10-1.【事例7】工事費横領の噂

 この話は、私が入社2年目の時に起こったものです。


 当時、 私は工場の設備部隊に所属して、前に述べましたように化学プラントの仕事を担当していました。化学プラントの仕事の中には、設計や工事のほかに、機器や工事を発注するため、仕様書を書いて伝票を発行するという重要な仕事もあります。


 このため、多額のお金を取り扱うことも特徴といえます。当時、本社では1件が何十億円、何百億円といった規模の工事を扱っていましたが、工場の場合は1件が一千万円未満の工事を取り扱っていました。しかし、当時の私は常に50件ぐらいの工事案件を抱えていましたので、合計すれば、何億円といったお金を取り扱っていたことになります。


 今回は、そのお金に関するお話です。  


 さて当時、工場の各化学プラントは年に1回、定期修理を行っていました。定期修理期間中は、プラントの運転を止めて、各設備を開放し内部を点検して異常の有無を調べたり、新規の設備を設置する工事を実施したりします。


 この定期修理というのは、非常に大規模な作業で、約1ヵ月に渡り、土日返上で、休みなしに行われました。また、日頃工事でお世話になっている協力企業(鉄工会社、保温材の会社、足場仮設会社、塗装会社、検査会社など)の人たちが一斉に作業現場に入るというのも特徴です。このため、ピーク時には1日に何千人という人が同時に現場に入って作業をします。そして、この期間中は現場を1日中歩き回るというハードワークが続きます。私の場合は、大体、定期修理の1ヵ月間で体重が7~10㎏減るのが常でした。そして、定期修理では、こういった多忙で混雑した状態になりますので、協力企業も含めて、全体の安全管理を統括する統括管理組織を作ることが法律で定められており、その組織が定期修理全体の安全を統括していました。


 さて、そんな定期修理の最中のことです。


 私は、いつものように多忙で、その時も、ある現場から別の現場へと急ぎ足で移動していました。


 すると、設備の陰に定期修理の統括管理組織の副委員長が立っていて「永嶋君、ちょっと・・・」 と私を手招きするのです。その人は、ある協力企業の所長をしていらっしゃる方で、もうかなりご年配でした。私は、「はい」と返事をして、その人のところへ行きました。すると、その副委員長は声をひそめて、次のような事を言い出したのです。


 「永嶋君。実は、協力企業のなかで、君が会社の工事費を横領しているという噂が立っている。かなり信憑性の高い噂だとみんな言っているんだが、実際のところ、君、どうなんだ?」


 工事費・・・横領? 私はとっさに何のことか理解できませんでした。


 その次に頭に浮かんだのは、警察・・・逮捕・・・手錠・・・といったシーンでした。頭がグラッと揺れたように感じました。


 しかし、次の瞬間「そんな馬鹿なことが絶対にあるわけがない」と何とか気を取り直すことができました。もちろん、会社の金を横領したことなど、あるはずもありません。それどころか、入社2年目の「新入社員」に過ぎない私にとっては、どのようにしたら会社の金を横領することができるのかなど分かるわけもありません。しかし、それよりも、たかだか入社2年目の「新入社員」に過ぎない私に、なぜそのような噂が立っているのかがまったく理解できませんでした。


 やっと、気を取り直した私は「もちろん、横領なんかやっていません」 とはっきりと答えました。


 その副委員長は、非常に厳しい顔をして、黙って私の顔を見つめていました。それは明らかに、私が嘘を言っているのではないかという疑いの眼でした。


 長い時間が過ぎました。しかし、私がそのように感じただけで、実際には1分もたっていなかったでしょう。


 が、やがて副委員長は、ゆっくりと一語一語かみしめるように「とにかく、気を付けるように」とだけ言って、その場を立ち去って行きました。その後ろ姿は、彼がまだ私の言葉を完全に信じたのではないことを雄弁に物語っていました。


 安全統括組織の副委員長をするような立場の人が言っているのですから、そのような「噂」 が実際に立っているのは間違いないでしょう。しかも、話からすると相当な信憑性を伴なって広まっているということです。協力企業に広まっているということは、当然、私の所属する会社にも広まっているということに他なりません。


 私は、一体どうすればいいのか、途方にくれました。


 その「噂」には悪意が込められており、誰かがそのような嘘の「噂」をでっちあげて、私に攻撃を仕掛けているのは明らかです。しかし、 どうしても分からないのは、入社2年目の、まだ右も左も分からない私に、そのような攻撃を仕掛けることに一体どのような意味があるのだろうかということでした。副委員長との会話は、忙しい定期修理期間中のほんの一瞬の出来事でした。しかし、その会話は、私にとんでもない課題と重荷を突き付けたのでした。


 しかし、その時期が定期修理の最中のてんてこ舞いの時だったため、何か対応を取るにもその時間も余裕もまったく無かったこと、また「噂」の内容が内容だけに下手に動かないほうがいいと判断したことから、私は何のアクションも取らず、この「噂」を放置して様子を見ることにしました。


 すると、それ以降、そのような話を二度と聞くことはありませんでした。おそらく、「人の噂も七十五日」 のことわざ通り、その「噂」は、いつしか消えてしまったものと私は考えました。


 しかし、 本当のところは分かりません。私が、周りの人に「私が工事費を横領しているという噂を聞かれたことがありますか?」と聞いてまわるわけにもいきませんので、「噂」の存続を確認する手段はありません。実はそれ以降も、私の知らないところで、その「噂」は生き続けていたかもしれないのです。


 話はこれだけなのですが、「会社というのは怖いところだな」という強い思いが私に残っ たことと、しばらくのあいだは、かなり強いストレスを継続して感じたことは事実です。


 以上が【事例7】の私のストレス体験です。


 さて、皆様には、この【事例7】とよく似たご経験はありませんか? また、もし皆様がこの【事例7】の私の立場だったら、皆様はこの事例のストレスから逃れるにはどうしたらいいのでしょうか?


 それでは、次回にこの【事例7】を、エリック・バーン(Eric Berne)のゲーム分析で振り返ってみたいと思います。


 エリック・バーン(Eric Berne)のゲーム分析につきましては、『2. なぜゲーム分析で人間関係が改善するのでしょうか?』に記載していますので、読者の皆様は適宜読み返していただければ幸いです。

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