聖女、着替えをする

「アリスちゃん、一緒に更衣室行こ?」

「は、はい」


 マスコット扱いは若干納得いかないものの、俺はクラスメートとの関係をそのまま継続した。

 スクールカーストは面倒臭い。

 しかし、一つのグループとしか付き合えない、なんてルールは無い。話せる時は他のグループとも話せばいい、ということで自分の中で落ち着いた。


 登校四日目

 今、こうして声をかけてくれたのも、初日に知り合ったクラスメートの一人だ。

 誘って貰ったのは嬉しい。

 一方で、俺は、学校生活最大の難関への恐怖で顔が引きつっていた。


 それでもなんとか取り繕いつつを手に立ち上がる。


「更衣室の場所は覚えてる?」

「いえ、まだ自信はありません」

「だと思った。案内してあげるから大丈夫だよ」

「ありがとうございます」


 そう。

 今日は体育、そしてそれに必ず付随してくるイベント──すなわち着替えがあるのだ。






 女子更衣室(生徒用の男子更衣室は無いので、表示はただの『更衣室』だった)は窓の無い、シンプルな造りの小部屋だった。

 壁際には小さめのロッカーが整然と並び、到着した時には既に数人が利用中。

 ドアを開ける際は一声かけるのがマナーらしい。しかし、クラスメートは俺にそう教えながらも、中からの反応を待たずにノブを回していた。


「だって、別に男子がいるわけじゃないし」


 男の先生が廊下に居なければ問題ないらしい。

 

「さ、それより着替えよ。ロッカーは早い者勝ちだよ」

「そうですね。じゃあ、私は隅の方で……」

「え、わざわざ端っこ行かなくても」


 体操着袋と共に奥まで移動しようとしたら、制服を軽く掴まれた。


「アリスちゃん、もしかして恥ずかしがり屋?」

「いえ、そういうわけではないんですが」

「さっきも人目を気にしてたし……大丈夫だよ、女の子しかいないんだから」


 女しかいないから困ってるんだが。


「アリスさんと一緒の体育はこれが初めてですね」

「身体能力は個人差が大きいですから、怖がらなくても大丈夫ですよ」

「アリスちゃんこっち来なよー。空いてるよー」


 気配を消そうと思っても転校生は注目されるものらしく、次々に声をかけられ中ほどのロッカーに導かれ、そうこうしている間に生徒達が続々と増えていく。

 体育は二クラス合同のため、隣のクラスの生徒も一緒だ。

 自分のクラスはもう大分落ち着いているのだが、他クラスはそうもいかないらしく、物珍しげな視線が向けられてくる。

 室内に満ちていく女子の匂いにくらくらする。

 段々、自分が何を恥ずかしがっていたのかもわからなくなりながらも、こみ上げてくる恥ずかしさがどうしようもない。


 と、肩をぽんと叩かれて、


「なにやってんのよ」

「……朱華さん」


 不覚にも若干涙目で助けを求めてしまった。

 紅髪紅目の少女はいつも通りの様子で「しょうがないわね」とばかりに目を細めると、周りを見渡して、


「あのね、みんな。実はアリスちゃんって女装してる男の子だから、あんまりいじめないであげて」

「何言ってるんですか!?」


 思わず叫んだ。

 割と本気で怒りながらも敬語が途切れなかったのは鍛錬の賜物と言っていい。


「なにって、マンガとかでよくあるでしょ、そういうの」


 まあ、なくはない。

 なくはないが、こいつの場合、情報元ソースはマンガではなくエロゲだろう。そしてエロい作品である以上、女装主人公は「やられる側」になることも多い。

 二重三重の意味で酷いレッテルである。

 幸い、この暴言に関しては、


「アリスちゃんが男の子?」

「ないない」

「朱華さんってばまた冗談言って」


 この通りだった。

 実際、身体は間違いなく女子なので、もし裸にされても問題は無い。

 裸に。

 ひょっとして朱華はそうやって安心させる意図で言ってくれたのだろうか。

 ある意味ではかけがえのない仲間といえる少女へ、俺はあらためて視線を送って、


「なに、アリス? 脱がせて欲しいの?」


 無いな。

 躊躇しているのが馬鹿らしくなった俺は溜息をつき、制服に手をかけた。






「教授。バイトがしたい」


 アリシアになって初めての体育を経験した日の夕食にて、バイト関係のまとめ役らしい教授に切り出す。

 相変わらず小さくて愛らしい大学教授は箸を置くと「ふむ」と唸って、


「なんだ。欲しい物でもできたか?」

「エロゲ?」

「……いやいや、スイーツでしょー」

「お洋服でしたら是非わたしがアドバイスを」

「全部違います」


 むしろ菓子程度なら今のお小遣いでも食べきれないだけ買える。

 いや、そういう問題でもないが。


「前に言ってただろ? もしかしたらバイトが元に戻る手がかりになるかもしれない、って」

「ああ、言った。かもしれない尽くしの話だとも、な」


 俺の主張を聞いたノワールは心配そうにこちらを見て、


「アリスさま。何かあったのですか?」

「いえ、その。何かあったって程じゃないんですが」

「アリスはみんなの前で下着姿になったのが恥ずかしかったのよ」

「朱華ちゃん、そこのところ詳しく」

「聞かなくていいです。……まあ、その件が切っ掛けなのは事実ですけど、できる努力をしないのは違うと思っただけで」


 それこそマンガやゲームの話だが、男に戻りたいとか幼馴染と恋人同士になりたいとか言いながらアクションを起こさないキャラというのは結構いる。

 もちろん、段階を踏む必要もあるし、目標によっては「どうしたらいいか見当がつかない」という場合もあるだろうが、俺の場合はバイトというかすかな手がかりがある。

 やるだけやってから諦めてもいいんじゃないかと思うのだ。


「ってことで、どうだろう?」

「まあ、実施すること自体はやぶさかではないがな」


 腕組みをして難色を示す教授。

 意外だ。

 前回のゾンビ戦を見る限り命の危険は低そうだったし、世のため人のためにもなって金も入ってくる。やらない理由の方が少ないと思ったのだが。

 リーダーから視線を向けられた朱華達も「うーん」と唸って、


「単純に疲れるんだよねー、あれ」

「頻度を増やすと一回あたりのバイト代は減るしね」

「油断をしなければ大丈夫といっても、危険はあるわけですし……」


 具体的には、例えば週一でバイトをこなした場合、一回六万(消耗品代込みで全員合わせて三十二万)だったバイト代が一回四万(計二十二万)程度まで減るらしい。

 月のトータルで考えたら一人当たり最大十万の増額とはいえ、一回当たりの手当てが二万減るのは確かに損した気分になる。

 とはいえ、これは政府がケチっているだけとも言いづらい。

 例のバイトで支払われる報酬は危険手当であると同時に「邪気を払ったことへの謝礼」でもある。短いスパンで繰り返し払えばその分、邪気も溜まりにくくなるので、払う量も少なくなる。かといって最低月一くらいで払って貰わないと困るので、この措置は妥当というわけだ。


「そこを何とか。アフターケアなら俺がなんとかできるから」


 渋る仲間達に俺は拝み倒した。

 何しろ、アリシアにはあまり戦闘能力がない。神聖魔法の中には攻撃魔法も一応あるが、本職の魔法使いにはどうしても劣る。

 それに、呪文を唱えている間に群がられたら多勢に無勢だ。

 おまけとして、神聖属性が効かない敵、例えば天使とかが万一出て来たらどうしようもない。ソロプレイは自殺行為だ。

 代わりに、戦闘中や戦闘が終わった後の回復なら担当できる。

 必死にお願いしたのが功を奏したか、教授達も最終的には折れてくれた。


「仕方ない。しばらく週一ペースで魔物討伐に繰り出すとするか」

「ありがとう。恩に着る」


 こうして週末の土曜日、俺はバイトに出かけられることになった。






 そして、土曜日の夜。

 夕食を終え、出かける準備をする段階となり、俺は自室で、


「ああ、この日がこんなに早くやってくるなんて……!」

「ノワールさん、あの、穏便にお願いします」


 恍惚の表情を浮かべたノワールに服を脱がされていた。

 違う。全くもってやましい話ではない。

 脱がされているのは単に着替えを手伝ってもらうためだし、ノワールがうっとりしているのは、件の衣装が彼女のコレクションだからだ。

 そう。

 部屋に置かれた鏡の前。俺と、俺の斜め後ろに立つノワールが注視しているその衣装とは、主にワンピースとエプロンの二つからなる仕事着でありコスプレ衣装であり、近年では性的な需要も兼ね備えるもの、いわゆるメイド服だった。


 といっても、ノワールのものとは少しデザインが違う。

 我が家のメイドさんが普段着ているのは、足首に届きそうなロングスカートのシックなメイド服だ。エプロンにはポケットが多く付いている便利なデザイン。

 スカートをあちこちひっかけてしまいそうな衣装を上手く着こなせているのはノワールの腕があってこそだと思うが。

 ノワールが手にしている俺用の衣装はもう少しひらひらが抑え目だ。

 スカートは膝下丈だし、肩の部分の膨らみ(パフスリーブ? とか言うらしい)も小さい。それから、本来ならセットになっているはずのエプロンがノワールの手にはない。


 俺は白い上下の下着と、首から下げたクロスアクセサリーを見下ろして、


「確かに、それ着たら修道女っぽいですね」

「でしょう?」


 つまり、メイド服のワンピースをシスター衣装の代わりにしようというアイデアである。


『聖印があるかないかで魔法の効果が変わるなら、衣装もそれらしくした方がいいかもしれんな』

『でも、当たり前だけど俺、アリシアの服なんて持ってないぞ?』


 元ゲームのコスプレ衣装を探したらそれっぽいのが出てくるかもしれないが、大作という程ではないゲームの、エディット可能な主人公では望みは薄い。

 ならば現実のシスター服で代用するのが妥当だが、生憎、ノワールのコレクションはメイド服に偏っている。シスターメイドとかいう謎設定の衣装なら存在したが、そんなものを着て神様が怒り出さないかはいまいち自信がなかった。

 じゃあ、メイド服からエプロンを除いたら割とそれっぽいのでは? ということになった。


 今回採用したのはシックな黒いワンピースなので本当にそれっぽい。

 シスターのコスプレだと言っても通用しそうだ。


「では、アリスさま。まずはこちらを」

「あ、はい」


 手渡された黒タイツに足を通す。

 生足が出てるのはシスターっぽくないからだ。もちろん、夏場なので薄手のデザインである。

 腰辺りから足先まで、下半身まるごと包まれる感覚は独特だったが、意外としっくりくる。身体に余計な出っ張りがないお陰でぴったりと身に着けられるからだろうか。


 続いては黒手袋。

 雰囲気出しのためでしかないので、指の自由度を考えこちらも薄手のもの。段々と身体のパーツが黒くなっていくのが奇妙な感覚。


 そして、ワンピース本体。


「そういえば、こういうのって被るのが正解なんでしょうか? 背中がファスナーで開いて、足を通せるのもありますよね?」

「ご自分のやりやすい方でよろしいのではないでしょうか。足を通そうとすると衣装が床についてしまうのが嫌、という方もいるでしょうし、頭から被ろうとすると衣装がくしゃくしゃになりやすい、というのにも一理あるかと」

「なるほど」


 今回は無難に足を通す方を選んだ。

 背中のファスナーはノワールが上げてくれる。自分でも手は届くが、男だった頃の俺だと怪しかったかもしれない。

 そう考えると女子の服というのはデザインのために色んな工夫が行われ、更に着る側の努力をも強いているらしい。


 ワンピースが着用できたら髪を整え、クロスを服の表に出す。

 黒ずくめの清楚な衣装を纏った、金髪の少女が鏡の向こうから俺を見つめてきた。


「よくお似合いです、アリスさま」

「ありがとうございます」

「……できれば、わたしとしてはヘッドドレスとエプロンで完璧なメイドさんをコーディネートしたいのですが」

「趣旨が変わっちゃうので勘弁してください」


 苦笑して答えながら、俺は「アリシアの本当の衣装もそのうちどうにかするか」とぼんやりと思った。

 もちろん、そんなものが必要にならないうちに元に戻れるのが一番なのだが。

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