【秋・恋の攻防編】家族の絆①
逃げるなら人目の少ない夜が最適だろう。そう考えたパトリシアは何食わぬ顔で一日をやり過ごし、深夜に旅立とうと決めた。
マクレイン家での最後の夕食は珍しくいつも多忙のクラウドとリアムも揃っていたが、リオノーラだけ不在だった。
「ところでパトリシア、聖夜祭の準備はどうしますの?」
「へっ!?」
気まずいことをミアに聞かれ、思わず声が裏返る。
「去年は確かブレント殿下がドレスを用意してくださったのよね。今年は」
パトリシアは、動揺を悟られぬようスパークリングウォーターを一口飲んで呼吸を整えた。
「今年も用意しなくて大丈夫ですわ」
「まあ、殿下が用意してくださるのね」
パトリシアは肯定も否定もせず、にこやかに微笑みやり過ごす。
「そういえば今年はリオノーラも参加するんだっけ」
「ええ、この前顔合わせをしたベイリー伯爵令息に誘われたそうよ」
リアムのおかげで話題がリオノーラの事になりほっとする。
ベイリー伯爵家は各界に強いパイプを持っている由緒正しい家柄らしく、ミアが探してきた相手だ。さすがにデート相手をとっかえひっかえ落ち着きのないリオノーラが心配だったらしい。
このまま婚約までいくといいわねと言うミアに、クラウドはなにを考えているのか無言だったが。
(リオノーラが「なしなし全然タイプじゃないですわ」と先日愚痴を言いに部屋へ飛び込んで来たことは内緒にしておこう)
「リアムもそろそろ腰を落ち着けたらどうなの? このままじゃ妹二人に先を越されてしまいますわよ」
「はは、ボクは別にそれでいいよ。可愛い妹たちが幸せになるのを見届けてからで」
「もう! そんなのんきなことを言って。アナタもなにか言ってくださいな!」
「リアムの好きにしたらいい」
リオノーラはいないがいつもと同じ穏やかな団欒だ。
いつの間にかこの人たちといる時間が居心地良くなっていた。けれどこんな時間も今日まで。
パトリシアは複雑な気持ちを隠しながらも、いつも世話をしてくれている給仕たち含めマクレイン家の人たちの姿を目に焼き付けたのだった。
食事を終え部屋に戻ったパトリシアは一人黙々と旅に出る準備をした。
最低限旅に必要な物をカバンに詰め込んでゆく。
(洋服はがさばるし旅人の装いをするなら新しく買った方がいいわね)
クローゼットを眺めながら替えの下着だけ持って行こうと引き出しに手を伸ばした時、宝石箱が目に留まった。
旅の資金に売れそうな物を持って行こうかと箱を開けると、その中にあるネックレスと一枚のハンカチが目に入る。
去年の聖夜祭の夜、突然ミアがくれた上品なパールのネックレス。
レースのあしらわれた白いリオノーラとお揃いのハンカチ。
「…………」
パトリシアは一瞬迷ったがそれらを手に取るのをやめた。
持って行ってはこれを目にするたびにこの家の事、初めて自分を姉と呼んでくれた時のリオノーラのことを思い出してしまう。
それに自分にとっての宝物を売る事などできない。
「そうだ、置手紙」
攫われたと勘違いされ大規模な捜索をされては厄介なので、自分は聖女になることを諦め逃げますと、家を出るのが自分の意思であることだけ書き残しておこうと思った。
さらにダメ元で、これからも教会の援助を続けてほしいこと、自分が以前助けた静養中の被害女性たちが元気になるまで援助を続けてほしいこと、マリーの家には手を出さないでほしいことも遠慮なく書き連ねる。
そして最後に、こんな自分を今まで何不自由なく育ててくれた感謝の気持ちを書いていたら、涙が零れた。
「っ……」
最初の頃は色々あったけれどリオノーラともいつの間にか仲良くなって、今では我儘で可愛い妹だ。
ミアにも厳しく躾けられたが、そのおかげでどこに出ても恥を掻かない振る舞いを身に付けられたし、今ではパトリシアを娘と呼び認めてくれている。
リアムは最初から親切にしてくれた優しい兄で、クラウドは……寡黙だがいつも自分を見守ってくれていた。
「っ……うっ」
自分はそんな家族を……見つけた居場所を、捨てようとしている。
絶対に幸せになる事を諦めない。この身一つで逃げる事になったとしても。最初の頃はそう思っていたのに……今は逃げる事が辛くてたまらない。
でも、仕方ない。断罪されマクレイン家に迷惑を掛けないためにも、これが最善の選択だと自分に言い聞かせながらパトリシアは手紙を書き終えた。
バタバタバタバタバタッ、バンッ!!
「ちょっとパティ!! 殿下から聖夜祭のパートナーに選ばれなかったってどういうこと!?」
令嬢らしからぬ騒がしい足音と共に、ノックもなしにリオノーラが部屋へ飛び込んできた。いつものことだが……。
「って!? 何泣いてるのよ!?」
リオノーラはこちらに駆けよりながら慌てふためいている。
「リオノーラの話は本当なの? なぜ、そんな重要なことを言わないでいたのです!」
この部屋に来る前に話しを聞いたのか、ミアまでやってきた。
その口調は厳しめだが眼差しはパトリシアの気持ちを窺う様に心配そうにしている。
「なぜそのことを?」
「今日は、リュカ様とお食事だったので、昼間の出来事を聞いたのですわ!」
そう言えば先程も話に出たリオノーラの婚約者候補リュカ・ベイリー伯爵令息は学院の二年生だった。騒ぎが耳に入っていてもおかしくない。
「パティがカレンとかいう女を妬んで突き飛ばし騒ぎになったらしいって言うから、うちの姉がそんなことするはずないでしょって啖呵をきって帰ってきましたの!」
「まあ、リオノーラったらなんて態度を」
ミアが頭を抱えているがリオノーラはお構いなしだ。
「なんなんですの、その嘘つき女! パティを皆の前でさらし者にするなんて!!」
リオノーラは顔を真っ赤にさせ怒りに震えている。
「ですが……聞けばその後の殿下の仕打ちもあんまりです。アナタ、これは王族といえどこちらから抗議すべきでは?」
ミアが凛とした声でそう発言する先には、クラウドが立っていた。
クラウドは無言のままゆっくりと部屋に入りこちらへやってくる。
パトリシアはその無言の圧力に緊張して表情が強張った。
「……その前に、これはなんだ」
家出用カバンを指差され、書き終えたばかりの置手紙を手に取られ、もうなにも言い逃れできない。
ミアとリオノーラはハラハラとした面持ちで二人を交互に見ている。
クラウドは再び無言のまま、パトリシアの言葉を待っているようだった。
パトリシアは覚悟を決め息を吸い込むと口を開いた。
「……手紙の通りです。もうクラウド様とのお約束を守れそうにありません。どうか、わたくしをこの家から追放してください」
「「なな、何を言ってっ!?」」
ミアとリオノーラが揃って声を上げる中、クラウドの表情はピクリとも動かなかった。
「ならぬ」
そして、ただ一言そう言う。
「なぜ、ですか? このままじゃ、この家ごと没落するかもしれないっ、見捨ててくれた方がマシなんです!!」
「なにを言っている。落ち着きなさい」
「だって、このままじゃっ、わたしはきっと断罪されてっ」
もういい、黙っているのも限界だ。頭のおかしい妄想だと思われても、自分が知っていること全部話してしまおうと思った。その時。
「パトリシア、ボクと少し話をしよう。二人きりで」
「え……」
いつの間にそこにいたのか。こちらに手を差し伸べてきたのは、パトリシアを安心させるように優しく微笑むリアムだった。
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