第10話 ズボラ男の失恋談
卒業の半年前になってあのズボラ男とは、入学した時の初々しい付き合いに戻った。しかし入学当時に付き合っていた彼女が居たのは療治にすれば初耳だった。もっとも直ぐに振られたらしいから知らない方が良かったのだろう。
「お前の心をそこまでねじ伏せた女ってどんな女なんだ」
「ねじ伏せたッ。そんな生やさしいもんじゃないんだよ。変貌だ。しかもあたしを信じてと謂う舌の先が乾かぬ内の大変貌だ。これは起請文を破るどころの騒ぎじゃ無いッ」
「オイオイ起請文とは大げさすぎてしかも時代錯誤も甚だしいぜ、でも穏やかじゃ無いなあまだ胸に
「そうだなあお前が聞いてくれれば胸の支えも少しは取っ払えそうだなあ」
療治なら高揚した気持ちもどうにか落ち着けそうだ。
「相手は新社会人だから三つ年上の女だった」
「年上かッ」
そうだ。それが信じられないようだが、付き合い出してひと月後には俺のアパートに泊まりに来た。それからは寝ても覚めても甘い言葉を掛けられて俺はスッカリあの女を信じた。俺の暗い過去を吸い取ってくれるように聞いて励ましてくれるんだ。今までこんな人がこの世に居たのかと、スッカリ俺はあの女に有頂天になった。まさに天にも昇る
「出来過ぎた偶然だなあ」
「どうもその男は彼女が完全に一人になる日を狙っていたそうだ。そうとは知らない彼女は懐かしさだけで会ったそうだ」
心は穏やかでもないが世間話ぐらいなら許そうと思って聞いていると、話がだんだん広がりお茶だけでは無くなったようだ。どうやら一緒に映画を見て河原町をうろついて夕食を伴ってそれで別れた。そこまで聞いて初めて「どうしてお茶だけで帰さなかったかッ」と彼女を叱り飛ばした。相手はもう昔の人なのに、なのにあなたがそこまで言う人とは想わなかったと云われた。俺は本当に好きで怒っていると解らすためにその晩は一人でアパートで待った。でも許すつもりでその夜からはいつ訪ねられても良いように夜はずっとドアに鍵を掛けなかった。
「俺のしたことは間違っているか。たとえ食事が終わると二人は別れたとしても(真相は今も闇の中)誰だって頭にくるよなあ」
「それで彼女は謝ったのか」
「いや、申し訳なさそうにはしていたが、来たんだから無下に追い返せないでしょうと弁解ばかりで悪いのは向こうだと言い訳ばかりされれば余計に苛立って来て彼女はいずれ頭を下げに来ると根比べしたが、五日目に根負けしてこちらから彼女の部屋へ出向いた。その時に丁度居た彼女の女友達に第三者として双方の話を聞いて貰っても矢張り女友達も牧野さんで無くあんたが悪いと言ってくれても彼女は頭を下げず平行線だった。そして最後には『けして嫌いで無く好きで別れるのだからね』と決め
「それじゃあまた再会もあり得ると言う期待を持たされたのか」
と療治は牧野を励まそうとしたが、その手からすり抜けるように牧野から鋭い言葉を浴びせられた。
「お前は純でうぶな奴だなあ。そんなの嘘に決まってるだろう。これは立ち去る女が未練がましく装う別れの決め
これには療治はエッと驚いた。寺の次男坊が何処でそんな世渡りの裏の処世術を会得して居るのかとしみじみと奴の顔を眺めた。
「もしみぎわさんが別れ際にそう言われればお前は信じただろう彼女は苦しみ抜いて此の苦渋の決断をしたんだと、だがよく考えて見ろ好きなのに別れるなんてそんな矛盾をヌケヌケと本当に好きな相手に言えるわけがないだろう」
「でもそれまではお前を愛していたんだろうそれは嘘じゃあないだろう」
「ああ、あの時に好きだけど別れると言われなければそれ以外は全ては真実だと思えた。あの女は別れ際にひとつだけ醜い嘘を
「嘘だろうそれは最初だけで途中からもう戻れたくても戻れなくなっているお前を見るのが辛かった。だからみぎわを見つけられた時はお前の功績を黙っているのが辛かった」
「みぎわさんを見つけたのはあれは俺の功績で無くお前の運だよ」
「そう言われれば肩の荷が下りて楽になれるが矢張りこの大学生活が俺もお前も一つの分岐点だろう就職先が決まっておめでとう」
「それより波多野は俺よりとっくの前に数社廻って遣りたい会社から内定を取り付けてそっちこそおめでとうだ」
「牧野の場合は別のお寺で修業して仏門に入るつもりだったんだろうそれがドタキャンされてそれでも卒業間際に内定を取り付けられて俺だけ正社員でお前はコンビニのバイトなら俺は肩身が狭いからなあ」
此の言葉は意に反してズボラを押し通した牧野にすれば、胸にズシンと堪えたようだ。
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