第32話 三年生 10月
来日コンサートの当日、一緒に行く予定だったバイト先の友だちが体調不良で、当日のドタキャンでお金はいらないから、誰かと一緒に行ってきてくれていい、と連絡がきた。
由衣夏はひとりでいく羽目になるかもしれないと焦ったが、紗栄子に聞いてみたら、来れる、とすぐに返事が来たので、ふたりで行くことになった。
女性ボーカルが黒の革パンツを履いて歌っていたのが印象的だった。
しばらく後、黒の革パンツを履いて登校するクラスメイトが現れた。
あ、それって、と言ってすぐに気づいた子もいた。
どうやら由衣夏の知らないところで、複数名、あの歌手のコンサートに行っていたようだ。
クラス内で騒ぎになったから、コンサートに行く子が増えたのか、そこはわからないが、由衣夏も痩せれたら革パンツを履いてみたいなあと思った。
紗栄子も触発されて、わたしも買おうかなあ、似合うかなあと言っている。
しばらくは革パンツがうちのクラスでは流行りそうな予感がした。
それなら、自分は違うのを着ようかなあ、と思うのが由衣夏だった。
どうやら紗栄子が志望校を決めたらしく、こっそり教えてくれた。
由衣夏と同じ大学だ。
指定校推薦の申し込みは終わったので、公募推薦に申し込むそうだ。
学部も同じなので、合格すれば、ふたりとも改めて四年間一緒に過ごすことになる。
由衣夏としては願ったりなので、絶対合格しようね、と励まし合った。
紘美の進学先が気になったが、自分の心など知りたくない、と呟いていたから、心理学部ではないだろう。
ゲンと一緒に東京に行くのかもしれない。
どちらにしても、聞きづらかった。
クラスの半数は、このまま上の大学に進学するだろう。
音楽グループはほとんど全員がそうだろうから、のんびりとしている。
カオリも、クラス委員のリカも、きっとそうだろう。
なんとなく、雰囲気でわかってしまう。
ジュリはきっと共学に進学するだろうな。
そう思ってこっそり聞いてみると、DV彼氏と同じ国立大学を目指している、と教えてくれた。
まだ付き合いを続け、過食嘔吐を治す道を選ばないことに、かなり驚いたが、それも彼女の選んだ道なのだから、と黙っていることにした。
由衣夏は何も聞かなかったが、ジュリが勝手に話し出した。
彼氏は、ジュリが別れを切り出すたびに、花束を持って家に来て謝るそうだ。
DV男って、DVの後は優しい、って話を聞くが、どうやら本当のようだ、と思って聞いていたが、実際にそうされると別れられなくなってしまうのかもしれない。
しかしジュリも、彼氏のDVのせいか、付き合う前からかわからないが過食嘔吐で、そんな風に病んでる者同士が付き合って、大丈夫なのかだろうかと思う。
そんなことを考えている由衣夏も、トラウマに悩んでいるのだ。
ジュリも、由衣夏も、ゲンも、歪だと思った。
この社会は、自分が思っている以上に、歪な生き物ばかりで構成されているのかもしれない、と思った。
学校帰り、由衣夏がひとりで歩いていると、クラクションが鳴らされた。
窓から車内を覗き込み、話しかける。
「どうしたの? 紘美、見つけ損なった?」
「まあ、そんなとこだ。
乗れよ、ついでだから」
「じゃあ、駅まで、お願いします」
「おうよ」
由衣夏は頷いて助手席に乗せてもらった。
「あんたらって、どうして待ち合わせの約束とかしないの?
だから会えないんじゃないの」
「別にそんなのしてまで、っていうか、サプライズ?」
ふうん、と頷いておいた。
「サプライズの方が、喜びも大きいだろ?」
ゲンはそう言うが、本当のところは偶然空き時間ができたから来ただけ、ということだろうか。
でも、由衣夏の直感だが、たぶん、紘美に最初は偉そうにされていたんだろう、その仕返しというか、立場を逆転させてやろうとしている、ように思えた。
今空いてる?とか、こちらから何か聞くと、会いたがってると思われるから、たまたま暇が出来たから来てやっただけ、と装うのではないか。
由衣夏はふたりが付き合いだした最初のうち、ふたりの勝負の行方を勝手に予想していたが、本当に勝負をしていたようだ。
とりあえず、ゲンの方は間違いない。
あ、これが駆け引きってやつか。
わたしには縁のないやつ。
そんなことを考えていると、由衣夏は自分がその勝負のために使われているコマかもしれない、と思えてきた。
こうして由衣夏にもかまうことで、紘美に特別感を抱かせないようにしているんじゃないだろうか。
深読みすればきりがない、呆れとともに若干疲れてきたから、これ以上無駄に精神力を使うのはやめることにした。
ゲンは自分のことも、相手のことも、平気でどんどん変えていく人間だ。
そして、精神病院から、普通のフリをして退院したヤツ。
音楽をやっているが、芝居をしたらけっこう上手かもしれない、と思ったが、それを言うと、どうしてそう思ったんだ?と聞かれそうだ。
なんとなく、と誤魔化そうとすると、怒るかもしれない。
由衣夏は、ゲンといる時は、刃の上を歩いているような、野獣と一緒の檻にいるような、危険な状況に置かれたような気分になる。
だからこの人に、高飛車な態度をとっては、後々困ることになるだろう、紘美のように。
今日のところは当たり障りなく、駅まで到着したい。
「学校にさあ、可愛い目の子がいるんだ〜」
と、どうでもいい話を始めてみたら、意外にゲンが、どんな目だ?と、食いついてきた。
不思議に思いながらも、こんな形で、笑ったらこんな風になって、可愛いなって思ったの、目だけ、と言っておいた。
あまり褒めちぎると、ゲンがまた変なちょっかいを出すかもしれない。
そうすると自分が紘美に恨まれてしまう。
綺麗な目って言うと紘美がダントツだけど、可愛い目って言うとあの子の目だな、って思ったんだよね〜と言うと、ゲンがなるほどなぁ、そりゃ、綺麗と可愛いだと変わってくるよな、と言って聞いていた。
ゲンはまた今日もサングラスをしている。
だから今のゲンの目が、どんな風なのかわからない。
この前、一緒にいた時と、また変わったんだろうか。
そう思いながら、クラスメイトの目の話を続けた。
そんな話をしているうちに駅に着いたので、礼を言って降ろしてもらった。
あのライブの控え室で見たとき、紘美の方も、勝とう、としているようには見えた。
学校の友だちを何人も連れて来てやっているんだ、こんなに綺麗なわたしが隣に座ってやっているんだ、とアピールしているような気がした。
でも、ゲンはそんな手には乗らないだろう。
野生動物のゲンと、室内で甘やかされて育った動物と、根本的に違うのだから。
むしろ、ゲンはビラビラ王子と知らぬ間に仲良くなっていた由衣夏の方に興味が湧いている、ように思えた。
今日の帰りも、紘美を待っている風を装って、由衣夏を待ち伏せしていたのかもしれない。
由衣夏には、とんでもなく迷惑だった。
また別の日のことだ。
のんびり帰り支度をしていると、紘美からラインで、今からある場所に来て欲しい、待ってる、と呼び出された。
いつの間に帰ったんだか、ずいぶんお早いお帰りだ。
呼び出された場所は、例のマンションではなかった。
由衣夏は、いつかの貫通式の記憶が蘇り、行くかどうかかなり悩んだが、とりあえず行ってみることにした。
学校に近い雑居ビルの一室のようだ。
エレベーターもなく、階段だ。
2階に上り、部屋のインターフォンを押すと、返事がない。
「お邪魔しま〜す」
鍵がかかっていなかったので、そうっとドアを開けて中へ入ると、部屋の中で紘美が真っ裸で座っていた。
ギョッとしたが、紘美の視線は別の方向を見ていた。
その方向を見ると、少し離れた場所に、服を着たゲンが座っていた。
「どうしたの? これ」
ゲンはサングラスをしているから、どこを見ているか、わからない。
「お前、紘美のことが好きなんだろ?」
突然、そう言われた。
「うん」
と、あっさり認めてやった。
「いいぜ、そいつ、抱けよ」
いいぜ、と言われても、ゲンは知らないのだろう。
由衣夏がかなり前に、紘美に誘われて、キスしか出来なかったことを。
動揺して突っ立っていると、
「ほら」
と急かす。
とりあえず紘美の隣に座ってみた。
紘美は由衣夏が触れないのを知っているから、微笑んでいる。
「いいから、やってみろよ」
そう言われるので、紘美に触ろうと肩に手を置くと、紘美が由衣夏の方を向いて、体を寄せて来た。
「うっ、気持ちわるっ!!
あっ、ごめん、どうしよう!」
由衣夏はそう言って紘美から目を背けた。
ゲンは黙ってみている。
由衣夏が紘美を見る、紘美と目が合う。
「うわぁっ、気持ち悪いっ!!」
そう言って、由衣夏は顔を覆った。
ゲンがため息をついた。
「出来ない!
無理っ!
好きやねんけど、無理!」
そう言って、両手で顔をガードするような姿勢をとって後ずさった。
大きく息を何度かついていると、ゲンはゆっくりと立ち上がったが、何も言わなかった。
「ごめん、由衣夏ちゃん、もう帰って」
紘美がそう言って、優しく背中を押され、由衣夏は呆然としたまま部屋を出て、とぼとぼ歩いて帰った。
あれは何だったんだろう。
ゲンは、もしかして、由衣夏が本当に性的なことに嫌悪感を持っているのか確認した?
そのために、紘美を裸にしたの?
どうやら、ゲンは由衣夏とも勝負をしていたようだ。
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