第57話 みぎわの願い
波多野は途中からは
「そうしてあの牧野さんもああやって支えて上げてたんやね。あれほどいい加減に扱われていたのに『こいつはそんな男やない』そう言ってたのを想い出した」
「みぎわ、そうなん」
「此の人そう謂う人なんよ。そうやって落ち込んだ人を喜ばす道化師みたいな処があるから一緒に居られるんよ」
室屋は感心したようにもう一度テーブルに伏した榊原の背中に呪文のように囁く波多野をじっと見た。
仕方がないので榊原が醒めるまで三人で飲みだした。もうほとんど飲むより食べる方に集中してしまった。
そこで波多野は室屋に聞かれて知る限り牧野の話をした。それを彼女は最後には笑って聞き流した。波多野は榊原が酔い潰れたのを幸いに、みぎわの知る紗和子の話を訊いた。
紗和子さんはずっと前から小さい子供の時から療治さんを慕っていた。
「それは知ってるが……。幼馴染みとして一緒に遊ぶから、それは何処にでもある話や、別段変わった話やない」
「まあ一般の人なら成長するに連れてそんな思いなんか吹っ切れて行く。ただ懐かしい子供時代の想い出として参考にしてもそれ以上留まらない、けれど紗和子さんは見ての通り余りそんな事を気にせえへん人なんよ」
「それでずっとそんな気持ちのままで居てたんか」
「それは療治さんも感づいていたでしょう」
「まあな、悪い気はしなかったがそれ以上は気持ちが乗らなかった」
「まあ幼馴染みとしてはそれが普通やろうね。だから療治さんはあの田舎を離れてこっちの大学であのアパートを借りて下宿生活をしたんやね」
「それで榊原から聞いたが牧野のことで俺が近江八幡に行ってる間に紗和子から誘われたそうやなあ」
「
「それでいったい紗和子とどんな遣り取りをやったんや」
紗和子さんも一緒の大学へ行きたかったけど、やっと気を取り直して地元の金融機関に就職した。まさか榊原さんも同じ会社を受けていたとは入社して初めて知った時は複雑な気持ちだったが、好きな人が遠くへ行って、その人の友達が側に居てたら嬉しいのか嬉しいないのか解らん。そのうちに療治さんはなかなか帰って来いひん。来ても榊原さんとは
ーー同意するも何も、スッカリ丸め込まれていたから、殆ど言うとおり頷いていたように思う。だけどまだ心の何処かに、笑ってあたしの前に戻って来てくれるかも知れへん。でも、もうそんな当てもないのに勝手にその時は思って、療治さんがそれを望むんならそれでいいんやと自分に言い聞かしていた。
「とにかく紗和子さんは言いたいことを云ってしまうと、余り根に持たはらへんから、療治さんと今付き合ってるあたしにもベラベラと屈託なく喋って、此の時間を何とか過ぎたら榊原さんとは本当に幸せになれると思う」
とみぎわは波多野の心の代弁者のように言ってくれた。こんな人は此処しか居ない。
「だから俺は榊原が俺以上に紗和子を思っている、そしたら彼女を本当に幸せに出来るのは俺でなく榊原やと思い出して、余計に強くあの時は勧めたんや」
「それは紗和子さんも感じていたけれど半分は諦めやったらしいよ」
「何を諦めたんやろ」
「でも此の奥底には言い様のないものが泥のように溜まっている。それで心が沈んでしまったって言うてた」
心が重すぎるって言うんか。
「それで同意したのか」
みぎわは黙って頷いた。
「そやけど今頃になって急に蒸し返したんよ、それで紗和子さんはまだ迷ってるんよ、暫く考えたいって」
今度は物理的な重みに何処まで堪えられるかが正念場らしい。
「それで
「暫く実家に帰ってどうするか考えたいって」
「どうするかってまさか、お腹の子供の事やないだろうなあ」
軽い気持ちで言ってみたが、みぎわにちょっと浮かない顔をされて背筋が寒くなった。室屋も怪訝そうにみぎわを見ている。榊原は案の定伏せっていて、それだけが僅かに心の中に平穏を
「これはあたしの勘やけれど、こうして榊原さんがこんなに呑まはったんはひょっとして紗和子さんととんでもない話をしゃはったからと違うやろかと今思えてきたんや。療治さん、そこでお願いがあるんや、明日にでも実家に行って紗和子さんに会って欲しい。まだ今なら間に合うさかい上手く言いくるめて欲しいのや……、これがあたしの取り越し苦労ならいいんやけど」
と言いながらもその顔には、紗和子の苦しみを相当理解しているだけに、かなりの苦痛を伴っているのが読み取れた。それがみぎわが見せた波多野に対する無言の愛情表現だと素直に受け取ったようだ。
「この前は牧野のことで今度は榊原か」
波多野は暫くテーブルに伏してダウンした榊原を見て、分かったと言った。
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