、前日から続く空腹と疲労で倒れてしまったようだ。その時医師から、また来年頑張ればいい、というようなことを言われ、結果が失格だったと確信した。

そのあと、魔法学校を出たマルヴィナは、宿にまっすぐ帰る気にもなれず、高速馬車の運賃が安いこともあって発着場から乗ってしまったのだ。ヨエルが少し心配するだろうけど、夜には帰ればいい。


「ここが終点だけど、降りるかい?」

馬車が止まって、御者が声を掛けてきた。

マルヴィナは頷いて客車を降りた。そこからさらに石畳で舗装された道が続いているが、馬車はそこから折り返して戻っていくようだ。道の横の空地を使って大きく回り、馬車は方向を変えて道に戻った。

マルヴィナが降りた場所は、殺風景な道のわきに小さな駅舎が建っているだけだった。いったんその駅舎の長椅子に座ってみると、側道があって、その先の丘に道が続いてるのに気付いた。

その丘へ続く坂道目がけて、走ってみたくなった。そう思ったとたん、もう走り出していた。途中で息が切れたが、それでもかわまず走り続けた。そこそこの傾斜で、途中でさすがに走るというより歩く速度になったが、肩で息をしつつ坂を登る。心臓が止まってもかまわないと思った。

そして、丘の上まで登り切って見えてきた景色。


「うわあ、キレイ……」

向こう側は、南の方角に面した緩い斜面になっており、そして、白と黄色の花が群生していた。それが、ずっと向こうまで続いている。

いや、ふだんならその景色にべつだん何も感じなかったかもしれない。しかし、その景色は、今のそのマルヴィナの心を大きく捉え、そして間違いなく癒していた。花々に近づくと、小さな虫たちが自分たちの人生を謳歌している。ここは彼らにとっての天国かもしれない。

そうやって道の左右の花々に近づいては、虫たちの天国を覗き込む。そうしながら、緩い下り斜面を歩いていく。花畑は斜面が平坦になったあたりで終わり、そこからまっすぐに伸びた背の高い草が群生していたが、近づくにつれてそれは自分の背丈よりも高いことがわかった。

高い草の壁のあいだをさらに進む。この植物は見たことがなくて、少し異世界に入ったような感覚に陥る。道がくねっていて先が見えず、その先に何があるのか全くわからなかった。

マルヴィナは、次の景色を求めて見通しの悪い通路を進む。しかし、途中で十字路があった。左右の道も、高く茂った植物で左右を挟まれて、しかも途中で曲がっているので先が見えない。マルヴィナは、このまま進んだときに自分が迷ってしまう可能性を考え始めた。


「ま、大丈夫か」

実際に自分で呟いてもみた。

しかし、同じような十字路がふたつみっつ続いたとき、そして道自体が大きく左へ曲がっているのがわかったとき、やっぱり引き返そうと思い始めた。

「ここって多分農地だよね、この植物って確か甘い成分を取り出せる草じゃなかったっけ?」

初めて見たと思っていたが、昔見た、学校の図書館にある百科事典の中に描かれていた植物の絵を思い出した。

もし、広大な農地だったら確実に迷うし、農地を抜けられたとしても、人が誰もいない寂しい場所かもしれない。

「馬車でひとつ手前にあった町に戻ろうかな」

その町で少しぶらついて、それから帰ろう、そんなことを考えながら、十字路を通過しようとしたとき、


「止まれ!」

「ひぃっ」

左右から明らかに友好的でない男たちが現れ、思わず情けない声が出た。

「うう、う、動くな!」

見えている範囲、正面に三人、左右に一人ずつ。振り返って後ろを確認したいが、前の背が低く小太りの男、ナイフを持った手が相当に震えている。それがとても危なっかしくて、後ろを振り返って確認できない。

「両手を頭の後ろに回せ」

後ろから聞こえてくる声だ。

普段のマルヴィナだったら、咄嗟の判断で何か対応しただろう。しかし、この時のマルヴィナにはまったくそういった考えが浮かばなかった。すぐに両手を頭のうしろに持っていく。

「ゆっくり腹ばいになれ」

言われたとおりにする。

あるのはただ、後悔ばかりだった。

どうしてこんな場所に一人で来てしまったんだろう、どうしてこういう人間たちがいることを想定できていなかったんだろう。本当にただ、やってしまった。

腹ばいの状態で後ろ手に縛られ、目隠しをされ、両足首も縛られた。縛る際、コソコソとマルヴィナにはあまり聞こえないように話し合いながら、男たちはやや手間取っていた。

そして男たちに担ぎあげられて、運ばれていく。途中で何か小さな馬車の荷台かなにかにおろされたのだろう、振動に揺れながら過ごす。強い恐怖感、いや、どちらかというとあきらめの気持ち。どこかに到着して、再び担ぎ上げられた。


 数十分が経過したころ、目隠しを外された。

そこは、どこかの石造りの建物内にある牢のようだ。そして牢の扉を閉めてから、鉄格子の外から見知らぬ男の刃物で手と足の縄が切られた。そして男は行ってしった。牢の外は通路挟んで壁で、鉄格子に顔を近づけてみると、左手の少し先に看守と思われる太った男が座っていた。

一応鉄格子の扉に触れてみる。当然開かない。

牢の中は狭く、簡易なベッド、というよりは木のベンチのようなものに、小さな枕と毛布。その先に床から天井まで板が張ってあり、トイレが設置してあった。扉は無いが、使用中に外からは見えないようにはなっているようだ。

いったんベッドに座った。何も考えられない。そのまま、肘を膝について両手で顔を覆う。

「これは、何なんだろう」

この状況の意味がまったくわからない。

ふと頭を上げると、西日が差し込んで足元の床を照らしていることに気付いた。太陽の光だけは、ふだんと何も変わらない日常だった。それを思って、マルヴィナは余計に悲しくなった。

「おうちに帰りたい……」

しばらくして、看守が食事を持ってきた。鉄格子の隙間からパンが載った皿と水の入ったコップを牢内の床に置いて、食べろと無愛想に言った。マルヴィナは、看守が去ったあとにそれらを手に取り、ベッドに置いてひと口食べた。

それは普段食べるものとなんら変わらないふつうのパンで、そして空腹のためかとても美味しかった。


そのあとマルヴィナは、特に眠くもなかったがやることもないので毛布にくるまった。


 朝方に誰かが騒ぐ声で目が覚めた。

自分の置かれた状況が、徐々に脳内に蘇ってくる。水が飲みたかったが、昨日夕方ごろに食事と一緒に出された水はそのとき全部飲んでしまった。

トイレの横に付いている蛇口から水を飲むか迷っていると、遠くのほうでやはり何か騒いでいるような声がする。

「は? どこかで私を呼んでいる?」

何かそのような気がした。トイレの奥の窓から外を眺めてみるが、特に何もない。

「私はここ、私はここよー!」

窓から思いっきり叫んでみた。

「マルヴィナ―!」

「誰!?」

こんなところにいるはずもないので、思わず誰と言ってしまったが、しかしマルヴィナを呼んだその声は間違いなくヨエルのものだった。

「マルヴィナ、どこにいるのー!」

「ここよ、この中よー!」

しばらくして、

「ああ、そこか」

すぐ近くから声が聞こえて、そして窓からヨエルが視界に入った。知っている人間を見ることの嬉しさがこれほどのものか。

「マルヴィナ、今からそっちいくよ。えっと、どっから入ればいいんだろう……」

再びヨエルの姿が視界から消えた。そして、ここの住人たちの声も聞こえ出した。

「いたぞ!」

「武器を持っている!」

「わあっ、ま、待って、マルヴィナを返してほしいんだ、女の子だよ、その中にいる子!」

「こいつも捕まえるのか?」

「待て、武器を持っている!」

マルヴィナの視界からはほとんど声しか聞こえない。この建物の男たちの影が数人通り過ぎた。

「囲んでしまえ!」

「わっ、待て、ちゃんと話し合おうよ、じゃないと、この剣を抜くよ?」

その途端、ドサッと誰かが地面に倒れたような音。

「ちょっと、どうなってんのよ!?」

マルヴィナも牢の中から叫ぶが、角度的にどうにも見えない。

「死んだのか?」

「待て、油断せずに確認しろ」

倒れたのはヨエルなのだろうか、マルヴィナは急いで鉄格子の扉へ向かったが、もちろん扉をガタガタと動かしても鍵が掛かっていて開かない。また窓のところに戻ると、

「わあっ!」

何人かの悲鳴が聞こえ、

「この者ども、殺すにあたわず……」

ヨエルとは異なる声音、

「もしかして……」

必死に耳を澄ますマルヴィナ。そのあとも微かに格闘するかのような音。そして静かになった。


 数分後。

「こちらです」

昨日いた牢の看守が二人の男を連れてきた。

「ヨエル! ……ヨエル? あなた、もしかして、監獄の剣士?」

看守が連れてきたうちの一人、ヨエルの姿かたちをした、しかし目つきの鋭い男に思わず尋ねた。

「違う、獄炎の剣士だ。監獄にいるのはお前のほうだ」

そう言って、看守のほうを促すと、看守は持っていた鍵で鉄格子の扉を開けた。

「えっと、いいのかな」

こんなかたちですんなり牢を出られると思っていなかったマルヴィナ。少し戸惑いながら牢を出ようとすると、

「どうもこの度はすみませんでした。まさかこのようなお強い方のご主人様であるとはつゆ知らず……」

もう一人の男が話しかけてきた。背は低いがひげづらに大きな図体で、いかにも賊のかしらといった風体だ。

「私はここをまとめております者で、エンゾと申します」

そう名乗る男を押しのけて、ヨエル、いや、獄炎の剣士が牢の中へ入ってきた。

「ようし、おれは寝るぞ」

そういうと、剣士はごろんと牢の中の木のベッドへ寝転んだ。

「もう、しょうがないわね……」

これまでの経験で、おそらく寝るのを止めることはできない。マルヴィナも牢の中でしばらく待つためにベッドの端へ座ろうとする。すると、かしらの男が牢の扉に近づくそぶりを見せた。

「ちょ、ちょっと、あなた鍵だけ渡してくれる?」

慌てて立ち上がって手を差し出す。

「え、ええ、もちろんでございます、もちろんでございますよ」

男のほうも少し狼狽した様子で、看守に鍵を差し出させた。

油断も隙もあったもんじゃないと男を睨みつけてから、あらためてベッドの端に座ると、寝そべっている男の寝顔はすでに剣士のそれからヨエルの、優しい寝顔に変わっていた。

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