第5-03話 湯治

 背もたれから伝わってくる車の振動を感じながら、俺は父親に尋ねた。


「どうして温泉旅行なんだろ?」

湯治とうじをしたいのだろう。古くから温泉には身体や精神こころを癒やす力があると言われてきたからな」


 父親からはあらかじめ質問が分かっていたかのような、答えが返ってきた。

 俺たちがイレーナさんから呼び出されて向かっているのは岐阜にある……秘湯、らしい。関東といえば温泉は熱海あたみだと思っていたのだが、そうじゃない選択肢もあるみたいだ。


 しかし、湯治とうじとはいえ温泉に向かうのか、とやや斜に構えてしまうところもある。

 温泉は確かに良いかも知れないが、精神を壊してしまった時に向かう場所ではないだろう。

 

 だがイレーナさんだけではなく父親も向かっているあたり、温泉に向かうことに合理性があるんだと思う。そうじゃないと向かわないだろうし。


 そんな俺の、もにょもにょとした感情を読み取ったのだろうか。

 父親が山道を走りながら続けた。

 

「とはいえ、癒やす力にも道理があるのだ。温泉は地脈の上に存在しているからな」

「ちみゃく?」


 ここに来て知らない言葉だ。

 いや、ゲームとかでは見たことあるけど……具体的に何かは知らない言葉である。


「地下に流れているエネルギーのことだ。温泉はそれが吹き出す場所。イツキも知っていると思うが、だからな。生命力が枯渇した際に、力のあふれる場所に向かえば魔力の回復も早くなるのが、道理だ」

「なら温泉は……魔力の回復場所ってこと?」

「簡単に言えばそうなる」


 そんなゲームみたいな。


「イツキも自覚していると思うが魔力が多い時の方が怪我の治りが早いだろう。あれは身体が魔力を消費して、治癒力を高めているのだ」


 自覚があると思うが、と言われても……全く自覚がない。

 ここ最近は怪我をしたら治癒魔法で治していたし。劇団員アクターと戦った時とか。


 ただ……生命力である魔力を回復させれば、怪我が早く治るというのは理解できる。

 だから、湯治という文化が生まれたことも一本の線で繋がった感じがする。


 俺が理解できていないのは、ただ1つ。

 それは、肉体の話じゃないのかということだ。


 そこが分からないから、俺は父親に尋ねた。

 

「だったら、ニーナちゃんも……温泉に入れば治るのが早まるの?」

「それは分からない。ただ、イレーナは何かにすがりたいのだろう。その気持ちは、パパにも分かる」

「…………」


 そう言われてしまえば、俺は返す言葉も無かった。

 

 イレーナさんがニーナちゃんにやってきたことを思えば、何かにすがりたい気持ちも理解できる。記憶の封印だけに留まらず、日本にまで来て俺を使ってニーナちゃんを守ろうとしてきた人だからな。あの人。


「見えてきたぞ、アレだ」


 父親の言葉に視線を上げる。

 見ると、川沿いに立っている大きな旅館が見えた。

 

 今回、温泉の予約は全部イレーナさんがやってくれたらしい。

 そんな彼女が誘ったのは如月家うちと霜月家……アヤちゃんの家だ。

 最初はウチだけだったが、せっかくだったら同性の知り合いがいたら良いのではと俺が紹介したのだ。


 そういうわけで、三家族揃っての旅行になったわけである。

 湯治とうじを旅行と言って良いのかは怪しいところだが。


 そんなことを考えていると、車が旅館に到着。

 父親が駐車場に向かう前に母親、ヒナと一緒に荷物を取り出して一足先に建物に入る。


 入った瞬間、女の人が案内してくれた。


「お待ちしておりました。如月きさらぎ様ですね、こちらへ」


 そう言われて中に入ると、何か良い匂いがしてきた。

 ルームフレグランスよりも柔らかい匂い。


「にいちゃ、良いにおいするね」

「何の匂いだろうね」


 リュックを背負ったヒナが首を傾げるが、俺にも分からん。

 そう思って匂いの元を探していると……金のお皿の上で、指くらいの大きさの木が燃やされていた。


「多分、香木なんだと思うけど」

「コウボク……」


 母親からそう教えられて、燃えている木を見た。

 木、というよりも化石みたいにも見えるそれにヒナが走って行くものだから、それを止めようとしたら後ろから抱きつかれた。


「うわ……っ!」


 そのまま前に身体が倒れるものだから『導糸シルベイト』を生み出し、クッション代わりにして身体を支えた。


 誰だ、と聞く必要はない。


 後ろから来るのは香木の匂いではなく、別人のそれ。

 というか背中からこぼれている金の髪を見れば、それが誰かなんて……聞かなくても分かる。


「も、もう着いてたんだね。ニーナちゃん」


 身体を起こして、首だけ後ろを振り向く。

 だが、見えるのはニーナちゃんの頭だけ。


 全然、顔は見せてくれないから表情は分からない。

 ただ、痛いくらいにニーナちゃんは俺を抱きしめていて、

 

「ニーナ。そんなに抱きついたら、イツキさんも苦しいでしょう」

「…………やだ」

「すみません。イツキさんに会えないこの2日間、ニーナはずっと荒れてまして……」


 ニーナちゃんの後ろからやってきたイレーナさんに、そう話されて俺は首を横に振った。


「ううん。大丈夫だよ」

「ママは知らないと思うけど、イツキはいつも大丈夫なの!」


 俺がそういうと、ニーナちゃんも被せてきた。

 いや、まぁ、確かにノーを言ったことは無いけどさ?


「もう、イツキさんの優しさに甘えていると……いつか、嫌われますよ」

「……嫌わないの。イツキは、私のこと嫌いにならないから」


 ニーナちゃんはそう言って、より強く俺を抱きしめてきた。痛い。

 痛いんだけど、それだけ信頼されていることが……少し、嬉しい。


 イレーナさんは、それに困った顔を浮かべてから「移動しましょう」とだけ言った。


 確かにいつまでも旅館の入り口で立ち止まっているわけにも行かないから、移動することにした。流石に移動する時にニーナちゃんは俺を離してくれたが、その代わりに服の裾を掴んで後ろを着いてきた。


 そうして旅館のロビーへと移動すると、そこには見知った顔があった。


「久しぶりだね、イツキくん」

「……あ、久しぶりです! レンジさん」


 もう到着していた霜月家の三人だった。

 アヤちゃんは俺を見るなりぱっと顔を輝かせて走ってきて、後ろにいるニーナちゃんを見て心配そうに見ていた。


 アヤちゃんは何が起きたのかをあらかた聞いているはずで、ニーナちゃんには触れずに俺に聞いてきた。


「イツキくん、大丈夫? また『第六階位』に襲われたって聞いたけど」

「うん。大丈夫だよ、ほら」


 そういって俺が首元のチェーンを掴んで取り出したのは、3つの珠が連なったアクセサリー。


 それは俺が祓ってきた『第六階位』の遺宝を連ねたものだ。

 その中の1つに白と赤と緑が混ざりあった珠がある。


「ちゃんと祓ったから」


 それを見てアヤちゃんは、ほっと息を吐き出した。

 吐き出してから、続けた。


「……やっぱり、強いね。イツキくんは」


 それに「運が良かった」と返そうとして、後ろにいるニーナちゃんのことを思った。

 俺が本当に強かったら、ニーナちゃんはこうならなかったんじゃないかと、思ってしまった。


 だから、少しだけ声のトーンを落としてから、


「まだまだだよ」


 とだけ、返した。

 それにアヤちゃんが何かを言おうとするよりも前に、レンジさんが割って入った。


「うん。ちゃんと持ってきたんだね、イツキくん」

「いつも持ってるよ」


 俺がそう返したらレンジさんは穏やかな表情のまま、続けた。


「じゃあ、どれにするか決めた?」

「どれって……?」

「ん? 宗一郎から聞いてないの?」


 いまいち、要領を得ない返答に困っていたらレンジさんが続けた。


「ここまで打ちに来たんだろ? イツキくんの妖刀を」

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