第17話 魔祓い

 見ず知らずの他人の家に、土足を履いたままあがるという背徳感とも罪悪感ともつかない感情を処理していると、父親が立ち止まった。


「イツキ。もっとこっちに来るのだ」

「うん」


 近寄った瞬間、父親の身体から『導糸シルベイト』が伸びると球を作った。


「なにこれ?」

「結界だ。“魔”が入ってきた瞬間、自動的に相手を攻撃する」

「ほぇ……」


 そういう風に使えるんだ!?


 俺は父親の魔法を見ながら、驚愕。


 今まで習った『属性変化』の方ではない。

 父親が使っているのは『形質変化』の方だ。


 俺も早くものにしたい。


 目の前の魔法の実践授業を無駄にしないように、全てを覚えるつもりで父親の一挙手一投足に注目していたが、こんなに早く実戦の魔法を見れるとは。


 結界の中に入った俺たちは黒い痕が点々としている廊下を奥に進んでいく。


 家の中は外側と変わることなく日本の一般的な家の作りだった。


 白い壁紙が薄暗い灯りの下で不気味に光る。

 廊下を抜けてリビングに入ると、父親が立ち止まった。


「パパ。どうしたの?」

「……イツキ。深呼吸しろ」

「うん? うん」


 俺は父親に言われるがままに3回深呼吸する。

 その時、鼻の奥を鉄の臭いが貫いた。


 ……なんだ? この臭い。


「覚悟が決まったら、入れ」

「……うん」


 そして、俺はリビングに足を踏み入れた。


 目に入ったのは、壁一面の赤だった。


 テレビも、ソファーも、カーペットも、壁紙も、全てが真っ赤に染まっていた。

 いや、赤を通り越して黒く染まっていた。

 

 その赤の中心には、かろうじて人と分かる程度の肉の塊が潰れていた。


「な……っ、なに、これ……!」


 俺が泣き出さなかったのは、衝撃が大きかったからだ。

 目の前の光景が、あまりにも非現実的すぎて受け入れられなかったからだ。


「『第二階位』の“魔”だな。人から魔力を食うために、よりひどい方法で人間を殺す」

「そんな……」


 絶句している俺の横で、父親は両手をあわせていた。

 俺もそれを見習って、両手をあわせる。


 ふわふわとした非現実的な感覚が俺を捉えたまま離さない。

 まるで夢でも見ているんじゃないかと思ってしまう。


「これをやったヤツを探すのが今日の仕事だ。絶対にこの家にいるはずだからな」

「分かるの?」

「あぁ、パパに連絡をくれた警察官……お巡りさんは祓魔師なんだ。とはいっても第一階位だから、“魔”を祓えないが、一箇所に閉じ込めるだけの結界を作ることはできる」

「そうなんだ……」


 勉強になることばかりだ。

 やっぱり着いてきて良かった。


 俺と父親はそのままの流れでキッチンに向かったが、不発。

 そこには誰も居なかった。


 さらに風呂場やトイレなども見たが、“魔”は索敵に引っかからない。

 1階を虱潰しらみつぶしに探し回って、見つからないということは残るは2階だ。


 俺と父親は目を見合わせると、階段に足をかけた。


 ぎぃ、と重く木のしなる音がするのと2階から『導糸シルベイト』が伸びてくるのは同時だった!


「パパ!」


 俺はとっさに動いていた。


 目の前に『導糸シルベイト』で壁を作ると、慣れない形質変化を発動。


 刃のように鋭くするのではない。

 壁だ。壁を作るのだ。


 ドォォオンンッ!! 


 刹那、壁に衝撃が激突した激音が家の中に響き渡った!!


「上だよ! 上にいる!!」

「……ッ!」


 血相を変えた父親が、階段を駆け上がる。

 俺もその後ろを追いかけた。


 まさか、モンスターが魔法を使ってくるなんて!


 俺が今まで出会ったモンスターたちは魔法を使ってくる気配なんて見せなかった。


 ……何も知らないことばかりだ。

 ちょっと魔力量が多いからって油断しては行けない。


 もっともっと強くならないと。


 俺が決意を固めながら2階に上がると、廊下のど真ん中にトレンチコートを着込んだ灰色の男が立っていた。


 だが、それは人ではない。

 モンスターだ。


『もウ、きやがったか……!』


 顔は見せないが、声からひどく焦っているのが伝わってくる。

 一般人は殺せるが、祓魔師相手だと分が悪い。


 ……そんなことを考えているんだろう。


 俺が気分の悪いものを抱えていると、人型のモンスターは父親にビビって後ずさった。

 そして、父親の後ろにいる俺に気がついてにたりと笑った。


『はッ! 子連れだとッ!?』


 そして、『導糸シルベイト』を出すべく腕を伸ばして、


『狙ってくれと、言っテるのか!?』


 だが、それが伸ばされるよりも先に、モンスターの身体が殴り飛ばされたッ!


「……貴様ッ!」


 ドウッ!!! と、唸りを持って後方に吹き飛んだモンスターの身体が壁にぶつかって、バウンド。跳ね返ってきたところに、2度目の右ストレートが飛ぶ。


 当然だがモンスターを殴っているのは俺じゃない。父親だ。


「よくも俺の子供に手を出そうとしたな」


 地面に転がったモンスターを見下ろしながら、冷酷に父親が言う。

 その腕には結界に使っていた『導糸シルベイト』が巻き付いている。


 結界を解除して『身体強化』を使っているのだ!


 2回のパンチで、既にモンスターの頭が半壊。

 胸は砲弾でも食らったかのように、べっこりと凹んでいる。


 殴られた人型のモンスターは血のようなものを吐き出して、わずかに指先を動かせるだけ。


 全くの反撃を許さないまま、圧倒……!

 う、ウチの父親が強すぎる……!!!


「俺の子供に手を出すということは、殺されても文句は言えんということだ」

『だ、だったら……子供なんて、連れテ来るんじゃねぇ……』


 ぐぅの音も出ない正論だったが、しかし父親はそれに返答せずにモンスターをバラバラにしてしまった。


 ……強いって聞いてたけど、こんなに強かったんだ。


 俺は初めて見る父親の戦闘に目を奪われた。


「敵を祓った。あとはこの家にいるはずの残りの被害者2人を見つければ、今日の仕事は終わりだ」

「うん。分かった」


 俺はうなずくと、父親と2人で最後の仕事にとりかかった。


 この家庭は3人家族。

 そして、リビングで亡くなっていたのは……大きさ的に大人1人だった。


 だとすれば、あと2人がどこかにいるはずなのだ。


 俺は頭の中で前提条件を繰り返しながら、父親の後ろを追いかける。


「……ここか?」


 父親が扉を開くと、そこは寝室だった。


 ベッドが中心に置いてあり、その横にはクローゼットと思われる扉があったが、その扉の前には女の人が首から血を流して倒れていた。


 ……死んでいる。


「イツキ。大丈夫か?」

「……うん。大丈夫だよ」


 父親が気を使ってくれるが、俺はなぜか大丈夫だった。

 生まれてはじめて死体を見たのに、何も心が動かなかった。


 俺は最初、あまりの衝撃で現実を受け入れられてないからだと思っていたが……いま分かった。それが間違っていたことに。


 俺が衝撃を受けなかったのは、俺が一度死んでいるからだ。


 自分にとって何よりも大事な、自分という存在の死を経験したのだ。

 それに比べれば、他人の死で感情がそう簡単に動くはずもない。


「別の部屋を探そう」


 父親がそういって踵を返した瞬間、クローゼットの中から『導糸シルベイト』が伸びてきた。だが、それに気がつくのは『真眼』を持っている俺だけ。


 さっきと同じように壁を作ってモンスターの壁を弾くと、糸を操ってクローゼットを強制的に開いた。女性の死体がごとりと動く。


『……ッ! 祓魔師めッ!!』


 クローゼットの中にいたのは、同じくトレンチコートを着た男のモンスター。

 それと、その腕の中で呆然とした顔を浮かべている……3歳くらいの女の子!


 生きている。

 あの子はまだ生きている!


『手ェ出すなよ。出したら、人間を殺す!』

「もう遅いよ」


 父親がモンスターに気がつくよりも速く、

 モンスターが女の子にその牙を伸ばすよりも速く、


 俺の魔法がモンスターの首を狙っている。


 『属性変化:風』と『形質変化:刃』を重ね合わせることにより、迅速にモンスターを斬り飛ばすその魔法を、


「『風刃カマイタチ』」


 次の瞬間、バズッ!!!!


 と、凄まじい音を立ててモンスターの首が消し飛んだ!

 それだけにとどまらず、クローゼットにバシィ! と、すさまじい斬り傷を刻みつけてしまった。


 ……しまった。加速させ過ぎたか。


 俺は反省するのと同時に、女の子が解放される。

 そしてそのまま、どたっ、と地面に倒れ込んだ。


「大丈夫!?」


 俺は慌てて女の子に駆け寄った。





 それが、後に俺の妹となる――ヒナとの出会いだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る