明治蒸気幻想パンク・ノスタルヂア

留龍隆

1:殺し屋殺しという名の業務。

蒐集欲しゅうしゅうよくというのはおそろしいものであるね。八つ目の大罪に入れるべきだと思うよ」


 またなにか暇つぶしに話しかけてくれたな、と井澄は思い、陳列された品々を撫でていたはたきを止めて声の主に問いかけた。


「ならば八千草はなぜ、蒐集欲に駆られた人間しか来ない、こんなところで働いているんです」


「ん? 馬鹿なことを訊くものだね。働かないと食べてゆけないからに決まっているよ」


「矛盾しているような」


「矛盾などしていないよ。罪と数えられるだろうと判じただけで、これからはそう捉えることにしようと思っただけであるからね。ただの感想ということだよ」


 店の奥から帰ってきた八千草やちぐさの声に、井澄は目を向ける。


 薄暗く狭い店内の向こう、洋箪笥ようだんすの物陰にあるカウンタのほうから、洋灯ランプの明かりのもとへと姿を現していた。


 近付く間に、歯車式計算機、羅針盤、革張りの椅子といった、店内所せましと並べられた品々に触れていき、絹織の黒い長手套の指先へ付着した埃を、ふうっと息で払った。


 今日も今日とて、相も変わらず気だるげな様子だった。


 丹念にくしけずったぬばたまの黒髪を腰まで伸ばしており、ほんの一部だけを緋色の細い髪留めで結い。

 長めに整えた前髪の奥、病的に白い肌に覆われた小さな顔の中、くすんだ宝石のような瞳と青ざめた果実のような唇が目立つ。


 そこには湾曲して垂れさがるような形状のパイプがくわえられており、ほの青い煙が一筋、二筋、天井の燈へのぼっていた。異国情緒に満ちたそんな小道具が、彼女にはたまらなく似合う。


 井澄の胸までに満たない華奢な体は、上等な漆黒の生地でこしらえたゴチック風のボウルガウンに包まれ。裾のフリルの先は、こちらも同じく黒い革製の編み上げ肢上げ靴ブウツに覆われていた。肢上げ靴と、ボウルガウンの裾の間には、黒に挟まれ白さが際立つ足がのぞいていた。


 この微妙な空間が大事だ、と井澄はいつも思う。絶対的で何者も侵すべからざる領域。見ていてぞくぞくする。


井澄いすみ。話は続けてほしいけれど、ぼうっとしてないで仕事をしなさい」


「はい」


 見惚れ呆けていたのを咎められ、彼女が杖のようについている洒落たアンブレイラが向こうずねをぱしぱしと打った。少しの痛みはかゆさに似ていた。


 井澄は屈んでいた背筋を正す。目線と共に下がっていた眼鏡と鼻の下も押し上げ、はたきを持ち上げた。手首で重たいカフスぼたんが揺れる。


「して、八つ目と言っていましたが。そもそも大罪とはなんでしたっけ?」


基督キリスト教にある、人間の抱える七つの罪のことであるよ。嫉妬、傲慢、色欲、強欲、暴食、憤怒、怠惰の七つ」


 色欲、のところだけ妙に強い語調で言われたが、きっと気のせいだろうそうだそうに違いないと自分で自分を納得させた。しかし八千草の視線の冷たさは変わらなかった。気を取り直して、井澄は続ける。


「仏の教えにある〝三毒〟と似てますね。しかし、そんなところに追加されうるほど蒐集とは悪いものですかね」


「だって考えてもごらんよ。所有欲からはじまり独占欲に行き着き、自己顕示欲と結びついたころには、財産をすっかりすり減らして身を滅ぼす種となることもあるのだよ」


「はは、物を持ってもその人の価値が上がるわけではないのに。私には理解できかねますね……物を買うなら贈り物にすることを考えますよ」


 少なくとも贈った相手からの自分に対する値踏みはよくなるだろうから、とは続けず、八千草の頭に彩りを添えている髪留めをちらりとうかがった。

 彼女はなにも勘づいていないのか、首をかしげるだけだった。井澄は肩を落とした。


 そうこうするうち、はたきが品物の上を通り過ぎ八畳しかない店の端まで行きつく。はたきを置いて着ていたジャケツのポケットからハンケチを取り出すと、淡い陽光の差し込むギヤマンの窓に吐息をかけて、丁寧に表面をぬぐった。


 霜月で寒いためか結露していたので吐息の必要性は疑問ではあったが、形式を尊重した。気分と雰囲気は大事にすべきものだと井澄は思う。背後で煙をふかしながら、八千草は話を続けていた。


「おまけに、蒐集した品に手を出されたときの激昂具合ときたら他に類を見ない。三大欲求とされる食欲・性欲・睡眠欲を邪魔されて人が人を殺すことは少ないけれど、生とはおおよそ直接関わりないはずの蒐集欲求の邪魔をされたら、人は容易く人を殺す」


「物とお金は命より重たいと本気で思いこんでるんでしょう、蒐集家って連中は。物の価値は値段で、それ以上ではないというのに」


「まあ価値というものへの考え方が、ぼくたちとは根本的にちがっているのであろうよ」


 パイプから離した口の端から、紫煙を吹き出す。


「……私は、形のないもののほうが、大事だと思います」


 井澄は八千草を熱っぽく見つめながら言った。


「まったくそのとおりだとぼくも思う」


 八千草はのぼっていく煙を見ていて視線に気づいてはくれなかった。また一吸いしてから、八千草は煙を溢れさせつつ言う。煙が喉を乾かしているときの彼女は、なんとも幸せそうなものだ。井澄も見ていてほっこりする。


 そして八千草は息継ぎの合間に、言葉を紡ぐ。


「しかしおまえにとっての価値だっておまえの中で変わると思うよ、井澄。周りに影響されて、歳を経て、考え方が変わって、〝価値は変わる〟」


「そうでしょうかね」


「ん。なんてことない話さ……」


 そこで、ちりりんと音を放つ鈴が、店のドアの開閉を示した。八千草が足をそろえてパイプを口から離した。客が来たらしい。


「いらっしゃいませ。西洋伝来の骨董品取扱処、〝アンテイク〟へようこそ」


 頭を下げている八千草を見てとって、井澄はジャケツの襟を正してから振り返り、同様に頭を下げる。


 顔を上げると来客は年端もいかぬ――と言っても井澄の齢は十八、八千草も背丈が五尺150cmに満たないにもかかわらず十九なのだが――少女で、身を包む着物の仕立ての良さから察するに、ある程度は金銭に不自由していなさそうな人物であった。おどおどと八千草、そして井澄に目をやり、胸の前で抱えた風呂敷をひしと抱きしめていた。


 そこまでは、いい。この街は〝四つ葉〟の中では比較的安全な〝緑風りょくふう〟であり、このようにぽややんな、お嬢様然とした子でも歩き回れるのだから。……〝赤火せっか〟や〝青水おうみ〟では踏み込んで間もなく身ぐるみはがされ、純潔も奪われているだろうが。


 さて、眼前の問題に目を戻そう。


 井澄は少女の視線の先になにがあるか、すぐに気づいていた。八千草もそうだ。


「あ、あの」


 高く細い上ずった声で、少女は壁にかかる品を指さした。


 海の向こうより伝来した、馬のひづめにかぶせるために用いられるという蹄鉄の飾りだ。ここに勤める人間のだれ一人としてこの品の由来、由縁を知らないが、とにかく魔除けになるらしい。

 少女は、震える指先にて「し」の字によく似たその品を示した。


「『あの、御守りは、おいくらです、か』」


 ――そしてこれを求めることは、この店ではひとつのことを示唆する。八千草がふ、と表情に影を載せ、無機質な声で応じた。


「下の札をご覧ください。売リ物ニ非ズ、そういうことです」


「そ、そうおっしゃらずに、お願い、します」


 少女は指を三本立てた。


 これで、確定した。客は客でもただの買い物客ではない。八千草は少女に頭を下げると、カウンタの奥にある小部屋へと導いた。少女はうなずいて、おっかなびっくり、ドアを開いて入っていった。


 中にあるのは店内で陳列されているのよりも遥かに質の良い革張りの椅子で、ふかふかとしたそこに少女が尻を落ちつける。膝の高さのテエブルを挟んで向かいに座った八千草が、小さく井澄に手招きする。


「店閉めて、お茶用意」


 こそこそ耳打ちするように、短く指示を出す。井澄にとって八千草のほうが目上であるため、命令されるのは当然といえば当然の扱いではあるのだが。どうにも威厳より愛らしさが勝る所作であり、指示されたというよりお願いされたような気分になる。


「かしこまりました」


 素早く井澄は表に出て、ドアにかかっていた札を〝開店〟から〝閉店〟に変えた。それから小部屋の向かいにある手狭な台所に立つと、すでに薬缶やかんにはお湯が沸いている。かたわらのテイカップには飲みかけの紅茶があった。


 八千草が飲んでいたのだろうと目星をつけるや否や丁重にカップに口をつけ、ゆっくりと嚥下えんげしながら、ポットに残る茶葉へ湯を注ぐ。


「……、」


 少し冷めたカップの温度に人肌のぬくもりを思った。味わって飲み干すとすぐにカップをすすいで、自分が飲んだことが露見しないよう、同じくらいの量の紅茶を注ぎ入れてから来客の分を用意した。


 満ち足りた気分のまま小部屋に入り込み後ろ手にドアを閉めると、部屋の中には八千草が灰皿代わりに用いる江戸切子から立ち上る煙草葉の匂いに満ちた。八千草は井澄に対するときのようなゆるく気だるげな態度を引っ込める。

 お待たせを、と一言述べて井澄はテイカップとソーサを少女の前に滑らせた。


「さて。こちら、アンテイクへお越しということは、用件はお決まりのことと存じますが。ご依頼はどのようなものでしょうか」


 身を乗り出しながら八千草は問う。萎縮した少女はなかなか話し出すことができず、目線をそこかしこに走らせ、落ち着かない顔で眉を上げ下げしていた。


 息が短く多く、肩を小刻みに震わせている。


 ここへの来客にはありがちな反応ではあるのだが、それにしても過剰だなと思われた。しばらく見ているうち、やっとのことで思い切りがついたのか、一度つばを飲むと左右に首を振ってから語りだした。


「は、はい。えと、その、ですね。井澄さん、というのは、どちらにいらっしゃいますか」


「井澄なら」


「私ですが」


 八千草があごでしゃくるように、斜め後ろの井澄の顔をうかがった。上目遣いをされている、という嬉しい事実しか井澄の頭には入っていなかったのだが、なぜか納得したような顔で少女に話の続きをうながした。

 少女は井澄に目を合わせようとはしなかった。


「え、え、と、その、井澄さんに、お願いがありまして」


「つまり――必要とする業務は〝御守おまもり〟ということでよろしいですか?」


「い、いえ」


 少女は首を横に振った。明確な意思があるわけでもなく『ただただわからない』という顔つきでさえある。……頭がゆるい子なのだろうか、などと失礼なことを井澄が考えていると、八千草が勝手に少女の言葉の先を推測した。


「では、〝殺し屋殺し〟ですか」


「は、い、いえ、そうでは、なくて……」


 要領を得ない話ぶりのまま、少女は小脇に置いた風呂敷を盗み見た。そして、膝の上で手を震わせた。


 瞬間、


 ふっと勘づいた井澄。


 素早い挙動で両手を振って、袖から手の内に得物を落とす。握りこむ得物の感触で以て手の感覚が研ぎ澄まされるまでに、風呂敷より、爆発的に殺気が感じられて――



『――殺し屋殺し、らせてもらうぞ』



 明らかに方向は風呂敷からなのに、どこか彼方から響くような声がした。少女が声に驚いた様子で、頭を抱えて伏せる。


 なるほど、と井澄は瞬時に状況を把握した。少女は運び屋をやらされたのだ。


 ぞ、と布が引きつる音がして、膨れ裂けた風呂敷からは人間を模した掌大の紙片が飛び出してくる。


 数にして十……いや二十か。それぞれが各々の行動範囲を助けあう、将棋の陣形がごとき円運動を見せたのち――円の軌跡で勢いにのり、高速で井澄たちへ飛来する。


 認識したときには、井澄は自然と動いていた。


 伸ばした指先を地面へ向けたまま、腕を体の前で交差させ。袖の中から落とした硬貨幣コインを諸手に三枚ずつ、指の間に挟み込んでいる。次いで四本の指を折り、親指で四指の爪先を押さえるようにして指に力を溜めた。


 紙片が自分へ向かうのを見てとり、両腕を横へ振りぬくと同時――溜めた力で以てコインを弾きだす。狙い誤ることなく虚空を飛んだコインは紙片を六つ、撃墜した。だがなおも迫りくる、残りの紙片。


 群れなす紙片は井澄に近付き――ばらばらに、切り刻まれた。


『なっ……!』


「ふむ」


 両者のつぶやきと共に八千草が振るう右手に、握られるのは一振りの直刀。アンブレイラを鞘として仕込まれている刀は長脇差ほどの刀身による間合いで室内を蹂躙していた。


「お怪我はありませんか」


「いや、むしろお前が自分の心配をしよう、井澄」


 こう返されて、無事だとわかった井澄は安堵した。


 紙片は紙吹雪となって室内に舞い、斬られた箇所から灰屑のように砕けていく。ちょっとした雪景色の中にいるようで、八千草の姿が妖艶な精であるかのように井澄は感じいった。


 じ、と睨む目つきで、八千草は少女に首を向ける。


「それで」


「ひ」


 切っ先も、少女へ向く。焦りに満ち満ちる少女は顔を歪めてソファの上にあとずさるが、もう言葉を発する暇も与えない。うろこのような鈍い輝きを放つ刀身が、鋭く突きこまれた。


「どこのどなたかな、ぼくらの命を狙っていたのは」


『ぐ……くそ、こんな、一瞬で……』


 少女の耳に掠めるように突いた切っ先は、残る最後の紙片を壁に貫き留めていた。声の発生源は紙片であるらしく、低くくぐもった、男の苦悶の声が漏れだしていた。


 逆に声を失くしたその少女は、命あることに安堵したのだろうか。横目で切っ先をとらえるとそのまま意識を手放した。


「まあいい。式神は破られたのだからね。おそらくは、これが仮初かりそめの統率者か。斬れば、術者本人へ反動が向く……」


『な、やめっ、』


「やめないよ」


 切っ先を抉るようにして紙片を引き裂くと、声は途切れて紙片は黒き灰と化し端からぼろぼろと崩れ落ちた。


 血振りをするように一度刀を払うと、八千草はアンブレイラに刀身を納める。やれやれといった様子で失神した少女を見やり、ぽりぽりと頭を掻いた。灰になった紙片の屑にも目を向け、部屋の隅にある箒とちりとりを手に取った。井澄も横で屈みこんで自分が放ったコインを拾い上げ、袖に戻す。


「やれやれ。客のフリをして暗殺に来る奴はいくらもいたけれど、よもや一般人を盾にして式神を送り込んでくるとは夢にも思わない」


小雪路こゆきじが〝危神きしん〟を倒してしまったせいで、恨みを買ったのですかね。こんなことになるのであれば、戦わせないよう努力するべきでした」


「戦闘狂のあの子になにを言っても無駄だと思うけれどもね」


 言われて、井澄は八千草に言葉を返すことができなかった。

 同僚の少女・小雪路の戦いを渇望する精神は、たしかにだれにも止められそうにない。ため息をつく。


 それから失神した少女の、耳についた小さな切り傷を見やる。そしてうなだれた。


 ――この街では、命の価値が安すぎる――そう思えてしまった自分は、間違いなく価値観をこの街に毒されているのだろう、と。


 窓の外に広がる、箱庭のような街並み。


 開化以前の日の本としての趣きと西洋文化とが混じり合い、奇妙な融合を果たしているこの島〝四つ葉〟。


 居留地のように異国の人間が歩いている煉瓦通りもあれば、着物姿でうろつくゴロツキどもを見かけることもある。貿易の拠点として認知されており、同時に歓楽街や賭場も経営されている。表向きには、そんな場所だ。


 明治という時代を象徴しているかのような島は、しかし裏で暴力と金が物を言う。ひと山いくらで命が売り買いされており、さっきのように命を狙われることもままあった。


 結果、自衛の手段が必要となる。時代に取り残された傍流の剣術、式神用いる陰陽の術や井澄のような暗器術など、ここにはさまざまな異能の使い手が集う。


 そんなことを考えていた井澄の横で、八千草は前向きなことを述べた。


「まあ結果だけ見ればいいじゃないか。この街きっての人斬り・危神を倒した功績でぼくらの名が売れ仕事は格段に増えたのであるよ。順風満帆さ」


「いや、こうした揉め事に巻き込まれる度合いが増えすぎているので、全体として見ればむしろ収支は微減といったところかと……」


 井澄の返しに、八千草は少し黙った。


 この島はさまざまな異能の使い手たちが集まり、群れ成し、一定の巨大派閥の下で基本的にはおとなしくしている。


 だがいまのような殺意をふんだんにあしらった揉め事は絶えず、刃傷沙汰も頻繁に起こる。


「あー、でもそこはほら、知名度が落ち着くまでの有名税というものさ。この街では人の入れ替わりが激しいし、すぐに落ち着くよ」


「まあ入れ替わりの激しさには同意しますがね」


「だろう?」


「いまもまたぞろ〝青水おうみ〟あたりで戦闘者の人手が不足しているでしょう。先日も大規模に斬り合いがありましたし」


「ああ、そういえば侠客やくざ者の抗争があったか……そのあたりとぶつからないようまた人員配置の調整をしなくてはいけないね」


 抗争。紛争。この島は争いが絶えない。


 そこでさらなる、雇われの戦闘者が増える。


 増加した戦闘者はぶつかり合う派閥の隙間に入り込み、単純な増援の用途の他に両派閥が手駒を減らさないための緩衝材鉄砲玉となったり、敵対組織に送られる暗殺者となったりした。


 ……だが、井澄と八千草の仕事はそれらとは大きく異なる。


 人の死に直面しやすいが、けれど殺すばかりではない。


「本当に、よく人が死ぬ島です」


「でなければ、仕事にならないよ。ぼくらの戦う守るべき相手は、そこら中にいるのだから」


 そう。


 積極的な戦闘や暗殺といった仕事を好まず。


 数多ひしめく四つ葉の使い手どもから依頼人を護衛し、場合によって殺し屋を殺すだけ。


 ――それが、井澄たちの仕事であった。

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