1,1 母の呼び声 Pilot・後


「さて、音の材料は雑音の中に潜んでいたとする。しかし疑問なのは、そこからなぜ依頼者は自分の名前だけを認識したのか」

「それはたった今、先輩が解明したのでは? カクテルパーティー効果だって」

「”サ”と”キ”を聞き取るだけでは、”サキ”という名前と認識するとは限らないだろ」

「確かにそうですけど……」

「そこで”パレイドリア”だ」

「カ……カレードリア? 美味しいし好きですけど……?」

「カレードリアは俺も好きだが今はそういう話じゃあない」


 先輩は呆れたようにため息をついた。


「”パレイドリア”、無秩序な現実に意味を見出す心理現象のことだ。有名な例を挙げるなら、『3つの点があれば人の顔と認識してしまう』とかな」

「ああ、心霊写真でよくあるヤツですね!」

「そうだ。依頼人はスイミングスクールで疲れた体で帰宅中だ。母が恋しいだろう。そんな心理状態が、”サ”と”キ”という”ただの音”を”意味のある音”に変えてしまったんだ」

「それがパレイドリア――本来ただの音の羅列だったモノが、自分の名前に聴こえてしまった。ということなんですね」


 そろそろこの依頼の真相が見えてきた気がした。

 それは先輩も同じなようで、


「さて、材料は揃った。最後に話を整理しよう」


 カメラに向かって一本指を立てて、語り始めた。

 どこかその仕草が芝居がかっていて、陰キャな先輩には似つかわしくなかったのでぼくは笑いを堪えるのに必死だったのは秘密だ。


「まずは材料1、ロケーション。この場所と時間に必要な音の素材が揃っていた。この地点は住宅街越しに国道が一望できる唯一の場所だ。18時過ぎ頃には退勤のため交通量が増え、”サ”と”キ”の音が生成されるにはじゅうぶんな周波数成分を含んだ音が飛び交っている場所だったと言えるだろう」


 そして二本目の指を立てる。


「そして材料2、カクテルパーティー効果。人間の脳は雑音下から必要な音だけを聴き取る能力を持っている。依頼人は、材料1ロケーションによって生成された周波数成分の中から”サ”と”キ”だけを選択的に聞き取ったということだ」


 さらに三本目の指を立てた。


「最後に材料3、パレイドリア。心理状態の影響もあると思うが、スイミングスクール帰りで疲労していた依頼人は母親が恋しかったに違いない。疲労は注意力を低下させ、低下した注意力は正しい認識を妨げた。普段はなんてことない雑音が、”母の呼び声”という意味のある言葉に聴こえてしまうほどに……な」


 そして先輩は手を握った。

 指揮者が演奏の終わりを示すように。


「以上で”謎解き”は終了だ。これで一定の場所・時間に”母の呼び声”が聞こえたという謎の説明はついたハズだぞ」

「……」

「なんだよ、不満か? 反論があるなら聞くが」

「いえ、ありません。先輩の言う通りだと思いました」


 わかってる。先輩はきっと正しい。

 論理的だし、科学的だ。悲しいほどにそう思えた。

 だけどつまらない。こんな答え、あまりにもつまらないから。

 先輩はがっかりしてうつむくぼくを見て――気のせいかもしれないけど、一瞬だけ優しく微笑んだ。ように、見えた。


「ま、そう落ち込むな。確かに一つの答えは出したが、あくまで仮説にすぎない。もしかしたら、お前の言う通り幽霊の仕業かもしれないぞ。すべては過去のことだ。真実なんて、誰にもわからないんだ」

「だったら……だったらどうすれば真実に到達できるんですか?」

「信じればいい。大切なのは真実かどうかよりも、”何を信じるか”だ」

「それってどういう」

「依頼人、もう”呼び声”は聞こえてないんだろ? 小学生の頃はたいして気にしてなかったことが、今になって怖くなっちまっただけのコトだ。だったら、何も問題なかったって結論のほうがいい。仮に”幽霊”だか”生霊”みたいなヤバい理由があって”母の呼び声”が聴こえていたのが”真実”だったとしても、すでに実害はないわけだからな。今後も気にしないほうが精神衛生上いいと思うぞ」

「先輩……」


 ぼくは。

 ぼくは思った。実は先輩って――。


依頼人サキさんの気持ちまで真剣に考えて答えを出したんですね。案外優しぃんですね、せんぱいって♡」

「は、はぁ!? 優しいとか優しくないとかじゃなくて、合理的って言うんだよ!」

「あらあら先輩ったら、お顔が真っ赤ですわよー?♡」

「バカ、もう帰るぞ! 報酬の食券、忘れんなよな!」

「ちょ、まってくださいよせんぱ――っ」


 ――ァ××!


「っ――!?」


 ”なにか”が聞こえた。ぼくは立ち止まった。


「? どうした、なにつっ立ってんだよ?」

「い、いえ。先輩、ぼくの名前呼びました?」

「用も無いのにお前の名前をわざわざ俺が呼ぶと思うか?」

「そ、そうですよね」


 気のせいだったらしい。

 そもそも、位置関係がおかしい。

 先輩は来た道を戻ろうとして、ぼくはそれを追いかけようとしていた。

 なのに”それ”はぼくの背後から聞こえたんだ。


 おかしいよね。先輩は前にいたのに、背後から先輩の声でぼくの名前を呼ぶ声が聴こえただなんて。


 これも”カクテルパーティー効果”とか”パレイドリア”のせいなのかな?

 ……ってコトは、ぼくってそんなにも先輩に名前で呼んでほしがってるってコトぉ!?

 幻聴が聴こえちゃうくらいに!?


 そんなワケ、ないじゃん……!

 とたんに、顔が熱くなるのを感じた。


「うぅー……!」


 先輩のせいだ。珍説ばっかり繰り出してくるから。

 セキニン、とってもらわなきゃ。

 ぼくはテテテ、と早足で先輩に追いついて言った。


「か……」

「か?」

「カレードリア、食べに行きましょう」

「いきなりだな」


 先輩は呆れながら優しく口角を上げた。


「もう遅いし、晩飯時だからな。俺もカレードリアの気分だったし、食いに行くか」

「もちろん先輩のおごりで♡」

「なんでだよ」



   ☆   ☆   ☆




 その夜、帰宅したぼくはさっそく今日の活動記録を作るために録画した映像を見直していた。

 心霊映像とか撮れてるかなぁなんて下心はあったけど、それらしいモノは何も映ってはいなかった。

 最後にぼくが聴いた”先輩がぼくの名前を呼ぶ声”が気になって見たけど、やっぱり該当場面でもそういう音声は記録されていなかった。


「ん……?」


 だけど小さく、風と車の音が混じり合う中に……何かが。

 先輩……? 男性の声とは違う、もっと高い声が混じっていることに気づいた。


「女性の声? ぼく、この時に喋ってたっけ……?」


 気になって、音量を上げてもう一度その部分を再生した。

 それが間違いだった。



『サキ――お゛いで、サキ……イッシ゛ョにイ゛こうヨ゛ォ』


 

「っ――ひぃ!?」


 バクバクと心臓が高鳴る。

 手が震えた。指の狙いが定まらず、再生が止められない。



『サキ、ドコナノ゛……サキ、ニゲタな……ね゛ぇ……サキ、ニゲタ……ユ゛ルサナイ……ユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイ! シネ゛、シネ、シネ、シネ、シネ、シネ、シネシネ死ね死ね死ねシネ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねシネ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねシネ死ね死ね死ねシネ死ね死ね死ね死ね死ねしねエエエエエエエエエエエエエエエエエ゛エエエエエエえエエエエエエエエエエエ゛アアアアアアアアアアアアアアアアアaアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア゛アアア゛アアアアアアアアアアアア゛アアアアアアアアアアアアアアアaアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアあ゛アアアアアアアアアアアアアアア゛アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア゛アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアaアアアアアアアアアアアア゛アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアあ゛アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアaアアアアアアアア――!』


「なに、なんなのコレ……!」


 止まらない。PCは止まらない。とめどなく溢れ出す”何か”の音。

 女の金切り声が耳をつんざいた。

 だけど。


『アア゛アアアアアアアアアアア゛アアアァ……ハァ、ハァ……』


 叫びはゆっくりと収まって、そしてぞわりと背筋を舐めるように。

 ぼくの耳元で”何か”が囁いた。




『 オ マ エ ダ ナ 』




「うああああああああああああぁ――!?」


 ブチン!

 PCを電源コードを引っこ抜くという荒業で緊急停止。


「はぁ、はぁ……な、何……今の……! なに、なんなの!」


 心臓がバクバクと暴れて、いまにも破裂しそうだった。

 自分自身の粗い息と心音だけが耳の中を満たした。

 だけど今はそれがむしろ安心だった。

 そうでもなきゃPCを落とした今でもまだ、あの声が聴こえてきそうに思えたから。


「伝える、べきなのかな……サキさんに」


 あの場所は危険だ。きっと何かがある。

 依頼人、サキさんを狙う”何か”が今でも……あの場所にいるんだ。

 真実を伝えるべきかもしれない。

 だけど、ぼくの脳裏には今日の先輩とのやりとりが浮かんでいた。


『もしかしたら、お前の言う通り幽霊の仕業かもしれないぞ。すべては過去のことだ。真実なんて、誰にもわからないんだ』

『だったら……だったらどうすれば真実に到達できるんですか?』

『信じればいい。大切なのは真実かどうかよりも、”何を信じるか”だ』

『それってどういう』

『依頼人、もう”呼び声”は聞こえてないんだろ? 小学生の頃はたいして気にしてなかったことが、今になって怖くなっちまっただけのコトだ。だったら、何も問題なかったって結論のほうがいい。仮に”幽霊”だか”生霊”みたいなヤバい理由があって”母の呼び声”が聴こえていたのが”真実”だったとしても、すでに実害はないわけだからな。今後も気にしないほうが精神衛生上いいと思うぞ』


 ゴクリ、つばを飲み込む。

 PCに差し込んでいた記録映像入りのSDカードを引っこ抜くと、ぼくは祈るようにこう呟いた。


「何もなかった」


 パキリ。

 折り曲げられた残骸が、ゴミ箱の中に消えていった。



   ΦOLKLORE: 1 “母の呼び声 Pilot”   END.

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