第21話 襲撃の後

「いや、私の方こそ、すまない。まさかこんなことが起こるとは……」


 聖女の部屋は警備が厳重とはとても言えない。

 しかし道理である。聖女ユリアを襲って、被る害以上に得をする者など存在しないのだ。ステア帝国民ならば――というよりも、この土地に住む者ならば誰しも理解している。

 ならば帝国外の存在、ということになるのだろうが、存在が遠すぎてアネリナの知識では追いつかなかった。


「何者であるかは、本人に聞くのが早いでしょうね」

「ああ、そうしよう」


 アネリナにうなずいたユディアスに応じ、神官兵たちが動き出す。


「……ククっ。星よ、呪われよ」


 だがその手が自身に及ぶ前に、喉の奥から愉快そうな笑い声を上げ、襲撃者は口の中に含んだ何かを飲み下した。

 僅かに呻いたと思えば、すぐにその全身から力が抜ける。


「じ、自死……?」


 目の前で起こった出来事は、アネリナにとってあまりに現実感を欠いていた。

 それはユディアスや神官兵にとっても同様だったらしく、皆、動き出したときの姿勢のまま固まって、呆然としている。

 ステア王国が帝国となるまでに版図を広げ、戦争をしていたのはもうずっと昔の話。


 政変後の侵略戦争のときは圧倒的な国力差ゆえに、戦いと呼べるようなものは存在していなかった。

 まして帝国中枢にある星神殿。荒事とはいっそ、無縁とさえ言えるだろう。


「心臓は止まってる。が、無理をやれば仮死状態に持ち込んで、後から復活するのは不可能じゃねえ。俺はここで、きっちり心臓潰しとくのを勧めるぜ」


 ただ一人、さして動揺もなく『次』にするべきことを提案してきたのは、アッシュだけだった。


「情報取るのに様子見してーなら保全して監視しとくの止めねえけど、お前らの手には負えねえ気がする」


 全員アネリナと同じく、襲撃者が自死したことに驚いて行動を止めてしまった。つまり相手の行動が思考の外だということ。

 それでは正しく対応の手を打てない。

 おそらく次も出し抜かれる。その失態を贖うのは、今度こそアネリナの死かもしれない。


「……いや。貴方の言う通りにしておこう。それに、死者を辱めるのは本意ではない。たとえ何者であろうとも最後の尊厳は守られ、魂は丁重に輪廻の輪へ送るべきだ」

「じゃ、死者を冒涜する役目は俺がやってやるよ。運ぶのに手ェ貸してくれ。……そうだな、奥の二人、あんたらがいい」

「手伝ってやってくれ」

「はッ」


 指名された二人にユディアスが指示をすると、戸惑っていた神官兵二人は即座にうなずく。


「聖女様を頼む」

「勿論だ」


 駆けつけてきた神官兵たちの中に、アッシュが知る者はいない。

 だからこそ、自分がこの場を離れるのならば、次点で信用できるユディアスを残す以外の選択肢などなかった。

 ついている嘘を鑑みても、一番自然だろう。

 アッシュが襲撃者を運んで部屋を去るのを見送って――かくん、とアネリナはその場で膝をつく。


「ユリア!」

「ああ、すみません。大したことではないのです。ただ、力が抜けてしまって」


 慌てて駆け寄り、側に膝をついて顔を覗き込んできたユディアスに、アネリナは緩く首を揺りつつそう答える。

 言葉や声、態度は気丈だが、床に着けてしまっている手は細かく震えていて、怯えを隠せてはいなかった。


「当然だ」


 アネリナの怯え、心労を肯定して、ユディアスは後ろの神官兵たちを振り返る。


「すまないが、このまま控えの間で警備を続行してくれ。相手が一人である保証がない」

「はッ!」


 唐突な仕事が増えてしまっただろうが、神官兵たちの返事に躊躇はない。敬礼と共に承諾する。


「ユリア。私は今日、ここに留まる」

「……はい」


 諸々の都合を考え、ユディアスの言は合理的だ。やや申し訳なく思いつつ、アネリナはうなずく。

 だが同時に、奇妙にも感じる。


(いえ、ちょっと待ちましょう。襲われたのは別に、わたくしのせいではないではありませんか。……あら? けれど今まで聖女ユリアが襲われることはなかったようですし……)


 襲撃者はアネリナを見て、『まだ生き残っていたか』と言った。

 つまり彼は――もしくは彼らは、聖女ユリアはすでにこの世にいないと思っていた。死人を襲撃する者はいない。


(では襲われたのは、わたくしが昼間に派手なことをしたから……?)


 だとすれば、己で撒いた種なのか。

 罪悪感が過り、しかしアネリナは理性で否定する。


(いいえ。襲ってきたのは相手での都合で、わたくしは被害者です。後ろめたく思う必要などない)


 聖女ユリアの存在が邪魔だというだけだろう連中だ。悪いのは全面的に加害者だけである。

 よって、今ユディアスや神官兵たちに苦労を与えているのは、アネリナではない。襲撃者だ。


(ですがそれはそれとして、彼らがわたくしのためにここにいてくれているのは間違いない)


 だからアネリナが彼らに持つのは罪悪感ではなく、感謝であるべきだ。

 神官兵たちは控えの間に移り、アネリナはユディアスの手を借りてソファに腰を降ろす。


「ユディアスど……」


 殿、と付けようとして、寸前で思い留まる。

 どこの誰に見られていても良い様に――というリチェルの言葉が、急に現実味を帯びたように感じたのだ。


「ユディアス。このような夜更けに、わたくしを助けるために骨を折ってくれた皆に、礼がしたいと思います。どのようなものが適切でしょうか」

「聖女や星神殿を護るのは、彼らの仕事の内だが」

「だから何だと? わたくしが助けられたのは変わりなく、彼らがわたくしのために動いてくれたのは事実です」


 彼らは仕事という義務を果たした。そしてアネリナはそれによって助けられた。ならば、そこに感謝するのは自然なことだろう。


「……君は」

「何です?」

「素直な人だな」

「嘘をつき馴れている、とは言えませんね」


 アネリナがアッシュに嘘をつく必要も理由もなかったので。

 そもそも、対人経験すら乏しい有様だ。


「そういう所も含めて、相応しかったのだろうな」

「ふむ」

(ユディアス殿が演じていた聖女ユリアも、ほとんど人と接触していませんからね。わたくしと境遇が似ているから、ありのままで問題ない、と?)


 星がそこまで加味しているかは分からないが、都合がよいのならば人間としては良しとしておいていいだろう。

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