クトゥルフ・ミュージアム
招杜羅147
第1話 ヒューペルボリア地区
魔峰ヴーアミタドレス山の地の底に、燐光を放ちながら絶え間なく分裂を繰り返す灰色の塊が横たわっていた。
冥く淀んだこの最深部にある光と言えば、このアブホースが薄っすら放つ燐光のみで、果てと闇の境は黒々と溶けている。
アブホースの周囲には落とし子達が蠢いていた。
コウモリのような、コルク栓のような、螺旋状のような、膨れた触手のような悍ましい姿を持つ落とし子の中で、赤い目を持つ落とし子が体を起こし、最果てに向かってずるずると歩き始めた。
赤い目の落とし子は闇の中でゆらゆらと蠢く何かを見つめている。
落とし子が更に歩を進めると、小さな白い点が前方に現れる。
アブホースが放つ光以外で初めて見る光だ。
落とし子は次第に大きくなるその光を覗き込むと、光から聞いたことが無い大音声が聞こえてきた。
光りの向こうにあったのは、細長く青い頭と胴を持つ奇怪な生き物だ。
顔はつるりとして、細い四肢の先には短い触手がついている。
この音は光の向こうにいる生き物が出しているのだろうか?
落とし子が前肢を伸ばし、その生き物に触れると生き物は大人しくなった。
栄華を極めたヒューペルボリアの首都コモリアムに、神々の知識を修めようと躍起になっていた魔導士サンガティという男がいた。
サンガティは老いが自らの身体に忍び寄るのを良しとせず、不老不死の方途を常々探していたのだ。
ある日、サンガティの元へ1人の女商人がやってきた。
売り込みされたのは一枚の巻き布。
タペストリーにするには布は薄く、刺繍も施されてないが、不思議な色合いと魅力を持つ布だった。
だが商人はこれを窓に掛け、新月の晩に覗き込むようにサンガティに言う。
”高名な魔導士の証である青色のミトルを被り、コープを纏うサンガティ様であれば、深淵にある知識は得られましょう”と。
注意点は夜の暗がりで行うことだったので、サンガティはその巻き布を買い取り、早速自室に持ち込んだ。
そして夜になるとサンガティは窓に布を掛け、覗き込んだ。
遠くに遥かにぼんやりと光る湖、周囲には光の点がゆらゆらと動いている。
そのうち赤い点4つが近づいてきた。
サンガティは期待に胸を膨らませて見守るが、布の向こう側は光りしか見えてないため、ふと隣の屋敷の灯ではないかと訝しんだ。
試しにサンガティが試しに布をめくってみると、多くの灯りが夜の都を彩る光景が広がっていた。
布の中は本当に別世界の光景なのだと、めくった布を元に戻したところ、突然目の前の光の正体が形を成し始めた。
知識が光の形を取っているのかと思いきや、生き物だったのだ。
そこでサンガティは女商人が”夜の暗がりで”と言ったことを思い出した。
夜ではあるが、部屋にランプを灯している。
生き物が此方を目指したのはこの灯りがあるためだ。
それは見たことも無い、我々の知識では及ばない奇怪な姿をしていた。
4つある眼はデタラメに頭部についており、螺旋状の大きなくちばしがついている。
前肢は副肢のようであり、外肢が鰓のような翼のような状態になっている。
頭も体も、膨れ上がって絡んだチューブに似て、常に形が定まらないでいた。
サンガティは身の毛のよだつその化け物の姿に悲鳴を上げた。
サンガティの屋敷にいる奴隷が、部屋の中の様子を窺いに来たが、彼らは主人の邪魔をしないよう言いつけられているため、扉を開けて踏み込むことはしない。
サンガティは赤い目に射すくめられ、身動きが取れないでいた。
すると、怪物の腕か、口のようなものが、サンガティの身体をまるでバターのように易々と貫いた。
貫かれた部分から多くの情報がサンガティの脳内を駆け巡り、脳を灼いていく。
人の身には過ぎたる知識であった。
赤い目の落とし子は、動かなくなった細長く青い頭と胴を持つ化け物を振り落とした。
興味も失せたために、アブホースに食われない距離まで戻り、静かな闇に身を委ねたのだった。
翌朝魔導士の変死体が発見された。
腹に大きな穴が開き、口や耳などの孔から煙が漂っていたが、犯人は杳として知れず、ひっそりと埋葬された。
窓に掛けられたはずの布は、最初から存在しなかったかのように消えていた。
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