第28話 噂の相手とは

「その大崎と言う女はお前を三年近く見失わせた女に間違いないんだなあ」

 牧野が静かに頷くと波多野は眉を寄せた。

「どうして向こうは表情一つ変えないでお前を直視出来たんだ可怪おかしいだろうそれとも、もう係わりたくないと思えるほど冷酷に切り替えられる相手なのか、少なくとも本気でお前に惚れた相手だろう」

「それはこの時一緒に回った先輩だが小西と言うんだ。彼がいつもの投資担当者に来訪を告げて大崎が奥のロビーに呼び出してくれた。そこでは簡単な投資相談は今後は牧野が取り次ぐと言ってまあ後は雑談と現状を説明して帰ったがその小西さんが言うには大崎はいつもより表情が違ったと云われたんだ」

「お前には表情一つ変えないものが担当者にはどう映ったんだ」

「あのは確かに愛想も人当たりも良いんだが隙のない女なんだだから社内では氷の微笑を文字って氷の美少女と陰で呼ばれているがそのいつも削り立ての氷の淵がちょっと解けかかっていたと云われた」

「どう言う意味だ。それじゃあ抽象的過ぎないか、まるでピカソの絵画だと云うのか」

「俺も最初はお前と同じで具体的にどう違うんですか訊けば」

 逆に、あの女だがお前とは心当たりはないかと訊かれて、説明するのが面倒で、ないですと答えた。すると小西さんは大崎は一年前からあの会社の案内係として勤務するようになった。それ以前はデパートの矢張り同じ受付での案内係をしていたからそこでお前を見かけたのかも知れんなあと云われたが。それだけで氷が解けかかるでしょうかと云えば。それが不思議なのだもう一年近く彼女を見ていたけれど、勿論それはあの受付場所だけだが、今まで隙の無い女に隙間風が吹いたと言い直された。

「牧野、俺はお前のいい加減なほらを過去に散々聞かされて来たんだ。その相手に通用する話をしてくれ。それともその小西さんもそんな感じの人なのか」

「まだ入社して一週間だけど小西さんは気の利いた冗談さえ言えん人で実に後輩の面倒見がよくて頼りがいのある人なんだよ」

 俺と同行した日に限って、いつもの受け付けに居た彼女の違った些細な変化をどう表現していいかその人も迷っていた。そこで突き詰めると如何どうしても抽象的にならざるを得なかった。その苦労をお前なら汲んで遣れるだろうとまで言われると、流石に波多野も困惑した。

「まあ一度その会社へ行って見れば小西さんの説明も頷けるだろう」

「それはお前が隣に居る場合だろう関係者でない俺とは一緒には行けんし、どっちにしてもお前はこれからあの会社の担当になった以上は仕事で会わないわけにはいかんだろう」

「小西さんに頼んであの会社だけは外して欲しいと頼もう」

「オイオイ、入社一週間でそれはないだろう。まして向こうにも担当者として紹介した次の日に替えるとなると変に不祥事でも起こしかねないと疑われる。ぞなんせ向こうは会社の資産を運営させるんだかなあ信用第一だろう」

 これで牧野は完全に参ってしまった。先ほどまで豪快に摘まんでいたポテトをちびりちびりとまた囓り出した。 

「今、話を聞いてくれる相手は室屋さんしか居ないがどうなんだ」

 牧野は学生時代のいい加減さで極めて友人が少ない。そのハンディキャップは自ら背負った宿命かもしれんが、その原因を作った女とまた会うのは何か象徴的な因縁だ。

 もう摘まむポテトが無くなって今度はLサイズを頼むかと波多野は同意を求めず二つ持ってきた。テーブルに置くと牧野はさっそく無言で咀嚼した。今は新社会人なのをおもえば大学でも入学早々にして同じ女でつまずかされるのが余りにも哀れすぎた。

「取り敢えず室屋さんと相談しろ」

「ああそうするが波多野、お前も立ち会ってくれ」

 何でと思ったが、これからもっと信頼関係を築く途上なのかと思った。それでは室屋さん一人とこっち二人では、彼女の肩の荷が重すぎると思い、みぎわが居れば少しは二人の潤滑油になると思って呼ぶことにした。

 彼女らを呼ぶならマクドよりもっとシックな環境にしたい。それで表の四条や烏丸のメイン通りは賑わっているが、此の近くの裏通りの小路こうじは暗くて狭い。同じ裏通りでも広めの西洞院通りにある、落ち着いた穴場の喫茶店にした。おそらく彼女らも仕事帰りにメールを受けて、直ぐに返事をくれても時間が掛かるから、マクドから歩けば丁度四人とかち合える計算だった。

 室屋は大学で保育士の資格を取って保育園に勤めている。みぎわは中位の会社で事務職だから二人とも指定の場所にはやってこられる。

 四条烏丸のマクドに居る二人は四条通りを西洞院通りに向かった。

 此の辺りはオフィス街で丁度仕事が終わった勤め人で賑わっている。家路に向かう連中は阪急電車か地下鉄の乗り場に向かうが、これから遊びに行く連中は河原町や木屋町へ行く。会社の偉いさんや接待者は鴨川を越えて祇園花見小路へ向かう。その何処にも属してない牧野と波多野は逆方向の西洞院通りを目指した。

 牧野は就職活動をせずに、卒業間際に欠員のあった証券会社へ滑り込んだ。

「だからもっと早くから就職活動していれば少なくとも大崎のような女には出くわさなかったんじゃないのか」

 事務職や技術者なら出会う確率は零に近い。外勤でも商品の相談を扱うのなら先ずはあんな女には出くわさないだろう。しかし資産に余裕のある会社へ投資の相談に廻れば、出くわす確率の高い女だとこれで薄々解った。

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