第2-32話 イレーナさんの影送り

 俺の記憶が正しければ、イレーナさんは羽田空港から国内のどこかに向かったはずだ。

 そして、当分は戻らないので、そのどこかで祓魔師の仕事をしているものだと思っていたのだが……なぜか、イレーナさんは東京ここにいる。


「意外そうな顔をしていますね、イツキさん」

「……うん」


 そりゃ、急に学校にいれば……ねぇ?


入れ替えキャスリング、という魔法があるんです。妖精と私の位置を入れ替える魔法で時間と魔力に目さえ潰れば……えぇ。使い勝手の良い魔法ですよ」


 なるほど?

 いつかのモンスターが使っていた『転移魔法』みたいなものかな。


 俺も今度、雷公童子で試してみよう。

 って、そうじゃなくて。


「そんなことより、なんでニーナちゃんが門限になっても帰ってこないことが分かったの?」

「え? いや、それは……」


 イレーナさんが口ごもる。

 だから俺は答え合わせのために、聞いた。


「イレーナさん。ずっとニーナちゃんを見てたよね」

「いいえ、そんなことは……」


 俺の腕の中には気絶しているニーナちゃんがいる。

 誤魔化したイレーナさんの後ろには気を失った先生がいる。


 どちらも引けない状態だ。


 だが、それで良い。

 引く気など無いのだ。


 目の前にいる腐ったスライムみたいなモンスターを祓う。

 その目的を達成するまで引くつもりなど、毛頭ない。


「別に嘘言わなくても良いよ。僕はずっと不思議だったんだから。どうしてニーナちゃんの家にはって」


 祓魔師であるならば、生活をしていく上でモンスターから身を守るために結界を必ず家に用意する。

 それはいま俺の住んでいるアパートでもそうだし、アヤちゃんの家だってそうだ。


 でも、ニーナちゃんの家には結界が無かった。


 俺は最初、イレーナさんがニーナちゃんのことを嫌っていてそうしているのだと思った。

 だが、その考えはニーナちゃんと一緒に紅茶を飲んでいる時に覆された。


 気がついてしまったのだ。

 あの家は結界ではなく、俺が目をと見えないほどの薄い妖精で覆われているということに。


 その妖精はニーナちゃんが漏らす魔力についても上手いこと調整していた。

 他にもきっとモンスターが来た時に守ってくれる仕組みとかもあったんじゃないだろうか。いや、これは推測なんだけど。


 ただ、あの妖精がイレーナさんの代わりにニーナちゃんを守っていたということだけは事実だ。


 だからこそ逆に疑問が残る。


「なんでそんなにニーナちゃんを見てるのに、魔法を教えなかったの?」

「…………」

「危ない時にこうして現れるなら、ニーナちゃんに魔法を教えれば……」

「……それは違いますよ。イツキさん」


 イレーナさんがそう言った瞬間、スライムが変形。

 犬の姿になって逃走しようとした瞬間、右足が無くなってこけた。


 イレーナさんの妖精魔法だ。


 こけた犬に向かって俺が魔法を撃つ。

 しかし、スライムは黒い『導糸シルベイト』を放って俺の魔法を消した。


 ……厄介だな。


「世の中、誰だってあなたみたいに強くはなれないんです。誰だってあなたみたいな才能を持っているわけじゃないんです。ニーナの位階は『第四階位ビショップ』。戦おうとすれば、戦えるでしょう。私のように」


 そういうイレーナさんの顔は険しい。


「けれど、魔法を教えればこの娘はきっと祓魔師エクソシストになりたがる。生半可な才能では、簡単に死んでしまうこの世界に足を踏み入れようとしてしまう」

「……でも、自分を守れるくらいの魔法は教えたって」

 自衛の魔法を教えれば、モンスターを前にした時にこの娘の中に『戦おう』とするが生まれるでしょう。その選択を考慮する時間こそが、命取りになる。だから、ニーナには何も教えないことにしました。そうすれば、この娘の選択肢は狭まるだろうから」


 ……言っていることは分からなくもない。


 似たような話は父親から聞いていたからだ。


 近接戦と遠距離戦。

 その両方を学ぶ祓魔師が最も対処にこまるのは、その中間の敵だと。

 

 どちらで攻撃するか迷った瞬間に、死ぬことになる。

 そんな話を前に父親から聞いたことがあった。


「だから、魔法を教えなかったの……?」

「はい。そうして、私から遠ざければ私を恨み、やがては私の仕事である祓魔師を恨む。そうすれば……きっと、この娘は祓魔師エクソシストにならないと思ったんです」


 イレーナさんはそういうと、静かに笑った。


「でも、それも間違いでした。この娘は自分の力で祓魔師エクソシストになったんです。子供は親の心が分からないと言うけれど、親だって子供の心が分かるとは限らないものですね」

「…………」


 そうか? 本当にそうか?

 俺は単にコミュニケーション不足だと思うぞ。


 そんなことを思っていると、地面に倒れていた犬の姿をしたモンスターが起き上がった。


『あぁ、祓魔師が2人。『第七階位』と『第四階位』が来るなんて……』


 片足の無くなった犬はそう喋ると、人の姿に変形していく。


『……怖くて怖くて泣いてしまいそうだ』


 イレーナさんの妖精が再びその身体のパーツを引き抜こうとして、黒い『導糸シルベイト』が、妖精を散らした。散らして、笑った。


『弱いものいじめはやめようじゃないか。君たちだって自分より強い者と戦うのは嫌だろう? 誰だって死にたくないだろう?』


 モンスターはイレーナさんに向かって『導糸シルベイト』を伸ばす。

 次の瞬間、それは氷の槍になって放たれた。


 それを俺が網状にした『導糸シルベイト』で食い止める。

 最初から俺に防がれるのを分かっていたように、モンスターは肩をすくめた。


『実は私も死にたくは無いんだ』

「よく言うよ」


 俺が『導糸シルベイト』を伸ばす。


 グラウンドの端、校舎の影に隠れて俺たちの姿はちょうど他の児童から隠されている。


 やるなら今。絶好のチャンスだ!


 生み出した『導糸シルベイト』が槍の形を作って燃え盛る。


「ニーナちゃんを喰おうとしたくせに」


 その魔法は炎の槍がどんなモンスターでも貫いてしまう。

 だから、その名を『焔蜂ホムラバチ』と言う。


「イレーナさんを殺そうとしたくせに……!」


 音の速さを超えた俺の炎の槍は、しかし黒い『導糸シルベイト』にかき消された。


『危ない危ない。当たれば、私ごときひとたまりもないね』


 爆発する前にかき消された魔法を見た俺は次の手を打とうとした瞬間、イレーナさんが前に出た。

 

「では次は当たってみますか?」


 イレーナさんがそう言うと、モンスターの影が異様なまでに長く伸びた。


『ふむ? 影を媒介にする魔法かな?』


 そう言ったモンスターの影が分裂する。

 1つ、2つ、3つモンスターの影が増えていく。


 次の瞬間、1体の影がモンスターの足を掴んだ。

 それを皮切りに2体、3体と影がモンスターを掴む。掴んで、影の中に引きずり込んでいく。ずぶずぶと、影を波打たせながらモンスターの身体が沈み込む。


『あぁ、なんてことをするんだ。こんなの恐ろしくて』


 モンスターは黒い『導糸シルベイト』で小さな箱を作ると、自分の手元に抱える。


『思わず死んでしまいそうだ』


 次の瞬間、完全にモンスターは影の中に沈んで消えた。


 だが、イレーナさんは臨戦体勢を解かない。

 解かないままに言った。


「私の『影送り』では時間稼ぎが精々です。恐らく、あと30秒も経たずにあのモンスターは影から出てくるでしょう」

「……あれ、どうやって祓うの?」


 厄介なのはあの黒い『導糸シルベイト』だ。

 あれのせいでこちらの魔法がかき消される。


「あのモンスターが使うのは逆位相の魔力。つまり、魔力を打ち消しあって0になってるんです」


 だからイレーナさんにそう聞いたのだが、彼女はなんてことの無いかのように言った。


「だから、あれの攻略法はとても単純なんです」


 刹那、何も無いところから影があふれかえる。

 自身の影を振りほどきながら、モンスターが地面から這い上がってくる。


 次の瞬間、黒い箱がぱかっと開いて展開されるとそれが地面に落ちる。

 その箱が展開された平面はどんどん大きくなって、俺たちなんか簡単に囲ってしまえるほどに巨大化する。


 次の瞬間、世界が閉じた。

 再び静寂が俺たちを包んだ。


『さっきは抜け道を見つけられたが、それも封じさせてもらったよ。私は臆病なんでね』


 見ればイレーナさんを囲っていた妖精たちが、ふらふらと震えて分解されながら散っていくのが見えた。

 妖精魔法が封じられた世界で、モンスターが導糸シルベイトを練った。


 だが、その全てを無視してイレーナさんはそう言うと、


「相手を上回る魔力を込めて、撃ち抜けば良いんです」


 微笑みながら俺を見た。


「イツキさんなら、簡単でしょう?」

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