第三章
第1話
私は久しぶりにジャックの研究所に行きたくなった。
ジャックが死んでからどうなったか見当もつかないが、もしまだ残っているなら見たいと思った。
最後にジャックと話した場所はジャックが一人で死んだ場所だ。
結局ジャックの研究とはなんだったのだろう。
外は真夜中だった。
爛々と光る街灯とその下で戯れる人々は相変わらずで、いくつものエレベーター塔があの日と同じように光を発していた。あの日と違うのは、もう私が夜を恐れなくなったことかもしれない。
テッセラ州とエクシ州の境界通りをずっと進むとジャックの研究所に続くエレベーター塔が見えてきた。こんなに歩いたのは久しぶりで、家を出てからずっと肺が音をたてている。
いつも脳の奥にあった微睡む感覚はなくなっていたが、代わりに感覚が研ぎ澄まされ、肌に感じる空気すら鋭く感じる。
人気のないエレベーター塔に入りタウン階から下層に降りる。
「B」の表示がエレベーター内の画面に点滅するのを見て今更ながら来たことを後悔した。
開く筈のない扉の前で途方にくれて馬鹿なことをしている。
「ジャック、開けて、私、アヴァ。」
囁くような声を出しチャイムを押す。
私は今ここで、私の中のジャックを過去の人にしようとしているのだ、そう思い至ってひどく寂しくなった。
「―入って。」 短く声が聞こえ目の前の扉が開いた。
あの日入れてくれなかった、ジャックの変化に気づけなかった。
扉までの二、三歩が途方もなく長く感じる。この瞬間を逃したらもう会えない。
あの日、無理をしてでも中に入れてと言えば良かった。自分のことばかりを考えてジャックのおかしさを流した。物わかりのよいふりをしていつだって嫌われたくないだけだった。私があの時ジャックを連れ出せたらきっと何か違ってた。
会いたい、会いたい、あんな醜い姿じゃなくて元の私の知ってるジャックに会わせて下さい。お願い。
「ジャック!!!」私は躊躇せず白い扉を開けた。
窓越しに海を見つめていたジャックそっくりの髪形をした男性が振り向く。
「残念、俺。」
そこにいたのはJだった。
「―――J?なんで、ここ」「ここ、Jの先生が研究所を引き継いで自由に入れるようにしてくれたの。出来たら俺の家にしたかったんだけど、流石に無理だった。
いつか来るかなと思ってたけど、結構遅かったね、アヴァ。」
私は驚いて茫然とJを見た。
生前のジャックとそっくりな髪形をしたJの身体を、海に反射した月が亡霊のように淡く光らせている。私はJに会うのがジャックの葬式以来だということに気づく。
「何かいうことないの?」
波が穏やかにJの後ろで揺れている。
Jは窓から離れると部屋の中心の穴に腰かけ私を見上げた。
「―久しぶり?」
Jは眉間に皺を寄せ、一度大きな溜息を吐いた。
足をぶらぶらと揺らすJは何故か幼く見えジャックとだぶる。
Jを見ていると自分が今どこにいるのか曖昧で奇妙な気分になった。
「アヴァさ、なんでここにきたの?…ようやくジャックのことに興味出てきた?」
「そんなの、興味がなかった時なんて一度もないよ。」
(やっぱり外になんてでるべきじゃない、ゆめのなかにいたい)
「アヴァ、お前はいつも自分のことしか考えられないね。どうして、家族を大事にしない?」
Jが肩を大きく震わせ目を瞑り深く息を吸う。
ぎゅっと閉じた目を開けるとまた喋り始めた。
「なあ、ジャックが何で死んだとか、何であんな状態だったとか、何にも疑問に思わなかったの?」
私はここで初めてJの中にある失望を感じた。
でも私はどうしてJがこんなにも怒っているのか分からない。
閉じこもってる訳じゃない、夢が私を救ってくれることもある。そう思っても、これを言ったところでどうなるの、Jが理解を示すなんて思わない。そんな思考が私の言葉を消していく。ジャック、無理だよ。
「思ったよ。」
ようやく出せた言葉はこれだけだ。
けれどJは納得していない様子で私に近づき顔を詰め寄ってきた。
「そうは見えないけどね。
―悲しみの中を泳いでた?それで、気が済んだからジャックのことも忘れようって感じ?なあ、きいてんのか 「っ!あんな、あん、な、あんな可哀想な死に方認めない!」」
Jが歩みを止めた。
「忘れたことなんて一度もない。忘れられるなら忘れたいよ、あんな姿。
あの日から自分がおかしくなったことも分かってる。私、おかしいもん。
でも、あれはジャックじゃない。ジャックはあんな腐った臭いしないし、いっつもお日様みたいな匂いで笑うのがジャックだもん。あんなのジャックじゃない。…興味ないわけない、…なんでよ。
なんでジャックがあんな死に方しなきゃいけないの?!おかしいじゃん!気になっても、もう無理じゃん!いないんだもん!もう、忘れたいの!!!」
一気に感情が溢れた私は自分のコントロールが出来ずに、口も顔も身体も全てが震えていた。
Jは私を見て微動だにしない。
私の呼吸が収まると研究所に静けさが戻り波音だけが響く。ジャックもこの音を聞いていたのだろう、そう思った途端に涙が溢れた。次から次へと流れてくる涙は私の頬を伝い落ち顔を熱くさせた。
しばらくするとJが綺麗に畳まれたハンカチを私によこした。
「おいで、ジャックがお前に見せたかったものがある。」
そう言うとJは梯子を伝い降りて行った。
私は黙ってついていった。
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