第45話 室屋の実家へ2

 まさかと思うが多少邪険に扱われていても、こらえているのは被虐趣味でもあるのか、それともあの女はただ健気けなげなだけなのか。しかし最初に挨拶を交わした時のあの鋭い視線からはとても想像が付かずに、一瞬にして神妙なほどの控え目な表情に変わった。おそらく榊原に付いて説得されたときも、多分彼女はあのような顔をしたと、今確信に近いほど思った。

「紗和子さんてそんな女の人なの今時珍しい人ね」

「紗和子さんはおそらく丹波の深い森から出たことがないのかしら、まああっちこっち少しは出歩いていてもそう想わせる人柄は波多野には物足りなかったのね」

 休日の朝は、都会から近江へゆく列車内は空いていた。逆にすれ違う列車は、京都や大阪、神戸に買い物や遊びに向かう人々で込んでいた。

「それで祭りはどうなったの」

「良かった」

 もうー、と多美はちょっと苛ついたようにどう良かったのと付け足して来る。

「西陣にはあういう衣装の展示やショーも有りお金を出せば十二単も着せてもらえて写真も撮れるの」

 とその時に紗和子と一緒に撮った写真を見せてもらった。

「なるほど、こう謂う人か」

 ひと言そういって多美は写真を返した。

 それだけか、と無愛想な多美に言い返した。

「みぎわはお姫様らしいけれど隣の此の人も同じ衣装でもお姫様らしくないのよね」

「ダサいってこと」

「まあこれだけの衣装を身に着ければ馬子にも衣装って言うぐらいだから、ダサくはないけど雰囲気がねそれに刺も有りそう」

 確かにすました顔で、ひな人形のような品性には及ばない。

「それって施設の子供の見すぎじゃ無いの」

「そうかなあ」

「そうだよ、でも紗和子さんにすれば何が本当で何がいつわりなのか迷ったんじゃあないのかなあ、その迷いを一蹴させたのがあたしが紗和子さんに先んじて挨拶したあの瞬間だと、その日ずっと紗和子さんを観察してあたしは思ったの」

 前日に波多野の彼女だと榊原に主張された通りにみぎわは、ただの彼女として挨拶したに過ぎなかったが、紗和子はそうは受け取らなかった。

「それが昨日の電話で言ってた紗和子さんがみぎわを見て決心がぐらついた時なのね」

 それが初めて御所の乾御門前で会った時に、紗和子の眼が鷹から鳩に変わったあの一瞬だと、今一度、室屋に説明した。

 紗和子と祭りの後で見に行った西陣の会館では、十二単の重ね着を着せて貰った。あの斎王代と同じ衣装を身に付けると、もう紗和子は舞い上がっていた。その無垢な悦びに接して、みぎわは思わず胸に応えた。みんながみんなではないにしろ丹波で育った彼女らしい独特の素朴感があったからだ。

「そうなの」

「多分彼女は幼いときから波多野一辺倒だったのかしら」

 目の前の人だけで周りがよく見えていない。それだけ余計な事を考えないで純粋にそこまで行き着くと、芽生えた恋心に億劫になり逃げ出したくなる。だが紗和子はそこまで考えが行き着く前に此の人に良く思ってもらえる。ただそれだけ思い詰めると怖くて受け容れられなくなるらしい。

「それがその人の視野の狭さなのか」

「人を好きになれば盲目の恋は望むところだけれど……。そこまで二人が徐々に盛り上がらないで到達した盲目の恋では持続できないでしょう」

「それもそうね相手も合わせてくれないと惨めね」

 それは紗和子を除いた都会の子は判りきっている。だから気持ちを大切にする。けして紗和子が不器用なわけではなくて、自己中心に成り立っている以上は、上手く行くわけがない。

「なぜなら恋は一人で語るもんじゃないでしょう。相手の動向を見て語るものなのよ」

「そこが彼女には欠けていると言うの ?」

 そうね、とみぎわは祭りの後で紗和子に付き合わされた時間を振り返ってみた。

「どうすれば好かれるのではなく、どうすれば悪く思われないかと考えれば、その原点からやり直して、ある結論に達すればそれを尊重して実行に移すべきでしょうどんな内容であれ」

 列車は、近江八幡から安土付近に差し掛かった。既に京都駅から三分の二は過ぎている。

「此の辺りは田んぼばかりね」

「此処は干拓地、昔は此の電車が走る際まで湖だった。だからあの安土城も湖面に在ったのに今は田んぼの真ん中だ。ちょっと気落ちするのよね。みぎわが語る紗和子さんみたいに」

 そうかあたしの話を聞いただけで、会っていなくても彼女は気落ちする人なのか、それなら療治はそれ以上に気落ちしたのかも知れない。

「でもみぎわはその人とのお姫様ごっこはどうだったの」

「どうって」

「波多野さんをもうスッカリ忘れて楽しんでいたのかしら」

「どうもその辺が曖昧なのよ。想いつづけるのも恋の内だと思える人なら転機も訪れると謂うものだけれど、紗和子さんには一切それがないのよ」

「それも一つの恋だと言ってしまえば時が解決してくれるかも知れないけれど、その時は哀しいひとつの悲恋になるのよね。それで歴史は廻ってきているもんね」

 と室屋は車窓から通り過ぎる安土城跡を捉えて言った。

 ただ恋に誠実も不誠実もないのだ。ただ募る人への思いだけしか残らないのだ。その一点だけが誠実であれば、その過程の全てが不誠実であっても、たとえ不倫と呼ばれてもその恋は成り立つものだ。



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