聖女、再度中庭を訪れる
「アリス、元気にしてましたか?」
通常授業が始まった最初の昼休み。
待ち合わせ場所の中庭に行くとすぐ、
「お友達もできましたし、新しいことが多くて楽しいです。でも……」
「でも?」
「芽愛さんたちと離れ離れになったのは少し寂しいです」
「……アリスちゃん!」
腕を抱きしめられる俺。追いついてきた鈴香が苦笑して「芽愛。猫が逃げて行っているわ」と言う。まあ、芽愛に関しては猫かぶり(擬態)していなくても普通に可愛いので、朱華みたいな心配はないと思うのだが。
と、鈴香の後ろから、いつも通り表情の分かりにくい少女が顔を出して、
「こんにちは、アリス。……そろそろ私の作った衣装を着て欲しいです」
「こんにちは、
姉の
というわけで、なんだか久しぶりな気がするこの三人が、
「アリスと仲の良い友達かあ」
「はい。転入してきたばかりの私に良くしてくれた皆さんです」
三人との再会を見守ってくれていた新しい友人──
「……なるほど。貴女が噂の子ね」
「え、私って噂になってるの? ……なんか恥ずかしいな」
頬を染めて照れる小桃。
友達を作るのは好きだが、目立つのは得意じゃないらしい。そう言いつつ、他クラスから見学に来た生徒にも「友達になろう」と声をかけたりしていたので、使えるものはなんでも使う性格でもあるようだが。
「小桃さんはとても明るくて話しやすい人なんですよ」
「はい。それは噂でも聞いています」
「うん。アリスちゃんが仲良くなるんだからいい子なんだろうね」
俺が言えば、縫子と芽愛も頷く。芽愛は引き続き猫が被り切れていない。ついでに素の時は「アリスちゃん」呼びがしたいらしい。
というかみんな若干、言葉に棘──とまでは行かないものの、含みのようなものがある気がする。小桃をここに連れてくること自体は前もって相談してOKを貰っていたのだが。
「皆さんって、もしかして意外と人見知りするんですか……?」
「意外に思われているというのが意外だけど、まあ、その通りよ」
それから鈴香は「続きは食べながらにしましょう」と言って俺たちを促した。新学期初日ということもあって、中庭はいつもよりも混んでいる。暗黙の了解とやらを知らない新入生や外部生だけのグループがやってきているせいだ。
ぱっと見、ベンチも空いていない。どのみち、今日は五人なので二つに分かれないと座れないだろうが……。芽愛か鈴香が俺に「膝に乗って」とか言い出しかねないのでそれはそれで良かっただろうか。
「こんなこともあろうかとレジャーシートを持ってきたから安心だよ」
「それならみんなで座れますね」
とはいえ、同じことをしている生徒もいる。シートを敷く場所も善し悪しがあるので、俺たちはちょうどいい場所を探して歩くことにした。
すると、既に昼食を始めていたり、準備を進めている生徒に近づくことにもなって、
「あら、ごきげんよう、
「ええ、ごきげんよう、先輩方」
俺たちの顔を見た先輩方は気軽に声をかけてくる。思えば、中等部時代にはあまりこういうことがなかったが……学校が同じになったことが大きいのか、それとも中庭の情勢が固まっていないからこその交流なのか。にこやかに応じる鈴香の態度はとても人見知りするようには見えない。
あれ、というか、鈴香の次に名指しされるのは俺なのか……?
芽愛たちをちらりと見れば、先輩方の話に不満そうな様子はない。先輩方も芽愛たち(小桃も含んでいるっぽい)の存在は当然といった感じなので、俺たちはこの場にいることを許されているらしい。
と、そんな挨拶周りが数回続くうちに「暗黙の了解」の姿が少し見えてきた。
「あー、なるほどね」
小桃も気づいたのか、この場に慣れていなさそうなグループに視線を向けている。見たところ、彼女たちは先輩方から特に声をかけられていない。周りに屈託なく挨拶する生徒のいる中なので居心地が悪そうだ。
かといって、出て行けと強制されるわけでもない。
なんとなく雰囲気的に「自分たちは歓迎されていない」というのを感じ取った彼女たちはそのうち中庭に来なくなる、といった流れなのだろう。少女マンガでたまに見る「貴女、誰の許しがあってこの中庭で食事をしているのかしら?」みたいな光景がないのは良かったのか悪かったのか。
若干気分が沈むのを感じていると、小桃が「こういうの苦手?」と尋ねてくる。
「そうですね。……皆さんで仲良く使えれば一番いいと思うんですが」
「そうね。でも、そうしたことで夏休みの有名観光地みたいになっても困るもの」
芝生も含めてびっしりと敷かれたレジャーシート。昼休みの後には捨てられたゴミがダース単位で存在する光景をイメージして「うわあ」と思う。さすがにお嬢様学校のここでそんなことはないと思いたいが……一緒に歩く小桃が手にしているのはコンビニ袋だったりする。
外部生は当然、中等部からの生徒ではない。
私立に来るのだからある程度裕福な家ではあるのだろうが、家庭の事情は色々だ。お弁当を持ってこられない子がいても不思議はないし、馴染んでいない彼女たちは校内のルールにも疎い。
気を付けていてもつい、良くない行動を取ってしまう、ということもあるだろう。
「小桃さんはどう思いますか?」
そこそこ日当たりがよく、他のグループからも適度に離れた場所を発見し、五人で円を描くように座ってから、俺は新しい友人へと尋ねてみた。
このメンバーの中では一番、庶民の感覚に近いと思ったのだが、意外にも彼女は「うーん」と間を持たせてからこう答えた。
「私的には『あなたはOK』『あなたはNG』みたいにすっぱり決める女王様みたいなのがいてくれた方が気楽かな」
「不満なのはそこなんですか?」
「うん。だって、強い人や偉い人が優先なのは当たり前でしょ? だから、どの人が偉いのかわからない方が困るよ」
多くの生徒が中庭を使えないこと自体はあまり気にならないという小桃。色々な意見があるものだと思う。まあ、俺としても「外部生は駄目って言うならそういう張り紙でもしとけよ!」みたいな意見はありそうだな、と思うのだが。
「アリス。外部生だから駄目なわけではありませんよ」
「え?」
「その判断基準だと
「鴨間さんはもう有名になってるからねー」
ネームバリューがあるからOKということか。
小桃はこれに「認めて貰えたのは嬉しいかな」と呟き、それから言った。
「でも、私はここ、たまにでいいや」
「そうなんですか?」
俺にとって中庭での食事は楽しみの一つだ。女子の園の清らかでない側面を知ってしまったとはいえ、小桃にも気に入って欲しい気持ちはある。
しかし、
「うん。いつもアリスと一緒じゃ他の子とご飯できないしね。気が向いた時だけお邪魔させてもらってもいい?」
「……それを臆面もなく言える時点で、貴女には資格があるでしょうね」
肩を竦めた鈴香が消極的な許可を出すと、小桃は「ありがとう」と笑った。
「じゃあ、緋桜さんだっけ? みんなとも友達になりたいんだけど──」
「遠慮しておくわ」
「──あれ?」
きっぱりとした拒絶だった。小桃だけではなく俺も驚く。人見知りという話はまだ続いていたのか。
「別に殊更邪険にする気はないわ。でも、しばらくの間は『友達の友達』で構わない。私自身が納得できるまでは、ね」
「……そっか」
険悪なムードが流れるかと思いきや、鈴香のさっぱりとした物言いのおかげか、小桃もすぐにこくんと頷いてくれた。
「じゃあ、たまに来て仲良くしないとね」
「ご自由にどうぞ」
それからは、まるで「友達じゃない」と言ったやりとりがなかったかのように、穏やかな食事の時間が続いた。
『アリスちゃん。鈴香を怒らないであげてね』
その日の夜、芽愛から電話がかかってきた。
入浴を終えてパジャマに身を包んだ俺は、ベッドの上でクッションを抱きながら友人の言葉に耳を傾けた。
『鈴香にも色々あるんだよ。家がお金持ちで礼儀作法とか力関係にもうるさいから、不用意に敵も味方も作りすぎるなって言われてるの』
「味方も、ですか?」
『うん。友達になった人と必ず助け合えるとは限らないでしょ? 友達になったからお金貸してとか、借金の連帯保証人になってとか言ってくる人もいるし』
なるほど、よくわかる例えだ。ただ、ドラマか何かの影響なのか、それともご両親の実体験か。あまりにも生々しい例えに若干苦笑してしまう。容姿と振る舞いはともかく、やっぱり芽愛の感性は庶民よりである。
「無能な味方が一番困るみたいな台詞、マンガとかでたまにありますね」
『そう。鈴香らしいでしょ? ……鈴香も全部、それが正しいとは思ってないだろうけど。グループを守る責任があるって気を張ってるんだよ』
グループというのは俺たち四人の関係のことか。それとも家関係の何かなのか。
責任。
家を継ぐのは基本、男子であることが多いと思うのだが──
「……あれ? でも、私、かなりあっさり仲間に入れてもらいましたよね?」
『え? だってアリスちゃんはアリスちゃんだし』
「答えになってませんよ!?」
俺でさえ見失っていた時代に俺の本性をあっさり見抜かれていたというのか。
『うーん。まあ、もう少し真面目に言うなら色々あるんだろうけどね』
途中で転入してきたため同じ境遇の人間がいない。はっきりと単独なので誘ってもあと腐れが起きづらいし、金髪碧眼という目立つ特徴がある上、両親は他界しているとの情報から政治的な意図がほぼ見えない。
更に、少し話しただけでわかる程度には善良な性質から、むしろ仲間に引き入れることによる加点要素の方が大きいと判断できる。
『これをまるっと言うとアリスちゃんだから、になるわけ』
「なるほど……。って、善良とか言われると恥ずかしいんですが」
『じゃあアリスちゃん、自分のこと悪人だと思う?』
「少なくとも根っからの善人じゃないですよ。……昔、ゴミ箱に投げて入らなかった空き缶をそのままにしたこととかありますし」
それは男子だった頃の話だが、急いでいる時に渡り切れそうにない信号に突っ込むとかは今でもやってしまうかもしれない。品行方正でなければならない聖職者としてまだまだ修行が足りないと、オリジナルのアリシアを見ていると思う。
『……うん。アリスちゃんはそのままでいてね』
「どういうことですか……!?」
『私は今のアリスちゃんが可愛くて大好きってこと。もちろん鈴香達もね』
「う。……あの、えっと、ありがとうございます……」
もはや顔から火が出そうだ。なんで俺は褒め殺しを受けているのか。
「あの、私も芽愛たちのこと好きですよ。……だから、鈴香を嫌ったりなんてしません」
『ありがとう、アリスちゃん』
芽愛の優しい声。
『それと、ごめんね。鈴香たちだけじゃなくて、私も縫子も、鴨間さんを信じるのには時間がかかると思う。私達も周りの子と喧嘩した経験、あるから』
「あ……」
料理が上手すぎて他の子と対立した話。以前に聞いたそれが思い出され、俺はちくりとした痛みを覚えた。好きなことには一直線、自分を曲げられないのが芽愛と縫子だ。場合によっては、相手が善良な人間であっても、衝突することがあるかもしれない。
「わかりました。その、私こそ考えもなしに新しい人を連れてきてしまって──」
『あー、もう! 湿っぽくならないでよ! 鴨間さんを連れてくるのはみんな納得してるんだから、それでいいの! 後は鴨間さん自身の問題だってば!』
小桃自身の問題、か。
確かに、出会って間もない彼女のことを、俺はまだよく知らないのだ。
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