第16話 一時であることを願って
「まあ、一月あればどうにか着慣れるでしょう。あとは……」
そっと手を伸ばし、鏡に映った己の輪郭をなぞる。
「わたくしに、聖女としての説得力はあるでしょうか……?」
(わたくしならば、どのような聖女を望むでしょう)
――持って生まれただけの顔形は、さほど重要視しない。
(そうですね。心根が、美しい人であってほしい。わたくしのように捻くれているのではなく、心から人の幸福を願い、一緒に喜べるような)
少なくとも、幸せな人に生卵をぶつけたくなるような聖女は嫌だ。
(気を付けることとしましょう)
残念ながらアネリナは本物の聖女ではないし、清らかな心でいられる境遇でもなかった。どう頑張っても、できるのは演じることだけだ。
「さて。アッシュを待たせ過ぎてもいけませんね」
リチェルが来る前に、第三者の目からおかしなところがないかを見てもらいたい気持ちもある。
自己評価を切り上げ、アネリナは私室に続く扉を開いた。
「お待たせしました」
「おう。ちゃんと着られたな」
「分かりやすい作りでしたよ」
言いながら、くるりと回って見せる。
「どうです。おかしくはありませんか?」
「ああ、大丈夫だ。姫さんはやっぱ、白似合うな」
「やはり、とは?」
「世俗を離れた浮世離れ感が、引きこもり聖女っぽくていいんじゃないか」
「……」
反応に迷う物言いだった。
「らしいというのであれば、良しとしましょう」
実際アッシュの言に事実としての間違いはないので、うなずくに留める。
そうして二人でソファに座って待つことしばし。昨日と同じ、時計が七時を告げると同時に扉がノックされ、人が入ってくる気配がした。
アッシュが立ち上がり、控えの間へ続く扉を開ける。そこにはノックのために片手を上げかけたリチェルがいた。
「よう、おはようさん」
「おはようございます。しかし相手の名乗りを受けるのも、礼儀のうちですよ」
「次から気ィ付けるわ」
「お願いします」
今日のアネリナはテーブルに着いているので、運ばれてきた食事はその上に並べられていく。
消化によさそうなスープ類や、あっさりとしたサラダ類が中心だが、もう粥ではない。
セッティングを終えたリチェルは、アネリナににこりと微笑みかけた。
「よくお似合いです」
「ありがとうございます」
「ユリア様には品がありますから、身に馴染むのもすぐでしょう」
(ユリア……あ、わたくしでした)
昨日言われたばかりだというのに、うっかりしていた。
日常的に『ユリア』を自分の名前にして過ごす必要を、しみじみと感じる。
「さて、アッシュ。貴方にはそろそろ、この部屋を出ていただかなくてはなりません」
「ああ」
聖女が一人しかいないはずの部屋だ。食事一つ取るのにも、アッシュは周囲を伺って部屋を出て、戻ってくるときも同様にしなくてはならなかった。
いつまでも続けられることではない。いずれ必ず、誰かに気付かれてしまう。
アネリナよりも余程、アッシュの方が身に染みている。だから彼はリチェルの言葉に迷わずうなずいた。
「もう、ですか?」
アネリナの方が、心細くてためらいを感じてしまったほどである。
「状況だけで言えば、早い方がいいからな。大丈夫だ。姫さんからは目ェ離さねーから。助けてほしかったら、迷わず呼べよ。後のことなんてなァ、今を生き延びねえと存在しねーんだから」
「はい。そうさせてもらいます」
星神殿の立場を慮って致命傷を負えるほどの義理は、まだ存在していない。
「そうならないよう、我々も人事を尽くします。――では、また後程」
「はい」
リチェルが去り、アネリナも黙々と食事を進める。
聖女しかいない部屋に二人分の食事を持ち込むのは不自然なので仕方ないのだが、申し訳なさは募る。
「アッシュも、何か食べますか? 今日は分けて食べられそうですし」
スプーン一本と粥一皿では分けにくいことこの上ないが、今日は皿ごと渡せる。
そう提案してみたアネリナに、アッシュは苦笑する。
「大丈夫だって。俺は外に出ればいくらでも食えるから、それより姫さんの方がしっかり食べとけ」
部屋を出れば自由なアッシュと違って、アネリナが口にできるのは運ばれてきたものだけだ。
まして病弱であり、食も細かった(という設定の)ユリアの食事は、決して量が多いとは言えない。端的に言えば、健康な人間ならば物足りない。
「すみません」
意固地になって押しつけるのも違う気がしたので、アッシュの厚意にそのまま甘えることにする。
そうしてスープを啜りつつ、ふと思う。
「塔に置きっ放しの食材、どうしましょうか」
「あー、後で回収しに行く。腐りでもしたらえらいことになるし。ま、こっちで畑の肥料にでもしてもらうさ」
「そうですね」
アネリナたちに与えられてきた食材は、数も種類も少なければ、出来も悪い。さらに担当者が雑なせいで、一週間分を週の初めに運んできて終わりだ。
氷室などという上等なものもないので、ただでさえ新鮮という言葉から程遠い食材は、週の終わり頃には最早痛みかけに進行する。例外なく。
もちろん、一番頭を悩ませるのは夏である。
食べ物を粗末にするつもりはないが、腹痛覚悟で口にしなくてはならない状況というわけではないので、遠慮したい。
「ごちそうさまでした」
「おう。じゃ、またな。姫さん」
「もう行くのですか」
「ああ、こうしてこそこそするより、堂々と姫さんの側にいられた方がやりやすいしな」
「できるのですか?」
常に近くに――というのは不可能だろうと諦めていたので、素直に驚く。
「……あー、真剣に考えてみる」
アネリナの瞳に輝いた期待の光が予想以上だったか、アッシュはやや目線を逸らしながら言う。
どうやら今のところ、当てはないようだ。
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