いつかの君が、いつかの君へ。

メロ

Chapter.1

 この扉を開ける度に思う。

 どうしてこんなにも重いものを作ってしまったのだろう、と。

「ふふ、待っていたわ。 ミナ」

 まだ昼間にも関わらず、カーテンを閉め切った薄暗い寝室、ベッドの上。そのすぐ真横から放たれる弱々しい蝋燭の灯りがナイトウェア姿のフィリア様を艶やかに照らし、赤い髪が煌めく。

 彼女の服は、少し素肌が透けて見える程生地が薄く、胸元も大きく開いていて、他人ひとに見せるにはかなり危なげだ。しかし、あれはあくまでも露出度が高めのお洒落なナイトウェア。決してやましいものじゃない。

 そう自分に言い聞かせる。

「こっちへ来て」

 言われた通り彼女の前へ座ると、上機嫌に目を細めながら頭を撫でられた。

「ああ、とても可愛いわ」

 ボクのやや尖った耳をねっとり舐めるように囁かれた言葉。

 今日、着せられている衣装はフリルのお化けとしか言いようのないひど……とても可愛いドレスだ。物語のお姫様に憧れを抱く少女が着ればきっと大喜びするに違いない。

 彼女曰く、もし自分に娘が産まれたら、こういう服を着させたいらしい。そういう願望があるのは別に良いと思う。

 だからといって、齢百を超える男にこれを着させるのはどうなのだろう。確かに、ボクの身体は小さく華奢で顔も幼い。そのせいで、女の子に間違われる事もあるけれど。それにしたって……本当に、人間は業の深い生き物だ。

「いつもの。 お願いね」

「はい。 【お姉様】」

 怪しく微笑む彼女の顔がゆっくりと近付き、唇が重なる。

 こちらの口内へ入ってきた舌。それにただ歯を当てるような優しい甘噛みをしてから、小動物が戯れあうように舌を絡め、転がす。念入りに、何度も何度も。

 それに満足したのか、一旦離れた彼女の口から甘い声が漏れた。

「はぁ、はぁ──んっ」

 次は激しく、貪るようなキス。さらに、彼女は力強くボクの両肩を掴んだ。

 何だろう。今日はいつもと違って、余裕がないような。

「っ‼︎」

 その時、先程までボクの肩を掴んでいたはずの右手が腰へと回っていた。

 なるほど。今日はそういう風にやれって事か──



「ありがとう。 今日もすっごく良かったわ」

「ボクも──うぉ、ぶっ⁉︎」

 抱きしめられ、彼女の谷間へと顔が埋まる。

「また来週ね」

 いくら行為にまで及んでいないとはいえ、別れ際にこういう事をされると本当に不倫の後みたいだ。ただ客のニーズに応えて、魔力供給しただけなのに。



 しばらくの拘束の後、報酬を受け取り、裏口から屋敷の外へると同時に大きなため息が出た。

「……ボクってろくな死に方しないだろうな」

 エルフの魔力は美容に良い。若さを保つ秘訣、なんて噂が貴族の間で流行っているおかげで大金を手に入れられるのはいいけど。いつか旦那にバレたらと思うと……。

「まぁ、それでもやめる訳にはいかないんだけどさ」

 だって、ボクはエルフと人との間に生まれた禁忌の子だから。



 ──生まれてすぐ、親に捨てられた。それを今でもはっきり覚えている。

 流石に、その時に話していた言葉までは分からなかったけど。怖い顔をした人達がこちらを睨んでいて、母は彼らに必死に訴えかけたが、聞き入れてもらえず。泣きながらボクを谷底へ投げ捨てた。

 後から知ったけど。普通のエルフなら国を追放されて、人と暮らす事が出来たらしい。でも、母は王族だったから国を出る事も出来ず、混血児の存在も許されなかったって。

 初めからそうなる事が分かりきっていたのに掟を破るなんて酷い親だ、って非難するのが普通かもしれない。だけど、母を恨んだ事は一度もない。だって、その時に母が魔石を持たせてくれたおかげでボクは今も生きている。時には混血で悩む事もあるし、真っ当な仕事が出来なくてあんな事もしなくちゃいけないけれど。

 生きていれば良い事や幸せな瞬間があると知っている。大切な人に、師匠に出会えた。

 だから、母には感謝している。

 魔力を使い果たした今でもペンダントにして肌身離さず、この石を大切に持っている。




 茜色に染まる帰り道。魔物のクズ肉でも買って帰ろうとウラ市場へ行くと、人集りが出来ていた。何か珍しい物でもあるのかと立ち寄ってみると──裸の女性が吊るされていた。言うまでもなく、それは奴隷として売る為に。

 別に、ここでは珍しい事じゃない。つい十日程前にもギャンブルで破産した女が売られているのを目にした。けど、こんなところに奴隷を買う客なんかいない。だから、これは身体を売らせて精神的に屈服させるのが本当の目的だ。

 でも、今日はそうじゃない。今までとは明らかに違う。

 集まった客の殆どはガッカリした様子で、中には彼女の姿を見ただけで逃げ出すモノさえいた。でも、そうなるのが普通だと思う。

 何故なら、彼女の身体には痛々しい火傷と爪で引き裂かれたかのような傷痕があるうえに左腕は肩・右腕は二の腕、両足は太腿から先がなかった。いくら若く、顔が整い、女性として魅力的な身体つきをしていようと、その痛々しい姿では余程の物好きしか惹かれない。

 なのに、ボクは彼女から目を離せなかった。だって、その顔は──

「……あ、ぁ……し、師匠……っ⁉︎」

 いや、そんな訳がない。ボクが師匠の元を去ってから何年経ったと思ってるんだ。ただの人間があの頃のまま容姿が変わらないなんてあり得ない。

 よく見れば師匠と違って髪が短い。髪色も紅じゃない。若干薄くて、桃色に近い。目だって垂れ目じゃなく、やや吊り上がってて。顎のラインも、眉も。鼻も違う。違う。違う。似てても、違う。

 他人の空似だ。彼女は絶対に師匠じゃない。

「……くっ……」

 目を逸らし、背を向けても、その場から動けなかった。

 違う。違うと、頭でどんなに否定しても意味がない。

 だって、彼女の瞳の色は。その蒼は。

「あ、あの!」

 気がつくと、奴隷商に彼女の名前を尋ねていた。しかし、彼はあくまで雇われの身。彼女の名前など知らされていなかった。

「……少し、触れてもいいですか?」

「じゃ、銅貨三枚ネ」

 奴隷商にお金を渡し、彼女へと手を伸ばす。

 ボクが近づけば近づく程彼女の顔は険しく、鋭い眼に変わっていき、下手をすれば腕ごと食いちぎられるんじゃないかと思うくらい怖かった。けど、直接触れて確かめなきゃいけない。

「ッ‼︎ …………」

 間違いであって欲しかった。

 でも、

「はーい、そこまで。 もっとしたいなら追加料金払ってネ」

「……ぃ、ます……」

「はい? お客さん、今なんて?」

「買いますっ! ボクが彼女を買いますっ‼︎‼︎」

 いくら時が流れても、

 どんなに衰弱していても、

 例え、本人じゃなくても、

 ボクには分かる。

 彼女の内に灯る魔力が師匠と同じものだと──。




 ただでさえ貧乏でボロボロの掘っ立て小屋に住んでいるのに、全財産の七割近くを使って人を買うなんて正気の沙汰じゃないのは分かっている。これからの生活だって彼女の事を第一に考えないといけないし、単純に人数が増えた分家計は苦しくなる。

 それでも後悔はしていない。していないけど。

「あ、あのぅ」

「……ッ……」

 帰宅してからおよそ一時間。

 藁を敷き詰めて、シーツをかけただけの粗末なベッド──我が家で一番くつろげるであろう場所へ彼女を座らせ会話を試みるも、ずっと無言のまま睨まれて……なんかもう、心折れそう……。

「え、えーと、ボクの名前はミナです」

「……ッ……」

「み、ミナです」

「……ッ……」

「……ミナです……」

 このやり取り、もう何回やったのか分からない。最早、怒ってくれて構わないから『それはもういいっ‼︎』とか言ってほしい……何でもいいから反応して……。

 しかし、そんな願いは虚しく、どんどん時間を無駄にしていった。

 一体、何を話せばいいんだろ。彼女が師匠の孫、もしくはひ孫だったとして、それを彼女に言っても『だから何?』って感じだし。かといって、人を買っておきながら『これからよろしくね』なんて感じで親しげに接するのはチャラいというか、虫が良すぎるし……。


 ──グゥ。


 その時、彼女の腹の虫が鳴いた。

「あ。 お、お腹、えと、すぐ用意しますねっ──」



「お、おまたせ、しました」

 今あるものだけで用意出来たのは、パンと野菜クズのスープ。

 彼女はそれを一人で食べる事が出来ない。だから、食べさせてあげようとしたが、口を開けてくれなかった。

「だ、大丈夫です! ほら、変なものは入ってませんから」

 パンをひと齧りして笑ってみたけど、やっぱり口を開けてくれなかった。当然だけど、出会ったばかり。しかも、最悪の出会い方をしたボクは信用されていない。いや、されるはずがない。

 だから、

「お願いです。 食べてください」

 頭を下げる。

 ボクにはそれしか出来なかった。

 残念ながら返事はない。

 だけど、顔を上げると──彼女は口を開けてくれていた。

 だけど、

「……っ……‼︎」

 余計な言葉が口から出ないように必死に抑え込む。それを悟られないように笑顔を作り、『ありがとうございます』と言って彼女の口に小さくちぎり直したパンを運ぶ。

 その様は、とても歪で気持ち悪かったかもしれない。だけど、そうしないとボクは、このつらい現実に耐えられなかった。人間は業が深い。常々そう思ってきたけど、どうしてそんな酷い事が出来るのか。

 ただの一本も残さず、歯を抜くなんて。

 彼女は、今まで喋らなかったんじゃなくて喋れなかった。それを知られたくなくて、ずっと黙っていたんだ──その日の夜。彼女が眠ってから、涙を堪え、誓った。

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