第12話 食の新境地

「そこで、大変申し訳ないのですが、もう少しマシな体勢になれるよう手伝ってもらえますか?」

「おう」


 快諾してくれたアッシュの手を借りて、だるくて上手く動かない体をどうにか起こす。

 その辺にあったクッションや毛布を使い、即席の背もたれが完成。そこに体重を預けることで安定を得た。


「このままだったら、どうしましょう」


 アネリナが今感じているのは疲労感だけだが、体が動かせない程というのは初めてだ。不安がそのまま口から零れ出る。


「飯をちゃんと食って、ぐっすり眠ればよくなってくるさ。ならなかったら、そん時また考えようぜ」

「……そうですね。世話を掛けます」

「気にすんな。動けなくなったからって見捨てるぐらいなら、一生を護るとか言わねー」

「貴方のその覚悟は、どこから来るのですか?」


 とてもありがたい。だが同時に純粋に疑問で、アネリナはそう訊ねた。

 アネリナが不憫だから手を貸してくれているだけならば、それはアッシュの義侠心がそうさせるのだろうと納得できる。

 しかし彼はアネリナを女性として欲している旨を口にした。ならばその献身には、おそらく『アネリナだから』という注釈が付いてくる。どの程度かは分からないが。


「わたくし、客観的に見てあまり魅力的ではないと思うのです」


 アネリナの顔立ちは王族らしく整っているが、残念ながら手入れが行き届いているとは言えない。

 知恵を絞り、できる限りのことはしている。だが同じぐらい顔立ちの整った女性がいれば、確実に見劣りするだろう。

 性格も、決して良いとは言えない。


「星占師のクソ野郎どもが凄く痛くて苦しい思いをすればいいのにと願ってやまない日はないですし、わたくしがこんなに辛い目に遭っているのに笑っている人間もいるのかと思うと、生卵をぶつけたくなります」


 他人の不幸を願うのも、幸福を素直に祝福できないのも、美しい精神性ではない。


「あー、まあ、姫さんの状況ならちょっとぐらい薄暗い気持ちになっても仕方ねえんじゃねえか。考えてるだけで、実行せず本人に伝わりもしなければないも同然だし。実際やったら問題だけどな」

「やりませんけれど。特に後者は」


 幸福を感じて笑えるのは、悪いことではないのだから。むしろ善いことだと言えよう。世界に生きるものすべてがそう在れるのが理想である。


「そうだ、姫さんはやらないだろ? 理不尽に傷付いて抱いた怒りを向ける矛先を間違えねえし、自分より弱い他人で鬱憤晴らしをしようとも考えねえ。そういう、腐んねーところが好きなんだよ」

「そ、そう、ですか」


 アネリナが腐らずにいられるのは、怒りを共有してくれるアッシュ、そして自分を心配してくれているニンスターの人々のおかげだ。

 彼らが心を砕くのに値する人間でいようと思うから、踏み止まれる。


「貴方にそう言われては、ますます腐るわけにはいきませんね」


 嬉しい。しかし好きだと言われれば戸惑いが強い。

 アネリナにとって、アッシュは庇護者だった。幼い自分を護ってくれて、頼ることを許してくれた大人である。その関係性を男女として捉えたことは一度もない。


(気付けば、わたくしも十七です。女として扱われるのも当然の年齢、ではあるのですよね)


 では今、女性として、男性であるアッシュをどう思っているかと自問すれば。


(……当然ではあっても、よく分かりませんね……)


 狭い世界に閉じ込められて、外部との接触が殆どないアネリナの心は、年齢よりもずっと幼い。

 だからアネリナの心が処理できたのは、掛けてもらった期待に応えたいという、素直で単純な働きだけだった。

 それでも何となく落ち着かない気持ちは抱いていて、アネリナは視線をそっとあらぬ方向に逃がす。

 そうしたら、改めて部屋の広さを痛感してしまった。


 星告の塔にいたときは、面積の問題で近くにいた。他の選択肢などなかった。だから意識したこともない。

 けれど今は、広い部屋の中であえて近くにいる。

 それが妙に気恥ずかしい。

 アネリナの心境を知ってか知らずか、アッシュの視線は外れない。

 ぎこちなさを感じる沈黙が、どれだけ続いたか。不意に扉が叩かれ、入ってくる人の気配がした。


「!」


 一瞬びくりとしたが、すぐにユディアスの言っていた配膳の役目を担っている人物だと思い至り、肩を下ろす。

 こちらにアネリナがいるのを意識してだろう、寝室の扉がノックされる。

 部屋に入って来たときのためらいのなさとは違って、今度は内側からの返事を待つ間が空けられた。


「朝食です。入っても大丈夫ですか?」


 発された声は女性のもの。そうと分かって、アネリナは自分がほっとしたのを感じた。


「大丈夫です、入ってください。――アッシュ」

「おー」


 星占師に対しては一度も果たしたことのない、従者としての役目のためにアッシュは椅子から立ち上がり、扉を開く。

 扉の先で待っていたのは、二十代半ばの女性。ダークブルーの髪をバレッタで纏めた、精霊族だった。人族のものよりも長く伸びた耳が特徴で、自然由来の魔法に長ける。


「初めまして。リチェル・ノゥスと申します。以後、貴女の教育係となる者です。よろしくお願いします」

「ユディアス殿から聞いているかもしれませんが。わたくしはアネリナ・ニンスター。こちらはアッシュ。こちらこそ、よろしくお願い致します」

「承知いたしました。しかし申し訳ありませんが、これより先は場所に関わりなくユリア様と呼ばせいていただきます」

「はい」


 いつどこで、誰に見られても聞かれても困らないようにしておくのに越したことはない。


「今日は胃の調子が優れないということにして、粥にしてもらいました。少しは食べられそうですか?」

「お腹は、大丈夫だと思います」


 ワゴンに乗って運ばれてきた食事は、まだ蓋をされている状態だ。だというのに、すでに食欲をそそる香りが漂ってくる。

 絶食まではいかなくても、アネリナが食事の量を制限されることはわりと多い。


 そのため空腹にはそこそこの慣れがあるのだが、先程からくるくると鳴って落ち着きがない。

 食べ物の匂いに刺激されて、早く与えてくれと訴えてくる。


「幸いです。生き物は、食べないと元気になれませんからね」


 ベッドの側にワゴンを寄せ、リチェルの手が覆っていた蓋を取る。

 途端、ふわりと香草の薫りが部屋に強く広がった。湯気さえ立ち昇る粥には、脂身の少ない鶏肉が卵で閉じられている。


「さ、召し上がれ」

「い、いただきます」


 匙を差し込む――と、それだけでほろりと鶏肉が崩れた。絶妙の加減で良く煮込まれている。

 口に運べば、じんわりと広がる地味。


「とても、美味しいです……! 世の中には、こんなに贅沢な粥があったのですね……!」


 これまでのアネリナにとって、粥とは固くなった米や麦をふやけさせるため、もしくは水分で膨らませて量をかさ増しさせるための手段であった。


「粥が料理として成立するものだったなんて……!」

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