四章 学院編【秋・冬】
【秋・恋の攻防編】不安定な未来
それは突然の報告だった。
夏休みもあと数日で終わりとなった頃、少し風が涼しくなってきた夜にクラウドの書斎へ呼ばれたパトリシアはそこで告げられた。
「カレン・チェンバレン伯爵令嬢に聖女の刻印が現れたそうだ」
「え……」
このタイミングは予想していなくて驚きというより拍子抜けしてしまう。
アニメを全話観ていないパトリシアにとって、カレンがどうやって刻印を手に入れるのかは、ずっと記憶が曖昧なところだったが。
クラウドの話によれば、夏休みにカレンは避暑地の別荘に滞在していたらしい。そして偶然同じくその近くの別荘にブレントも滞在していた。
別荘近くの湖畔を散歩中、溺れていた子犬を見つけたカレンは助けようとして溺れてしまい、そこを偶然通りかかったブレントに発見され助けられたそうだ。
その時から左手の甲に違和感を覚えていたカレンだったが、その日の夜に突如光を放ち聖女の刻印が現れていたのだと言う。
よくそんな出来過ぎた偶然が重なるなと思ったが、これがアニメ通りの展開ならばそれも頷ける。
ついにこの時が来てしまった。
自分はもう聖女にはなれない。ならば目標を第二パターンに切り替え、とにかくカレンをいじめず係わらず、聖夜祭の断罪を逃れることに集中するべきだろうかと頭の中でシミュレーションを行うが、聖女になれない時点でこの家に自分は用済みなのかもしれないとも思う。
だが、クラウドの次の一言は意外なものだった。
「しかし、まだカレン嬢は王家に聖女として認められていない。よって、お前の立場も今のところ変わりない」
「え?」
「いつも通りでいなさい。聖女としてマクレイン家の令嬢として恥じることなく」
「…………」
クラウドはそれだけ言うと、話は終わりだとパトリシアを書斎から引き揚げさせた。
パトリシアはトボトボと自室に向いながら、様々な思いを巡らせる。
(今まで通りでいいって……どうして?)
アニメでは好戦的なパトリシアと争いを望まないカレンという構図だったけれど、カレンに刻印が現れてからは、王室内でも彼女が本物の聖女だという声が強まっていたのに。
現実でこの先どんな展開が待ち受けているのかは、パトリシアにも分からない。
それからまた時が過ぎ、夏休みが終わって少し経った今でもカレンを正式な聖女どころか聖女候補としても王家は認めていなかった。
そのことで学院内では様々な憶測が広がっている。
特に入学式から徐々に人数を増やしているカレンの親衛隊過激派の面々は、それをマクレイン家の圧力によるものだと非難していた。
ブレントとの関係はといえば、王家がカレンを認めない限りなにも変わらず婚約者同士のまま。
今まではアニメの通りに断罪されることを恐れるばかりだったが、微妙に物語と違う流れの中で最近はこのままブレントと結婚する可能性を昔よりリアルに考えるようになってきた……
正直、今の関係のまま結婚するのは複雑だ。
「最近、昼食の誘いにまったく来なくなったのは、どういうことだ」
ある日、相変わらず続いているブレントとの定期のお茶会にて、不機嫌そうな彼にそう責められた。
「そうでしたか?」
「夏休みが明けてから一度もないだろ」
「……いつもカレンさんとご一緒しているようでしたので、お邪魔かと思いまして」
沢山の令嬢を侍らせているところはよく見かけていたが、夏休み明けからはカレンと二人で過ごしていることが増えているように思う。
「なんだ、また嫉妬か?」
「嫉妬と言うか……複雑な気持ちにはなります。婚約者として」
「ふん、そうか。カレンとは話が合うんだ、悪いな」
これからもカレンとの交流を止める気はない、ということなのだろう。
それどころか、やれやれとまるでパトリシアの方が困った奴だと言いたげな態度を取ってくる。
「ブレント様、わたくしはせっかく夫婦になるのですから、あなたともっと心を通わせたいと思っているのですが……」
政略結婚といえ家族になるのだ。世継ぎのためブレントとの子を産む事にもなるだろう。
どうせ結婚するなら、お互いに想いあえる関係でありたいのに。
「ふん。なら、オレを振り向かせられるよう、オマエの気持ちをちゃんと態度で示せ」
「…………」
席を立ったブレントがこちらにやってきてパトリシアを引き寄せる。
いつからか、彼のご機嫌をとるときは、彼の頬にキスをするのが恒例となっていた。
(そういうことじゃないのに……)
確かに恋人同士ならそういう触れ合いも大事だと思う。
しかし自分たちのこれはいつも、一方的にパトリシアの気持ちを態度で示せと促されするだけの作業みたくなっている気がするのだ。
うまく言葉にできないけれど、パトリシアが伝えたいのはそういうことじゃない。
でもどうしたらいいのか分からなくて、しないとブレントの機嫌はみるみる悪くなってゆくし、心にもやもやを抱えながらもパトリシアはいつものように彼の頬にキスをするのだった。
あくる日の放課後、パトリシアは学院の図書室で黙々と読書をしていた。
『恋愛マニュアル・初心者編』『愛の詩集』『恋愛小説特選』『恋愛心理学』
「随分と……いつもとジャンルの違う本ばかりですね」
本に集中していたパトリシアが顔を上げると、机の上に積み重なった本を見ながら珍しくサディアスが声を掛けてきた。
最近はもう王室書庫を利用しなくなっていたので、彼と会話をするのは、学院祭の日ぶりだ。
「少し愛について知りたくて」
「……熱でもあります?」
本気で心配されてしまった。そんなにおかしなことを言っただろうか。
「正常です」
真顔でそう答えると「なんでまた、愛についてなんて」と、サディアスは若干困惑しているようだった。
「がんばって学んで実践しようと思ってるんですけど……」
「実践って……まさか」
「とりあえず、これから試してみようかと」
恋愛マニュアル・初心者編を見せて言うと、サディアスの口元に浮かべていた笑みが歪んだ気がした。
「試すって、ブレントに?」
「もちろんです」
「…………」
サディアスは、無言でパトリシアが持っていた恋愛マニュアルを手に取り、中をパラパラ確認しだしたのだが。
「あの?」
「……危険なので没収します」
「えぇ!?」
これは図書室の本でありサディアスの所有物でもないのに理不尽だ。
「待ってください、まだ読んでる途中で」
「こんなもの試したところで、無駄ですよ」
「ダメ、ですか?」
「ダメ」
「はぁ……じゃあ、どうすれば、上手くいくと思いますか?」
「……そんなの、こっちが聞きたいよ」
「え?」
「そんなにアイツを振り向かせたいんだ」
そう言われると反応に困る。
聖夜祭までに振り向かせたい。じゃないと自分は……
そんな思いと共に、でも、もしこのままブレントと結婚することになったら……
それはそれで、なぜか考えると息苦しい気持ちになるのだ。
「そんなにあいつがいい?」
「それは……いずれ結婚する相手ですから」
愛そうと努力をするのも、愛される努力をするのも、間違いではないはずだ。
自分に言い聞かせるように、パトリシアは心の中でそう呟いた。
「そうだね。いずれ君はあいつの妻になる」
「はい……」
なぜだろう。サディアスにそう言われると、僅かに胸の奥がざわざわと騒ぐ。
「でも……君にそんな心細そうな顔ばかりさせるなら、いっその事、攫ってしまおうかとたまに思うよ」
「え……?」
真意を測りかねているうちに、サディアスは「なんてね」と口元にだけ笑みを浮かべ、立ち去ったのだった。
いつもサディアスは、気持ちをかき乱すようなことを言ってくる。
パトリシアの心の奥に隠してある、弱い部分を突くような言葉を……
パトリシアは、ほんの少しだけサディアスが口にした未来を想像してしまった後、変な期待を持つのはやめようと気持ちに蓋をしたのだった。
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