聖女、お菓子を作る
「できました……!」
数日に渡ってリビングに響いていたミシンの音が止まったのは、金曜日の夜のことだった。
押さえのパーツを動かして衣装を解放した俺は、針に繋がった糸を丁寧にハサミで切ると──できあがったばかりのそれを広げた。
縫子の型紙通りに作ったメイド服。
シックな黒のワンピースタイプで、既に完成済みのエプロンと合わせることで清楚さと可愛らしさを兼ね備えた完成形となる。
もちろん、作ったのが俺なので作りが荒い部分もある。
しかし、本当にヤバい部分はノワールの手直しが入っているし、黒い生地には黒い糸、白い生地には白い糸を使っているので縫い目自体は思ったより目立たない。シンプルなデザインなのが功を奏した。
個人的には安物のコスプレ衣装なんかよりは断然見られる出来だ。
「どうでしょう、ノワールさん」
連日俺に付き合って夜更かししてくれたノワールは、既にその澄んだ瞳で俺と衣装を覗き込んできていた。
そんな彼女に衣装を渡し、最終チェックをお願いすると──仕事人らしい真摯な観察眼がしばし、俺の作ったメイド服へと向けられて。
やがて顔を上げたノワールは、にっこりと笑顔を浮かべた。
「はい。……よく頑張りましたね、アリスさま。これで問題ないかと。端糸の処理だけきちんと行ったら作業は完了ですね」
「……やった」
爆発寸前だった達成感が一気に限界を超えた。
涙腺が緩みだすのを感じた俺は目じりを軽くこすってから両手を持ち上げ、ハの字を作るような感じでぐっと握りこぶしを作った。
苦節十時間以上。下手をしたら二十時間オーバー。
悪戦苦闘しながらも頑張ってきた甲斐があった。
苦労した分、喜びもまたひとしおである。
自然と笑顔を浮かべる俺。ノワールもまた、感極まったように涙ぐんでいた。
「ノワールさんが泣かなくても」
「……ふふっ。ええ、そうなのですが。アリスさまが頑張っている姿をずっと見ていたもので。わたしもまた、衣装作りにチャレンジしたくなってまいりました」
「いいと思います。ノワールさんならきっといいものが作れます」
笑いあった俺達は、酒ではなく紅茶でささやかな祝杯を挙げた。
眠れなくなってしまう懸念もあったが、紅茶の香りにはリラックス効果もある。既にテンションの上がっている俺達には合っていたらしく、飲み終わる頃には気分も落ち着いていた。
「これで、明日は憂いなく出かけられますね」
「はい」
実を言うと文化祭までにはまだ数日の時間がある。
急いで完成させなくても問題はなかったのだが、明日の土曜日には用事がある。昼間は芽愛の家でお菓子作り。帰りがけに車で拾ってもらい、そのまま山間部でのバイトに突入である。
衣装作りに後ろ髪ひかれるより完成させて臨む方が成果も出そうだったので、若干無理して完成を早めたのだ。
シュヴァルツに発破をかけられて気合いが入ったのもある。
強敵が出るとすれば怪我や疲労で寝込む、なんてこともあるかもしれないので、余裕をもっておくのは悪いことではないだろう。
「前日まで付き合わせてしまってすみません」
「いいえ。わたしも楽しかったです。それに、わたしは昼間予定がありませんから。少しお昼寝などさせていただこうかと」
明日は教授達も家にいるので食事の支度をする必要はあるが、各々バイトのための準備もあるので「ノワールさんおやつ作ってー」などと言われることはおそらくない。
軽く仮眠を取る時間くらいは十分あるだろう。
「アリスさまこそ、この後はきちんとお休みくださいね? 本を読んで気づいたら朝、なんていうのは駄目ですからね?」
「あはは……。はい。シルビアさんの栄養ドリンクは最終手段ですからね」
などと言っていたら二階から物音がして、シルビアが下りてきた。
「あれ、アリスちゃんまだ起きてたんだー? ……ノワールさん、なにか夜食ないですか?」
「はいはい。すぐにご用意いたしますね」
ノワールが応えて立ち上がる。
ちょうどいいタイミングだったので、俺は二人に「おやすみ」を言って部屋に戻った。
翌日は少しだけ朝寝坊をさせてもらった。
朝のお祈りと朝食はしっかりと済ませ、トレーニングは軽く身体を動かす程度に留める。細かい作業の邪魔にならない服を選び、料理用のエプロンを──。
「エプロン」
はっとした。
この家で料理をする時はほぼ毎回、メイド服に着替えている。もちろんその上にエプロンも着けているのだが、料理をする時に上から羽織るそれとは違う。
服のまま少しだけ手伝いをする時などに使っているものを借りなければ。
一階に降りてリビングへ行くと、テーブルの上には折りたたまれた布のようなものがあった。俺の姿を見たノワールはにこにこして、
「アリスさま。こちらをお探しですか?」
「さすがノワールさんです」
この人はエスパーか何かなのではなかろうかと思いつつ「ありがとうございます」と頭を下げて受け取る。
広げてみると、時々借りている無地に近い黒のエプロンではなかった。
濃いめの黄色をベースに、ところどころ白抜きで模様が施されたもの。大きいめの丸一つと小さめの丸いくつかがワンセットになったその模様は、いわゆる「猫の手」をデザイン化したもの。
「……ノワールさん?」
「可愛いでしょう?」
うん、可愛い。それは文句ない。
ただ、何故外で使う時に限って可愛いのを用意したのか。
「お気に召しませんでしたか?」
「いえ、その。……ありがたく使わせていただきます」
「はいっ」
本当に嬉しそうな笑顔が返ってきた。
ノワールが楽しそうならいいかな……と、シュヴァルツいわく「洗脳されている」らしい思考で結論づける。
まあ、可愛いと言っても猫の手が散りばめられてるだけだし。ガチで猫の絵が描かれていたらもう言い逃れはできないが、このエプロンくらいなら中三女子の標準レベルに違いない。
エプロンを荷物の中に入れ、夜用の衣装が入った大きめの鞄をノワールに預ける。さすがに聖職者衣装を持って歩くのは邪魔なので、荷物として車に積んでもらう算段だ。着替えは車内か、向こうの施設が借りられればその中で、といった感じである。
「それじゃあ、行ってきます」
「はい、お気をつけて。夕食はお弁当を作っておきますね」
「アリス、お土産持ってきなさいよ」
「お菓子ならデザートにちょうどいいよね」
「うむ。カロリーは取っておいて損にならんな」
ノワールと、それからついでに朱華達にも見送られてシェアハウスを出発。
帰ってくるのは日付が変わってからになるだろう。
もしかしたら帰って来られないかもしない……なんて感傷的になるのは俺達らしくないので、朱華達のお願いに「わかりました」と苦笑だけを返した。
「おーい、アリスちゃーん」
「おはようございます、芽愛さん。お待たせしました」
「ううん。じゃ、行こっか」
今日はバスを使って移動した。
指定されたバス停で降りると、芽愛は既に待っていてくれた。今日は鈴香達は不参加なので、俺達二人だけの会である。
『芽愛の本拠地でお菓子作りでしょう? 嫌よ。絶対気が滅入ってくるもの』
『試食で過剰なカロリーを摂取するのはもう十分です』
料理は苦手らしい鈴香と、せっかく作った衣装が入らなくなるのを恐れた縫子。それぞれからの言葉である。さすがにそこまで警戒しなくても大丈夫だと思うのだが。
「芽愛さんのお家は初めてなので緊張します」
「大丈夫だよー。うちは庶民だし。鈴香のところみたいにお手伝いさんとかいないもん」
「でも、別荘まで持ってるじゃないですか」
話をしながら案内してもらって、程なく一つの建物が見えてきた。
おそらくあれがそうだろう。濃いめのブラウンが印象的な外観。筆記体で書かれた店名。見るからにお洒落な雰囲気の洋食店。
なんというか、もう少し「街の洋食屋さん」っぽい雰囲気を想像していたのだが。
「……高そうなお店ですよ?」
「そんなに高くないってば。ディナーでも一人二千円あれば満足できるもん。……まあ、タンシチューとか美味しいワインとか頼み始めちゃったら駄目だけど」
「そう言われると確かに『どーん』と高くはないんでしょうか……?」
思えば、芽愛達と立ち寄った店はどこもそこそこ値が張るので、基準がよくわからなくなってきた。
うーん、と悩んでいると芽愛がくすりと笑って、
「ちょっとお店見学してく?」
「え、遠慮しておきます」
「だよね。じゃあ、こっちだよ」
ぐるりと裏に回ると、そちら側は普通の家になっていた。半一体型の店舗兼住宅っていう感じらしい。
こちらもお洒落なのは変わらず、やっぱり庶民とは言い難い感じなのだが、ここに住んでいる芽愛は当然気にした様子もなく鍵を手に、家の門を抜けていく。
俺はおずおずと後を追う形になった。
「こっちには誰もいないから大丈夫だよ。研究するからお店のお手伝いはできないって言ってあるし」
「じゃあ、お邪魔します……」
中も、惚れ惚れしてしまうくらいお洒落だった。
うちのシェアハウスもノワールによって綺麗に整えられているが、あそこは「普通の家」っぽい雰囲気を大切にしているところがある。だから庶民の俺でもすごく落ち着くし、朱華やシルビアが俗っぽい動きをしていてもあまり違和感がない。
芽愛の家はシェアハウスよりも更に一段品がいい。とはいえ鈴香の家のように明らかに格が違う、という程ではない。そういう意味では確かに庶民というか、一般人の中ではお金持ち、ということになるだろうか。
敢えて生活感を抑えているらしいリビングを抜けて案内されたキッチンは、設備の周りをぐるりと囲める、いわゆるアイランド方式。
大きな冷蔵庫の他に冷凍庫、それからワインセラー。戸棚や食器棚にもずらりと物が並んでいる。
さすが、家族でレストランをやっている家だ。
「ノワールさんが見たら歓声を上げそうです」
「そう言ってもらえると嬉しいな」
持ってきたエプロンを身に着けて、芽愛から「可愛い!」と感想をもらってから、いよいよお菓子作り開始。……ちなみに芽愛のエプロンはワインレッドの落ち着いたデザインだった。
「さ、それじゃあ始めよっか」
「はい」
どこかうきうきと材料を取り出す芽愛。
あらかじめ用意しておいたというそれらは、ある程度までは文化祭用の予算から捻出されるものの、足が出た分は自腹である。
俺や鈴香、縫子でカンパするという話もしたのだが「半分趣味でやってるから」と断られてしまった。仕方ないので「利益が十分出たら芽愛に還元する」とクラスメートに約束を取り付けることで良しとしている。
「候補としてはクッキー、チョコレート、あとビスケットかな」
「そういえば、クッキーとビスケットって何が違うんですか?」
「日本だと糖分と脂肪分の割合で名前が分かれてるみたい。で、アメリカのビスケットはフライドチキンのお店のあれみたいなやつ」
「パンですね」
「パンだね」
芽愛が言いたかったのはそのパン、もといアメリカのビスケットのこと。イメージとしてはスコーンでも可とのこと。
「量産するならクッキーかなって思うんだけど、焼く時間も結構かかるんだよね。この時期ならチョコもすぐには悪くならないし、紅茶とチョコって合うじゃない?」
「合いますね」
コーヒーにも合う。
あまり甘くないのが好きな人ならビスケットも良いだろう。一人一個付ければ十分だから残量計算がしやすいという利点もある。
「それぞれ何種類か候補を考えてあるから、作って食べてどれにするか決めようと思うんだ。大丈夫?」
「はい。精一杯頑張ります」
指示は芽愛に出してもらい、俺はひたすら指示通りに手を動かす。
「お菓子作りは理科の実験と一緒なんだよ」
「分量が少し違うだけでも結果が大きく変わるから計量が大事なんですよね」
「そうそう」
前に軽く教わった時にノワールもそんなことを言っていた。
なので、秤や計量スプーンなどを駆使しつつ、材料やその分量が少しずつ違うクッキー、チョコレート、ビスケットを製作。
量って、混ぜて、整形して……とやっているうちに、気がついたら一時を回っていた。
「あ。アリスちゃん、お昼どうしよっか?」
「ビスケットも試食するんですよね? それがお昼代わりでいいような気がします」
「おっけー。じゃあ美味しいジャムがあるから一緒に出すね。あとクロテッドクリームと、簡単なサラダを作って……あ、スープもいる?」
「ありがとうございます。でもサラダまでで十分ですからそれ以上は」
凝りたくなるのは料理人の性か。
出来上がったお菓子をジャムやクロテッドクリーム、サラダ、それから芽愛があらかじめ作っておいてくれた水出し紅茶と一緒にいただいた。
一つ一つの量は加減したのだが、それでも二人だと結構食べでがあった。
美味しいジャムとクリームに舌鼓を打ち、紅茶飲んで「美味しいね」と言い合い、最後の方は余裕がなくなってきて「ここまできたら食べきらないと……」と気合いで食べきった。
「うーん、やっぱりクッキーとチョコレートの組み合わせかな。ビスケット百個とか作るのはさすがに厳しいよ」
「そうですね。クッキーとチョコなら工程もあまり被りませんし」
配合を変えて作るのも面倒なので、俺と芽愛の独断と偏見で一種類ずつに決める。
フルーツなんかは入れないシンプルなものだが、一般家庭にはなかなかない道具が揃っていること、芽愛の腕が良いこともあって、並の手作りとは味が違う。
後の問題は、比較的作りやすいお菓子を選んだ上でなお、作る量がかなりあること。
他の子と分担する案も出したものの、設備などの問題もあるので没に。
いっそのこと、品切れになったら市販品を使うと開き直ってもいいのだが、
「……あ。食べ比べということにして、市販品と手作りを一緒に出すのはどうでしょう? それなら量を水増しできますし、手抜き感も抑えられませんか?」
「あ、それいいかも!」
ということで、メイド喫茶のお茶菓子は「クッキーとチョコレート食べ比べセット」ということに決定した。
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