第5話 機を得たならば

(星占師の訪れを知る方法……。どのようなものなのでしょうか)


 アネリナの中にはそのような手段が存在しないので、アッシュが頼みとなる。


(……何という、無力)


 自分にできることのあまりの少なさに、アネリナは羞恥と腹立たしさを覚える。


(なぜ、わたくしはもっと学ぼうとしなかったのか)


 せっかく、アッシュという己の知らないことを沢山知っている教師がいたのに、積極的に教えを請うことをしてこなかった。そんな自分が、今更凄く腹立たしい。

 なぜ学ばなかったのか。

 簡単だ。塔の牢の中では必要がなかったからに他ならない。

 アネリナに許されたことなど極僅かで、それに抗う力を彼女は持っていなかった。だからアッシュが必要だと考えて与えてくれたものだけを、ただ受動的に学んで来た。


(……諦めていたから)


 大嫌いな相手を楽しませたくなくて、言葉や所作、表情は必死になって取り繕った。だが、それだけだ。


(これでは駄目だ)


 諦めて何もしてこなかったから、いざ機会が来たとき、アネリナ自身には打開する力が備わっていない。それを恥じ、悔しく思った。

 だから、決める。


(今日から、死に物狂いで学びます)


 悔いたところで過去は変わらない。ならば今からできることをするべきだ。

 どれだけ遅かろうとも、何かを始めるならば今が一番早い。


「そちらの準備が整ったら、魔法陣を発動させてくれ。発動を感知したらこの部屋に来るので、私が訪れるまで動かずに待っているように」

「動き回られて困る事でもあるのか?」

「不審者として捕らえられたくはないだろう、という話だ」

(ということは、ここは星神殿の奥、関係者しか立ち入れない区画なのですね)


 仮にも聖女を名乗ろうという人物が、一度でも不審者扱いをされて騒ぎになるのは望ましくない。ユディアスの答えはもっともだった。


「聖女の事情を知る者には、近いうちに貴女たちのことを紹介する。だが、基本的には神殿の中に在っても、以前からここで暮らしていた『聖女ユリア』として行動してもらう」

「努力します」


 聖女はずっと前から不在であった――という真実が広まっていないのは、それだけ知る者が少なく、知っている者の口が徹底して堅かったためだ。


「じゃ、戻るとするか。送ってくれ」

「分かった。……ああ、それと。転移魔法は難度の高い高位魔法だ。発動中は、決して陣の外に出ないよう留意してくれ。陣の外にある部位を置き去りたくなければ」


 足元の魔法陣が輝き始めた頃合いでそんなことを言われ、アネリナはびくっ、と体を硬くする。

 絶対大丈夫であるはずだが、思わず自分とアッシュの体がきちんと光の内側に納まっているか確認してしまったぐらいだ。


「わ、分かりました」

(だ、大丈夫ですね)


 ユディアスからすれば親切な忠告なのだろうが、直前に言われれば緊張も覚えようというもの。

 すぐ側のアッシュに背中を軽く叩かれ、意識して肩を下ろす。同時に、魔法陣から光が立ち昇り――


「ん……っ」


 立ちくらみを起こしたときのように、一瞬意識がふらつく。

 瞼の外から与えられる強い光の刺激がなくなったあと、アネリナはそっと目を開いた。

 視界に入ったのは、見慣れた牢獄の部屋。先程までのことは夢だったのではと錯覚してしまいそうなほど、いつも通りだ。

 しかし夢ではない証に、アネリナの手には一枚の植物紙と布袋が握られている。


「時差、座標ともに狂いなしか。……大神官、ねえ」


 顎を撫でつつ、アッシュはどこか不愉快そうにひとりごちた。


「卓越した技量の持ち主、というだけのことではないのですか?」


 アッシュが何に引っ掛かりを覚えたのかが分からず、アネリナは疑問をそのまま口にした。


「技術っつーより、これは星の加護だな。転移魔法はまだ不安定な術式しかでき上がってねーんだ。それに描かれている魔法陣も、俺が知っているものと大差なかった。一部を除いてな」

「星の助力を得た部分、ということですね」

「そういうことだ。……皇女ユリアの血縁、ねえ」


 幅の広いぼかした言い方だ。だからこそ、真実が垣間見える。


「ま、向こうの事情はどうでもいい。俺たちにとって重要なのは、姫さんがここから解放されるってことだ。その後、ニンスターに手出しをされるのを防ぎながら、な」

「そうですね」


 自由と引き換えにニンスターが不利益を被るようでは意味がない。

 幼い頃ならばまだしも、今のアネリナならば、この塔から脱出することは不可能ではなかった。アッシュの助けがあれば確実だとさえ言える。

 ユディアスが言った通り、この星告の塔に満足な警備は敷かれていない。


 それは侵入した誰かにアネリナが害されるのを期待しているからであり、また彼女が逃げ出すのを待っているからでもある。

 星占師にしてみれば、現状はさぞ面白くないだろう。

 アネリナを穢すために送り込んだならず者たちの中にアッシュがいたせいで、以降、不法な暴力によって危害を加えることは失敗し続けている。


 更に、弱くて脆い子どもが壊れる様を見て楽しむつもりが、アネリナはことの他強かに成長してしまった。


(わたくしに課す『星告』とやらが一定の範囲内から出たことがないので、立場の強化に失敗しているとは見ていましたが。『本物』の星神殿を無下に扱えなくなっていたからでしたか)


 今日、ユディアスと話して腑に落ちた。


「ときに、アッシュ。人の来訪の察知とは、どのように行うのです?」


 塔の部屋にいるのなら、窓から外を見ていれば用は済む。だがこれから前提とするべきは、塔そのものにいない場合だ。


「俺は火や熱に親和性が高くてな。塔全体に――ってのはさすがにバレるだろうが、要所に結界引いて、そこを何かの熱が通ったときに分かるようにしておく」

「魔法ですか」

「そうだ」

「わたくしにも、魔法は使えるでしょうか」


 アネリナが一番に興味を示したのは、アッシュが答えた手段の成否ではなく、手段そのものだった。

 成否についてはもとより心配していない、とも言える。

 そのアネリナに、アッシュは意外そうに目を瞬く。


「どうした、姫さん。魔法にはあんまり興味を持たなかっただろう?」


 いつか役に立つ時が来るかもと、アッシュがアネリナに魔法を教えようとしたことはある。だがアネリナはそのとき、護身以上のものには手を出さなかった。

 なぜなら――力を得てしまったら、塔から逃げ出したい己の心に、いつか負けてしまいそうだったから。


「反省したのです。……いえ、己を知った、と言った方がよいでしょうか」


 寒さや飢え、渇きに負けて、自分を支えてくれた国を裏切る手段を持ちたくなかった。アネリナ自身が、己の弱さに負ける想像を否定できなかったがゆえに。


「わたくしは今、猛烈に自分が腹立たしい!」


 感情のままに声を張ったのなど、いつ以来か。

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