窓のない部屋

有未

窓のない部屋【前編】

 自室に窓がない。否、厳密に言えばひとつある。だが、それは嵌め込み式となっており、内側からも外側からも開かない仕組みとなっている天窓だ。物件の下見の時点で分かっていたことだった。だが、割合に最寄り駅が近く、そして家賃が安いことから、私は当面の住居としてそこを選択した。その選択に後悔はない。私は少しでも多く貯金をし、安心を得たかったので、生活に掛かる費用は削れるところまで削りたかったのだ。


 自宅を、開く窓のない部屋と決めた時、私の脳裏に浮かんでいたのは「洗濯物を外に干すことが出来ない」ことと、「窓の開閉による換気が出来ない」ことのみであった。また、それくらいはさしたる問題ではないと思っていた。


 しかし、一週間も住んでみればもっと切迫した問題があることに気が付いた。それは、精神的な圧迫である。窓が開けられない部屋は閉塞感を強くもたらすということに私は気付かされたのだ。






 東京に来て最初に強く認識した感情は、さびしいということだった。こんなにも人が大勢いるのに、私のことを知る人はただのひとりもいないのだ。


 栃木県の田沼町を故郷とする私の友人は、その多くが今もそこに住んでいる。ある友人はそこで仕事をし、ある友人は家庭に入り、ある友人は実家で暮らしている。


 私は、家出も同然でここに来てしまったがゆえに、最早、故郷と呼ぶべき場所を自ら失わせてしまったかのようにも思う。親しい友人が多く住んでいる田沼の町が懐かしく思えることは、こちらへ来てから現在までの僅かな間の中で幾度もあった。正直に言えば、家族は今日、どんな風に過ごしたのだろうと思わないこともなかった。だが、私は学生の頃から憧れ続けた「東京」という街で住む場所を見付け、仕事を見付け、お金を貯めたかった。その行き着くところに何があるのか、学生の時分にはおそらく良く分かっていなかっただろう。それが今なら分かるのかと聞かれても首肯出来ないが、いずれは掴み取ることが出来るだろう。きっと。


 幸い、住む場所も仕事も割合にすぐ見付けることが出来た。私は今、特に理由もなく経理事務の仕事をしている。この頃は会計ソフトなどという便利なものはなく、日々の仕訳から試算表、決算書の作成までの全てが手書きによるものだった。商業学校を出た私は一応、簿記の二級を持ってはいたが実務経験はゼロであり、やはり勉強をしたとは言え、実際に仕事として取り組んでみると行き詰まることもしばしばあった。


 基本的に経理の仕事というのは、その日にどのような取引があったかを記録することである。こう書いてみると単純至極のような印象を受けるかもしれないが、実際は少なくとも簿記三級程度の知識はないと、自分の頭で判断して経理の仕事をしているという充足感は得られないかもしれない。取引が生じた時、その表面上、目に見えている数字や勘定科目を並べるだけの単調、かつ、つまらない仕事と化し、また、その取引や数字が自社にとってどのような影響を与えているのかという深層を知らずに経理をこなしてしまうかもしれないという、雇用側にとってもリスキーな事態を招きかねない。その点では、私は一応とは言え資格を持っているので、雇用者としてはある程度の信頼は寄せてくれたのかもしれなかった。


 だが、そのせいなのか単に多忙なのかは分からないが、いわゆる指導してくれる人間がただのひとりもいなかったことは私にとって大きな困惑となった。初めて社会人として、正社員として働き始め、経理という仕事の概要や勘定科目などは分かっているつもりでも、会社によって独自の仕訳をしていたり補助科目を作成していたりする。多少、専門的な話になってしまったかもしれないが、とにかく、経理事務をその会社で務めて行く上でそれに関して細々としたことを教えてくれる人間、判断に困った時に尋ねることの出来る人間がひとりもいなかったことはとても心細かった。


 それでも、仕事だ。私はそれによってお金を貰う立場だ。そして私の判断が間違えば、最終的なところ――決算書によってもミスが生じ、納税の際に重大な事態を招くことも会社の損失となることも有り得る。


 しかしながら、何しろ判断を仰げる人間がいないのだから私の間違いに気が付くことの出来る存在は他ならぬ私しか、少なくとも今はいないのである。自分だけが頼りだ。私はそう言い聞かせ、言い含め、日々の仕事をこなしていった。繁忙期ではなかったことが幸いだった。


 仕事は、いつしか慣れるだろう。もしかしたら間違う時もないとは言えない。だが、それを恐れては何も出来ず、そのあまりに出来るはずのことまで間違ってしまったら目も当てられない。当面、留意しながらこなしていくしかないだろう。私は早々にそのようにして割り切りを付けた。


 だが、いつしか慣れるだろうと、割り切ることの出来ない事柄もある。窓の問題だ。まさかこんなにも閉塞感を、圧迫感をもたらすとは夢にも思っていなかった私は、ここに住み始めてそろそろ一ヵ月が経つという頃の時点で、既に引っ越したいという独り言が心内で洩れるようになっていた。朝、起きても。夜、帰っても。開く窓のない部屋に住んでいるという目に見える現実は当然のように決して変化することがない。






 ――やがて、だんだんと仕事にも慣れて行った私は、そういった面では少しばかりだが余裕が出て来るようにはなった。簡単な間違いは早々起こさなくなったし、もしも起こしたとして、仕訳の段階で修正の利くものには早くに気が付き、正せるようになった。勘定科目の意味は勿論、借方と貸方、資産と負債の仕訳、減価償却の意味も理解し、顧問税理士との打ち合わせにも上司共々、参加した。


 十二月が決算期となるその会社で十一月を迎える頃、月々の決算書を問題なく作成出来るくらいには、私は自他共に認めるほど経理事務のポストで成長をしていたのだ。それは会社にとっては有益なことであり、私にとっても自信と安堵に繋がることだった。何しろ私の他に経理事務を担う要員がいない為、それに関する些細な事柄ですらなかなか尋ねられない環境にあったことが相当の不安とストレスの原因であったのだ。しかし、自らの知識を総動員し、また、多少ではあるが顧問税理士の好意によって質問を受け付けて貰うことも出来るようになった為、私は徐々にではあるが確実に経理に必要な知識や判断力を身に付けて行ったのだ。


 だが、反面、私はうっすらとだが気が付いていた。心の内側で車輪が軋むような音が聞こえることに。それは日々、本当に少しずつではあるが音を大きくし、私の表面に顕れようとしていた。そんな気がしていた。


 それでも会社は休むわけにはいかない。あの会社に、経理事務の出来る人間は私ひとりきりしかいないのだ。特に今は決算を控えた大事な時期だ。過去の仕訳の確認や、減価償却の計算、決算書の作成と確認、他諸々の提出書類の作成など、すべきことは沢山ある。加えて、日々の仕訳、入出金の処理、預かり金の精算などもある。それでなくとも現代社会において「会社を休む」ということは良しとされない。慶弔を除き、社会人として不適格とみなされる。それがたとえ、風邪であってもだ。体調管理不足ということで前記と同様だ。そういうことが私は社会に出て約八ヵ月を経て分かり始めていた。






 会社も、私も、現実も止まらない。規則正しくではなくとも、毎日は整然と廻り続ける。そこから外れた者は現実の外側で、それの流れ行く様を眺め続けるか、流れの余波に踏み潰されるしかないのだ。いつしか私はそのように考え、それは時として強迫観念のようになってはしばしば私を襲い、心の内側から私自身を苦しめた。


 そんな折、ひとりの友人から電話が掛かって来た。携帯電話の液晶に浮かび上がった名前は、高崎たかさきれい。高校でのクラスメイトで、私が東京に憧れ続けていたことを知る数少ない人物だ。同時、私の東京行きをひどく心配してくれた存在でもある。肯定も否定もせず、ただ、心配してくれていた。私は、そんな友人にですら何も告げず、三月に高校を卒業して一週間と経たない内に東京行きの電車にひとり乗って故郷を去ってしまったのだ。私が今、ここにいることはほとんど誰も知らないだろう。厳密に言えば、この「東京」という街のこの住所に私が住んでいることは、私以外、誰も知らないのだ。


 ぴぴぴ、という連続する三音の組み合わせが三度鳴ったところで私は携帯電話の通話ボタンを押し、少しの躊躇いの後、本体をそっと右耳に押し当てた。もしもし、という一体いつの時代からお決まりになったのだろう、通話の始めの呼び掛けが機械を通して私の内耳の奥底に静かに沈むようにして聞こえた。それは紛れもなく私の友人、高崎怜の声だった。久しぶりに聞くその声に思わず私は言葉を失い、代わりに微かな唾液を音もなく飲み込んだ。その時、私は他にも何か正体の分からないものを飲み込んだように思う。もしもし、という声が先程よりも幾分か訝しげに聞こえた。私は小さく息を吸い込んでから、それと同じ言葉を機械越しに返した。


「もしもし」


深里ふかざとか?」


「そうだよ。誰だと思って掛けていたの」


「いや、無言だったからさ。話していて大丈夫か?」


「うん」


「何か元気ないな」


「ちょっと、声を抑えているだけ。コーヒー、飲みたくなったから外に出るね」


「家にいるのか?」


「うん」


「家だと、まずいのか。誰か来ているならまた今度、掛け直すよ。寒いだろ、外」


 私はその言葉に曖昧に答えながらコートを着込み、ポケットに五百円玉一枚と家の鍵を入れる。互いがぶつかり、かちゃりという音がポケットの底で鳴った。ショートブーツに足を入れ、とんとんと履き慣らし、玄関扉を開けて閉める。施錠する。


 不意に私は、ほっと溜め息をついた。それは寒さから生じるものではなかった。それは明らかに安堵の、安息の溜め息でしかなかった。白い、息。静かに階段を下りる。


「深里?」


「うん?」


「外に出たのか?」


「うん」


「大丈夫か、寒くないか?」


「大丈夫。ちょうどコーヒーを飲みたかったの、自販機の。だから気にしないで」


 吐く息は白く、見上げた空は灰色と白の入り混じる、ひどくさびしく無感動な色に染め抜かれていた。アパートを背にして私は近くの公園へ向けて足を進める。その間、高崎は一言も発せず、黙りこくっていた。それは私も同じことだが。


 一分か二分くらいだろうか、それぐらいの時が過ぎた後、高崎がぽつりと降り始めの雨のように言った。元気か、と。それに返す言葉を私はすぐには見付けられず、連動するかのように私の足が止まった。冷たい冬の空気が私を押し包む。


「元気だよ」


 やっとの思いで私はそれだけを言い、再び歩き出す。自販機を備えた公園はすぐそこだった。


「ずっと、気になっててさ。だけど、聞いて良いか分からなかった。誰にも言わずに消えるようにいなくなってしまった深里のことだから、こういう風に構われることが嫌なんじゃないかと思ってたから」


 それは当たらずとも遠からずと言ったところだ。両親にも最後まで東京行きを反対され続け、元々、不仲と言っても過言ではないその環境に好い加減に辟易していた私は、いっそ私のことを誰も知らないところで生きてみたかった。それがたとえひどく苦しく悲しくあったとしても、どこであっても、ここよりはきっとましだと思えたのだ。そして、そういった決意は誰に告げるべきでもないと私は思っていた。口にすれば、それはたちまち嘘めいてしまうような、熱を失ってしまうような、そんな気がして。


 だから私は本当に誰にも何も告げず、故郷の田沼町を飛び出すようにしてここへ来た。この、「東京」という場所へ。ここで私は春と夏と秋を過ごし、今はこうして冬を過ごしている。ポケットに入れたままにしていた片手に五百円玉を握らせ、自販機に投入する。あたたかい缶コーヒーと釣銭が落ちて、思いの外、大きな音が響いた。それは携帯電話の向こう側にまで伝わったようだ。


「コーヒー、買ったのか」


「うん」


「好きだったよな。自販機でさ、コーヒーを買うの」


「今も好きだよ。こうやって時々、会社の帰りとかにここで買ってね、近くの公園で飲んだり……家で飲んだりする」


「会社、行ってるのか?」


「じゃなきゃ、生活して行けないよ。どうやって私がここで生きていると思ったの?」


 少しだけ、私は笑った。その小さな自分の声が高崎のもの同様、ひどく久しぶりに聞いたもののような気がして違和感を覚える。私は私の声を聞き慣れているはずなのに。


「何も、本当に何も言わないでいなくなってしまったから。他の奴も、深里のことは何も知らないって言う。どこに行ったのかも、何をしているのかも。ここへ、帰って来るのかどうかも」


「もう帰らないよ」


 私は公園内にひっそりと置かれている木製のベンチの表面を軽く払い、座る。そして、言った。ぎし、と冬の空気に折り目を付けるようにしてベンチが軋む。その音に私は聞き覚えがあるような気がした。同時、少し言い方がきつくなってしまったように思う。高崎は何も悪くなどないというのに。


「ずっと、そっちで暮らすのか」


「そのつもり」


「もう……帰らないのか」


 高崎は、おそらく確認の意味も込めて再び私にそう尋ねた。私はやはり、先程と同じ答えを返す。そうか、とだけ高崎は言い、またも声は途切れてしまう。久しぶりに高崎と話す私は、何をどう言葉にすれば良いのか分からなかった。それは高崎も同じだったのかもしれない。急に掛けてごめんな、と不意に思い出したような口調で高崎は言う。私はてっきり、そこで通話は終わるものと思っていた。


 だが、意に反して高崎は、私が今どうやって暮らしているのかを尋ねて来た。とは言っても、生活する為の仕事についての話ではない。私の部屋にどんな家具があって、この冬にはどんなコートを着ていて、体のあたたまるようなものを食べているかどうかとか。他愛もないことだ。けれど、すぐに分かった。高崎は私を心配してくれているのだと。故郷での折と同じように。


 私は尋ねられたことに、ひとつひとつ、簡潔にではあるが極めて丁寧に答えて行った。私は怖かったのだ。それじゃあ、と電話を切られてしまうことが。しかし、私から時間を繋ぐように話題を振ることはどうしてか出来なかった。離れていた数ヶ月のせいなのか、あれだけ気遣ってくれたにも関わらず何も告げないで東京に来てしまったことへの負い目なのか、単に敢えて話したいということはないのか。それは自分でも良く分からなかった。だから、高崎がひとつひとつ質問をしてくれることが、私はとても嬉しかった。


 気が付けば、あたたかい缶コーヒーはすっかりぬるくなり、缶の底に少しだけを残すのみとなっていた。結構な時間を話し込んでいたのかもしれない。遠く遥かの上空に、メレダイヤのような銀色を放つ小さな一番星が私の視界に映り込んだ。


「何だか、話し過ぎたかな。悪い、そろそろ切るか」


「……うん、そうだね」


「迷惑だったかな」


「そんなことないよ。嬉しかったよ。ここに来てから私、ほとんど誰とも喋っていないから。ああ、仕事以外でね」


「こっちに友人、いただろう。電話とかメールとか、してないのか?」


「うん。黙って来てしまった申し訳なさもあるし、それに……」


「それに?」


 自分でもそれと分かるほど不自然に途切れてしまった言葉の先を促される。だが私は結局、その続きを喉の奥底に飲み込んだ。


「何でもない。今日はありがとう。本当に、嬉しかった」


「こっちこそ、寒いのに外に行くことになってごめんな。でもさ、その」


「その?」


 今度は私が言葉の続きを促す番だった。数秒の沈黙の後、高崎は幾分か遠慮を滲ませた声で言った。


「また、掛けても良いかな。メールでも良いんだけど」


「電話の方が嬉しい。今度は私から掛けるよ」


 こうして、東京に来てから初めての旧友との電話は終わりを告げた。ボタンひとつで途切れる電波の行く先で、高崎も同じ空を見ているだろうか。あの星が見えているだろうか。この冷たい冬の空気を感じているだろうか。私と話した言葉、ほんの一部でも、脳裏で思い返してくれているだろうか。私のように。


 私は残っていた缶コーヒーを飲み干し、ダストボックスに入れる。からん、と乾いた音がした。寒気に染まった携帯電話をコートのポケットに入れて私は歩き出す。窓のない部屋へと。もう、心の内側で言う必要はないだろう。厳密に言えば窓がないのではなく、天井に嵌め込み式の天窓がひとつはあるのだ、と。内側からも外側からも開かないその窓は最早、私にとってそうとは呼べない代物になっていた。今日も私は窓のない部屋に帰るのだ。

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