第40話 葵祭

 目を覚ますと夜明け前の空にまだ陽が昇ってない。それから目を擦るとやっと東の空が朱に輝き始めた。波多野はカーテンを開けた窓越しに東山の稜線が朱に染まってゆく瞬間を不安そうに暫く眺めた。原因は昨夜の榊原からの電話だ。明日の葵祭は丹波から余り出たことのない紗和子が、休みと重なったから一緒に行きたいと言い出したのだ。それを聞いたみぎわは「丁度良いじゃないのあたしも昔のあなたを聞き出せるから」と賛成した。それが奥さんも一緒だと伝えると、みぎわは余計に愉しみだわと益々乗ってきた。気乗りしない療治を見て如何どうかしたのと聞かれた。彼の妻は俺の近所に住んで居て高校まで一緒に遊んだ仲だと伝えた。みぎわはちょっと驚いたが「そうかそれで冴えない顔してたんか、でも牧野さんは頂けないけれどあなたの場合はサッパリした付き合いなら良いんじゃないの」と昨夜は一笑されて済んでしまった。だから今朝はが昇る前に目が覚めてしまった。

 昇る朝陽を見ていると急に後ろから「早いのね」と声を掛けられた。もう寝だめは出来ないからと珈琲と食パンにベーコンエッグで朝食を摂った。

「その榊原さんの奥さんっていつ結婚したの」

「去年の秋で職場結婚だよ」

「半年ちょっとならまだ新婚なんだじゃあベタベタなんだ」

 とみぎわはいやに愉しそうに絡んでくる。

「ハッキリ言うなあ。でも幼馴染みの彼女の方とは半年以上会ってないし、会ったのは一月の法事に会ったきりだ」

「じゃあ結婚してこっちへ出て来たってゆうわけ?」

 まあなあと曖昧に返事すると、フーンとみぎわは生返事をして「その人なんて言うの」と訊かれた。

「誰?」

「もーお、くだらないおとぼけに付き合ってられないわね、奥さん、榊原さんの」

「アッ、そうか、紗和子って言うんだ」

「フーン、呼び捨てか」

「まあなあ、幼馴染みだから小さいときからそう呼んでる」

「一理あるか、アラ、もう珈琲無くなったわねまだ飲むでしょう」

 ああ、とまた生返事すると淹れ直した珈琲カップをハイと突き出された。

「十時半に御所を出るのね」

「今日の祭りか」

「此処は何時いつ出るの?」

「歩けば三、四十分で着くだろう」

「榊原さんとはどんなお約束をしたの」

「九時に御所の乾御門前」

「早過ぎない」

「それでも良い場所は取れないよう」

「そんなに沢山の人が見に来るの」

「いや、それはもう大衆が我先にと押しかけるという状態だけど、上賀茂神社までの長い沿道を行くから見ようと思えば場所さえ考えなければ結構傍で此の祭りは見られる」

「じゃあそんなに早く行かなくても良いんじゃないの」

「俺はねえ、しかしこの街へ出て来たばかりの榊原夫妻にすれば、御所から出発するところを見たいのだろう。なんせ引っ越した翌日には龍安寺の石庭を見に行った連中だからなあ」

 正直な処は、散歩に出て道が解らずに迷い込んだが、どうも適当に歩いて辿り着いたことは確かなようだ。長年住み慣れた人にはなんちゅう事ではないが、引っ越した二人には、今自分達が住んでいる所が、あの有名な場所の傍だと自覚したかったのだろう。

「それはどっちが言い出すの、それとも二人とも」

「まあ、それは奥さんの紗和子、さんだろう」

「へ〜え、益々会ってみたいわね」

 う〜ん、と波多野はうなったきり、口を閉ざした。

 烏丸今出川の交差点を百メートル下がると御所の乾御門がある。先に榊原が紗和子と立っていた。紗和子はそんなに驚いてない処を見ると、榊原は事情を話してくれたようだと勝手に思った。

 みぎわには榊原にはこの前に会っただけに見覚えは有ったが、隣に居る女性は始めて見る顔だ。隣に居る人が紗和子さんね、と確認を求められて波多野が頷くと、そこでみぎわは紗和子に向かって挨拶をして、小首を傾げて微笑んだ。それを見て紗和子は慌ててピョコンと頭を下げて名乗った。ここまで意気揚々とやって来た紗和子だが、そこで出鼻をくじかれてしまった。そうなると紗和子は前面に出られず、以後は榊原が取り仕切って来た。

「波多野はこっちに四年以上住んでいればこの祭りには何度か来ただろう」

「そうだなあ、前に一度見たことがあるよう」

「なら何処が良いか場所は知ってるだろう」

「一番良い場所は有料席だけれど、もう無理だからそれに近い場所ももう場所取りされて無理だろう。とにかく今から行列を見るだけならそこそこの場所へ案内してやるよ」

 と四人は御所の乾御門から中へ入った。みぎわと紗和子は二人の後に付いて行った。

「波多野から幼馴染みって聞いてるけれど、あの人は昔のことは何にも喋ってくれないのよね、それで昔からそうなの」

 とみぎわに聞かれて、何であたしがそんなことを喋らなあかんの、と紗和子は療治の背中に石でも投げてやりたかった。

「そうね、療治さんはとにかく凝り性の割には短気で上手く行かなくなるともうダメだと見切りを付けて直ぐに飽きてしまの人なのよ」

 とひらめきは良いけれど長続きしないタイプ、性格だと言い切った。

「あの人は小さい頃は絵とか工作が上手だったけど、それも学校の授業の一環として与えられたときだけで自分から率先しない。要するに背中を押して貰わないとやらないのよ。何のためにやるのかと謂う理由付けがないと集中力が持続出来ない人なのよ」

 彼の最大の欠点は持続しない熱意だと、紗和子は当て付け半分に言い切った。

 

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