第3節(1/2)

  三


 翌朝、雲井小路の宿所には、安田遠時が迎えに現れた。

 遠時自身の被官ひかん三人と、使庁で召し使っている書記役の火長かちょうがひとり。放免ほうめんが四人。遠時と被官、火長は烏帽子に直垂。放免たちは烏帽子こそ同じだが、けばけばしい色味の小袖と袴を着ている。

 政綱は旅の際に着ている黒い装束に刀を差し、その上から篭手と脛当だけをつけて姿を見せた。雲景はいつも通りの水干姿だが、外出時の通例として赤黒い革袋を袈裟懸けに背負っている。

 雲景が、顔馴染みになった遠時配下の放免たちに、機嫌よく声をかけた。

「おまえたち、今日は水干ではなく小袖を着ているのか」

 そのうちのひとり、濃い口髭を蓄えて鼻に刀傷のある大柄な男が、背筋を伸ばして答えた。

「はい雲景殿! 祭礼でもございませぬし、こたびは化け猫退治と承っております。動き易い格好でなければ務まりませぬ」

「大変けっこう」

 満足そうにうなずいた雲景が、政綱の顔を盗み見た。一見無表情だが、笑いを堪えているのが草匠にはわかっただろう。

 それぞれが前科者でもある放免だが、雲景と政綱には一目置いているらしく、ふたりが姿を見せると不思議と背筋を伸ばす癖がついていた。と言うのは事実を覆い隠した表現の仕方で、実際のところはただひたすら政綱ひとりを恐れてのことだった。もう数年前のことに属するが、肩で風を切っていた彼らに絡まれた政綱は、全員まとめて真冬の川に放り込んだことがある。

 政綱は刀の具合を確かめると、低い声で号令をかけた。

「さぁ、行こうか殿原とのばら。さっさと終わらせてしまおう」

 遠時がうなずいて通りに一歩踏み出すと、放免四人が先頭に立ち、小路を南へと進み始めた。その後から火長、そして被官三人。政綱たち三人は、少し間を置いて最後尾を歩いた。

 まだ人通りの少ない龍尾通りを西行し、条里制の崩れた右京まで至ると、そこから南行して梅津辻子を目指した。この間、半刻(約一時間)あまり。

 この日も京洛の空には灰色の厚い雲が垂れ込め、湿気を多すぎるほどに含んだ、しかし冷たい風が吹いていた。

 右京に入り、更に低湿地の下京に至ると、地面の土の色も黒く変わり、陰鬱な雰囲気は一層深まった。道の脇に咲いた紫陽花あじさいの色すらもくすんで見えるほどだ。

 目的地の梅津辻子は、右京の外れにありながら条里制の旧態を比較的よく留めており、瓦葺の家屋敷もぼちぼち見られるなど、上京を移植したような観がある。北から入った一行は件の破れ寺を目指したが、一目でそれとわかるようになっていた。

「流石、都の連中は物見高いな。もう見物人が集まっている」

 政綱が言う通り、破れ寺の周りに野次馬が人垣を作っていた。狩衣、水干、直垂に小袖に筒袖、大陸のほう深衣しんい、実に様々な見物人が集まっている。子どもを肩車している父親、栗の木によじ登る若者、その下から声をかける老人と若い娘。

 いるのは人間だけではない。金髪で耳の尖った猩々しょうじょう族もいれば、腕の長い土蜘蛛族もいる。つぶさに見れば他にも見つかるはずだ――ここは華の都なのだから。

「道を開けろ!」

 放免たちが声を荒げると、行く手を塞ぐ群集が綺麗にぱっと割れた。その向こうに、垣もほとんど残らず、屋根瓦の大半を失った、いかにも破れ寺然とした本堂が見えている。

 群集に見送られながら、一行が扉を失った門から敷地に入ると、先着していた検非違使の役人たちが出迎えた。最も上首とみられる中年の男は、狩衣に立烏帽子。家紋を打った太刀を佩いている。

 遠時はその男に一礼すると、雲景と政綱を紹介した。

「佐殿、こちらが中原師春朝臣、いまは草匠の雲景殿でござる。そしてこちらが、鳳至山ふげしやまの人狗で紀政綱殿」

「うむ」

 男はうなずいた。

「おふたりのご高名は、かねて耳にしておりました。こうして会えようとは、喜ばしい限り」

 どうも言葉とは裏腹に、男が政綱たちに向ける目には、ありありと軽蔑の色が浮かんで見えた。雲景は諸大夫しょたいふながら家職を失った落ちこぼれ官人で、政綱は人界から弾き出されて天狗に拾われた身だ。ふたりには珍しくもない冷ややかな視線だが、当然ながら気持ちのいいものではない。

 政綱は相手にする気もなかったが、雲景はさり気なく、小さな反撃に打って出た。

「こちらこそ。樺崎左衛門佐殿ですね?」

 上役を紹介しようとしていた遠時が「何故?」と問うのとほぼ同時に、樺崎左衛門佐広久ひろひさも問いを発し、きまり悪そうに遠時を睨んだ。申し訳なさそうに頭を下げる遠時に、樺崎広久は小さく袖を揺らして合図を送った。一瞬、その意を酌みかねた遠時だったが、すぐに気がついたらしく、慌てて雲景に問い直した。

「あぁ、雲景殿、何故それを?」

「何故って、家紋に明らかだろう?」

 と遠時に答え、雲景は広久に向き直った。

「その太刀の柄を飾った家紋、一見すると竹のようにも見えるが、さにあらず。林立する白樺を象ったものだ。櫛の歯のように整然と並んだ美しい紋です。それで憶えておりました」

 雲景の故実の知識に対する感心もあるに違いないが、相伝の紋を〝美しい〟と評されて、広久はあっさり上機嫌になったようだ。「こちらへ」と、壁が所々破れて随分見通しのいい本堂へと、我から進んで一行を案内し始めた。

 数歩先を歩く広久に聞こえないように、政綱は雲景に耳打ちした。

「おまえは都でだけは頼りになるな」

「一言余計だ。ほんのちょっとした気遣いで、随分と人の態度は変わるんだよ。見てただろ? 思慮の浅い男もあの通りさ。歯牙ないもと官人のわたしが、渡世のために身につけた方便ってやつだ。おまえも見習ってくれていいんだぞ?」

「おれの態度に文句があるなら、天狗たちに言ってくれ」

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