第5話 月地区
小さな頃からの夢が果たされた。
だというのに、今は絶望的な気持ちで空を見上げた。
岩の隙間からは青い地球が見えた。
ラルフは宇宙に憧れるごく普通の少年だった。
普通でないのは、多くの努力を重ね、試験やトレーニングをクリアし、宇宙飛行士になったことだ。
そしてラルフは有人月探査のメンバーに抜擢された。
月は実に面白い衛星だ。
太陽系の中でも大きな部類の衛星だが、大きさの割に質量が低いため引力も弱く、大気が四散してしまっている。
それは地球の外殻をぐるりと削って宙に舞った岩盤―岩石を寄せ集めたものだからだ。
所謂コアが存在しない。
それ故月は地球と同じ成分の岩で、地球より古い年代に出来たものだと測定される。
小惑星の衝突がそうされたと言われている。
そしてその時の衝突エネルギーは膨大な熱量となって地球の地殻を溶かし、表面が冷え固まった今もまだ、内部は行員で液状のままなのだ。
ラルフはとんでもなく高価な宇宙服に身を包み、探査用月面ローバーに乗り込んだ。
そこまでは良かったのだが、酸素が無い月では距離感が掴みにくい。
平地が続いている―と思ってローバーを走らせたところ、目の前は深い峡谷だった というわけだ。
視認出来る範囲では宇宙服に破れは無く、通信も可能だったため、仲間に現状を伝えて引き上げを待つこととなった。
だが正確な位置を探し当てるのは困難だろう。
足や背中がひどく痛む。
酸素タンクや生命維持装置がダメージを受けていなければよいが。
幸い重力が小さいため、片足でも比較的移動は出来る。
少し複雑な地形に入り込んでしまっているので、もう少し見つけやすそうな場所へ移動しようと窪みから身体を出した。
するとラルフは眼の前の奥の方で何かが動いていることに気付いた。
月面ローバーかと思ったが、ラルフが見慣れない動きをしている。
訝しみながら一歩ずつ近づく。
奥の暗がりに、ぶよぶよとした生き物が複数蠢いていた。
ずんぐりとした皺だらけの蛙に似た体型だが、人間よりも大きく、顔の部分に触腕が生えている異様な生き物だった。
それらが月面ローバーに群がっている様子を見て、ラルフは悪寒が走った。
興味があって調べている という体ではない。
乗り手を探し出そうとしている、もしくは戻ってくるのを待っているようだった。
最初ラルフは初めて見る地球外生命に興奮し、今まで誰も成し得なかった偉業を達成した喜びに心が躍った。
しかしそれらの生物は禍々しさを帯びており、近づくのは躊躇われた。
友好的な関係を築くことは不可能だと瞬時に感じられたのだ。
ラルフは再び岩陰に身を潜めた。
このまま出て行ってあの生物の注目を集めることは得策ではないだろう。
うなじの毛が逆立つほどに、身の危険を感じるのだ。
こちらに向かっているクルー達に何と伝えれば良いだろうか。
ラルフはゆっくりと元居た窪みまで戻り、通信用ヘッドセットで呼びかけた。
「こちらラルフだ。ミハイル…聞こえるか?」
「ミハイルだ。聞こえている。何かあったか?」
「俺が乗っていたローバー近くに大型の地球外生命がいる。」
「本当か? 今までの探査では大型なんて全く確認出来なかったぞ。それは早く拝んでみたいものだ。」
「いや、駄目だ。我々は見つかればきっと襲撃される…コミュニケーションを取れる雰囲気ではないし、そいつらは我々より遥かに大きい…。」
「ふぅん…ラルフは…その宇宙人に見つからないよう離れた場所にいるのか?」
「入り組んだ窪地に落ちているが、比較的近い場所だ。連中に見つからないよう逃げるのは難しいな。」
それから間があった。
酸欠による幻覚を見ていると思われているのかもしれない。
途端に同乗しているはずのベネッサの悲鳴がヘッドセットから洩れ、唐突に止んだ。
「ミハイル…? ベネッサ?」
心臓の音が耳元で鳴り響いているかのようだ。
酸素残量を気にし、落ち着こうと一呼吸を入れる。
だがステーションスタッフの声が飛び交い、一層不安を煽る。
何か2人にもトラブルが起きたのだ。
あの生命体がローバーが上から落ちてきたと予測を付けたのなら。
峡谷の上に這い出てミハイル達と出くわしたのだとしたら。
目の前にゆっくりとちぎれた宇宙服を纏った脚が一本落ちて来た。
断面から血管が裂け膨張する、クルーの脚だった。
見上げた岩間から、落下してくるミハイルの身体と、それを追う怪物の姿があった。
怪物は顔を触腕に覆われ、目など無いにも関わらず、ラルフは目が合った―気がした。
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