(殴られた)ヒロインの復讐激励【中編】

 放課後になって、翔子はバレー部に顔を出すらしく、玄関で別れた。

 もうあの子は引退しているけど、後輩に教えることがまだあるらしい。

「みっちゃんバイバイ」と手を振る親友に手を振り返して、あたしは校庭で練習している野球部を横目に見ながら帰路につく。


 自宅に戻ったら、家庭教師と勉強か……、とまだ終わらない授業に溜息を吐いていると……かきんっ、という高い音を聞き逃していたようで――



 野球部の叫びに視線を引っ張られた時には既に遅く、放物線ではなく一直線に飛んできていたボールが、あたしの視界を埋め、


 ――ぱぁん!!


 という、弾けるような音がすぐ傍で聞こえたが、痛みはなかった。

 ゆっくり、と目を開けると……、そこにはたくましい背中があり、ちょうど『彼』がボールを野球部へ返しているところだった。


「だ、大丈夫っすか!? 素手で、ボール……、」


「平気だ、ほら、なんともねえだろ」


 彼は右手を見せ、なんともないと証明する、けど……、背中に隠した左手は、薬指と小指が曲がってはいけない方向へ曲がっており、とても大丈夫には見えない……。


 後輩の野球少年は、「すいませんっ、ありがとうございます!」と脱帽してから、練習へ戻っていく。

 本人である彼が大丈夫と言ったから、先生を呼ぶ気はなさそうだった。

 彼が噂の東雲先輩だから、という理由は……でも遠目だから分からなかったのかもしれない。


 悪い噂のせいではなさそうだ。


「怪我してないか、蜂堂」

「こっちのセリフよ」

「そうか? 俺は蜂堂じゃないけどな」


「ッ、東雲くん!! 右手を上げて誤魔化してたけど、あたしを庇ってボールを掴んだのは左手でしょ――これ、あたしには丸見えだから」


 隠そうとする彼の腕を掴んで持ち上げる。……また隠そうとする! たぶん、骨折の絵を見せたくないから隠しているのだろうけど、あたし、そこまで箱入り娘じゃないから。


「保健室に連れていくからね」


「いい。曲がったところはまた曲げればいいよ。一日もすればくっつくはずだ。……それに、右利きだから、左手はいらないとも言えるしな……。

 手があると人を傷つけちまう……、一つでも危ないのにそれが二つ? じゃあ一つはいらないんじゃないかって、思ってたところだ」


 ひ、引きずり過ぎじゃない……? そりゃ、あたしを前にして、過去のことを忘れられても腹が立つけど、それにしたって、深く考え過ぎている……重いのよ……っ。


 殴られたあたしまで、罪の意識を背負ってしまっている。


「うるさい。いいからいくわよ。まだ昔のことを気にしているならあたしに従って。

 それとも手を繋いで連れていってあげようか?」


「お前……鬼畜だな」


「誰が折れてる側と言った。無傷の方を握るに決まってるでしょ」




 保健の先生の判断で、彼を病院へ向かわせることになった。

 大したことがないように見えても、専門家からすれば大事おおごとかもしれない、ということで念のためだ。

 救急車を呼ぶと大げさなので、お父様に連絡をして、車を用意して貰った。相手があの『東雲くん』であると知ったお父様は、やっぱり快くは思ってはいなかったようだけど……。


 でも、今回はあたしを守ってくれたのだ……、命、とまではいかなくても恩人だ。

 あの時は説教だったけど、今回は感謝するべき、だということは、お父様も分かっているはず……。車内でぐちぐちと嫌味を言われていなければいいけど……。


 あたしも乗っていけば良かったかもしれない。


 家庭教師の授業があるので、病院へついていくことはできなかった。




「お父様、東雲くんに嫌味とか言ってないよね?」


光子みつこ? なんで私が彼に……、ああ、あの時のことか。さすがに私も、もう引きずってはいないよ。そのことについて、彼には罰を与えたし、責任の取り方も教えている。

 今回のこともそうだが、彼はきちんと約束を果たしてくれていたからね」


「……約束? ……ねえ、東雲くんになにを言ったの?」


 授業を終えて、二十二時過ぎ――、

 お父様の仕事が終わったタイミングを見計らって、声をかけてみれば、あたしの知らない事実がぼろぼろと出てきた。


「ん? 聞いていないのか? 表立って動いていると思っていたが……単純なことだ。

 光子のことを気にかけてやってくれ、だ。

『守れ』とまでは言っていないが、今回の事故は期待以上の働きだったねえ」


「守る……?」


「そうだよ。光子には仲の良い友達もいるし、恵まれた人間関係が構築されているそうじゃないか。だからこそ彼の出番はないようだが、もしも光子が孤立するようであれば、彼が傍にいることは確定していた。

 だからこそ、彼には特定のグループには属さないように指示をしている……、自分のことで手一杯にならないように調整しておいてくれと言ってあるからね」


「ッ、お父様の指示で……! 東雲くんが孤立しているって言うの!?」


「孤立? いや、彼には『できるだけ光子を気にかけてほしい』とお願いしているだけで、そこに強制力はないし、自分の青春を犠牲にしてくれ、とも言ってはいないぞ……?」


 お父様が、配慮はしている、と言いたげに。


 だけど殴った女子の父親がそんなことをお願いすれば、それはつまり『自分の時間を犠牲にしてでも娘を守れ』と言っているようなものだ。


 だから東雲くんは約束を守り、孤立し、あたしを守れるような位置にいた、ってこと……?

 あれから二年以上も。遊びも部活も捨てて、あたしのために……?


「……東雲くんに勉強をさせているのも、お父様の差し金?」


「勉強は学生の義務だが……、アドバイスはしている。

 勉強をしておけば『暴力』以外で光子を守ることができる、とな。光子の人生だから口を出す気はないが、将来のことを考えると、一人くらいは『保険』があってもいいと思ってな。

 理想の男性がいなければ、彼を逃げ道にできる。

『既婚者』というタグが欲しければ、彼を頼りにすればいい。そのために、彼には最低限、光子を養える力を付けておいてほしかったのだよ。

 だから勉強だ。頭さえ良ければ、どうとでもなるからな――」


「だから……ッ、東雲くんはあたしのために『好きな人との恋愛』も諦めたんだよ!?」


「光子を殴ったんだ、それくらいの罰は背負ってもらわなくては」


 それは……、お父様からすればそうだけど……でも!


 あたしからするとそれは重過ぎるッ!!


「光子が早く結婚すれば、彼は用済みだ……言い方は悪いがな。あくまでも彼は光子の『保険』であり、許嫁ではない。娘を殴った男を、娘の婿にする父親がどこにいる?」


「……彼があたしを殴った理由を、お父様は知っているの?」

「知る必要はないよ。殴った時点で悪いのは彼だ」


 小学生の喧嘩とは言え……、これが女の子同士であればここまで大事おおごとにはなっていなかった。

 男の子が、女の子を殴ったから……、男の子側の負担が大きくなる。


 あたしが彼を殴っていれば?

 きっと問題にもならなかったはずだ。


 立場が逆だったら良かったのに……そう思った。

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