第3話

 毎朝、起床時間になるとコーラルの部屋にルチルが現れ、衣装を着せ髪を整える。


「ルチルさん、殿下は心臓に悪い方です…。」


「どうかなさいましたか? それから使用人には”さん”は付けないで下さいましね。」


「脅迫紛いのことを言ってきたり、私の指の爪の形を確認したり、睨むような素振りを見せたり…緊張してしまいます。」


身内の女性がいないため、コーラルはルチルを姉のように慕っていた。


「不謹慎な物言いはここだけに留めて下さいませ。…殿下はお命を狙われている立場ですから怖い面もお持ちでしょうが、コーラル様を睨んだり脅したりすることはありませんよ。コーラル様には大分気を許していらっしゃいますから…。」


「そうなの?」


髪は編み上げ、臙脂色のリボンで綺麗にまとめる。


「友と呼べる方がここにはいらっしゃいませんでしたから…。乳兄弟のジェイド様も成人してからは家臣としての態度を崩しませんし、お寂しかったのでしょう。コーラル様がいらっしゃってからは明るくおなりですよ。王とは孤独なものですが…まだ17歳ですから。」


「え? 殿下は17歳だったのですか? ずいぶん大人びているので24歳くらいかと…。」


コーラルが目を丸くして答えると、ルチルは軽く噴き出した。


「コーラル様のそういうところが殿下が寛げるのでしょうね。さ、お支度できましたよ。」


菓子作りをするため袖口や裾が広がらない、リボンと同じコタルディをすっきりと着こなした。


「今日は何をお作りになります?」


「サントノーレというものを。お手伝いして下さる皆さんや、ルチルさんの分も作るので食べて下さいね。」


ルチルは微笑んだ。


「それはとても楽しみです。…でもコーラル様、使用人に”さん”は付けないようにお願いしますね。」




 「本を読み上げさせているそうですが、報告書の類も読ませてはいませんよね?」


ジェイドが怖い顔をしてアウインに詰め寄る。


「報告はお前がしてるじゃないか。そもそも報告書は自分で読める。本は読めないから読んでもらっているのだ。」


何当たり前のことを、を嘆息するアウインにジェイドの表情の険も緩んだ。


「…申し訳ありません。大分お心を許されているようでしたので…。」




 月は傾き、話の中心であるコーラルは就寝している時間だ。


火が灯された燭台は2つだけだが、暗さが枷とならないアウインと、夜間任務なども遂行するジェイドは特に気にした様子もなかった。


「大体報告書は専門的すぎて政務に携わっておらぬ者にはよく分からんだろうさ…。それよりも面白いことが分かったぞ。」


どうやらジェイドはその”分かったこと”のために夜更けに呼び出されたらしい。




「コーラルは本が読めるのだ。」


ジェイドはこめかみがひきつるのを感じながらアウインを睨んだ。


「それは先ほども聞きましたね。…そもそも図書館にある料理書を見て菓子を作っているのですから文字は読めるでしょうとも。」


「隣国のアゲート語も、南方の公国で使うベリル語も読めるのだ。…意味の解らない単語は今のところ無さそうだったな。」


ジェイドは即座に事態を呑み込めた。


「上級魔道士が植えつけたのですか?」


「違うな。元々彼女が持つ能力だ。」


「…高等な教育を受けたということですか。それにしては貴族然とした振る舞いはしませんよね。」


「テーブルマナーは身についているし、女官に服を着せてもらう行為にも抵抗はないがな。」


「しかし上級貴族の息女が行方をくらませば、すぐ耳にはいるものですよ。」


アウインは少し考え


「やんごとなきお方の妾腹か、どこぞの姫の影武者か…元々政略の道具として扱われていたのかもしれないな。」


悲哀の色を浮かべる。


「…かしこまりました。調べさせましょう。出身が外国となると少々時間がかかりますが…。」


「かまわぬ。ああ、それと。」


話はこれまで、と退室がてらにジェイドに言葉を投げる。


「もし本当にやんごとなきお方の子となると、お前の対応は不敬罪になりかねんぞ。」


内心冷たいものを感じながらジェイドは声を絞り出す。


「…私の主はアウイン様のみでありますれば。」


「フ…そうだな。」


ジェイドは家柄は公爵だが、授爵しているわけではない。


もし何らかの理由でコーラルが授爵などしていたらジェイドより位が高くなるのだ。


「まぁ…ほぼ有り得ないだろうが。」


机の上の燭台の灯りを消し、もう1台はジェイドが手に持ち、執務室を後にした。


あの娘は何をもたらすのだろう と、通路の先の闇を見やった。




 翌日のコーラルは自分の足をじっと見つめていた。


白い肌に薄く色付いて残った一筋の跡。


「…痛むのか?」


「えっ? いえ! たまたま目に入って…そう言えば怪我のことも思い出せないなぁ、と。」


サロンで本を読む準備をしていた時のことである。


「…でもなぜ殿下は私が足を見ていると分かったのですか?」


「下を向いているようだったからね。落としたものを取るような素振りもなかったし…。」


本当に鋭い。


コーラルは痛みはしないが、なかなか消えない傷跡を気にしていたのだ。


「きっとひどく怖い思いをしただろうから、そこは思い出さないままで良いんじゃないかな?」


左足の大きな傷は、刀のような鋭利なもので切り裂いたと思われる裂傷であった。


 本来王家直轄領の森に野盗の類は入れないよう管理されている。


領地内の中ほどに突然現れたコーラルは転移魔法で飛ばされたはずだ。


つまり転移直前に何らかのトラブルがあったのだろう。




 突然コーラルは横にいるアウインに引き寄せられ、膝の上に乗せられてしまう。


「すまないな。私は毒や呪いは消せるが、傷を治すことは出来ないのだ。」


慈しむように左足の傷跡をさする。


コーラルは、アウインの大きな手の熱が、コーラルの顔に移っているかのように感じた。


「でっ…殿下! 女性の足に触れるのは失礼です!」


足を見せる行為自体はしたないとされている。


「ああ、すまない。……レディだったな、コーラルは。」


「そうですよっ。子供じゃないんですから!」


頬を膨らますコーラルの頭をあやすようにポンポンと叩く。




「成人の印形もちゃんとあるんですから!」


前にも言っていたが、それは胸の中央にあるという刺青のことらしい。


ルチルが看病中に確認しているので刺青があることは間違いないのだが、16歳になると刺青を彫る風習がある国をアウインは聞いたことがない。


「さ、機嫌を直して本を読んでおくれ。」


膝の上から下ろしてもらえないことをもらえないことを悟るとコーラルは諦めて本を開いた。


そして消え入りそうな声で


「傷が治せないことは問題になりません。ここで看病して下さってこうしてお世話していただけるだけで十分良くしてもらってます。ありがとうございます。」


兄達と自分の継承争いに巻き込まれたと知ったら罵られるだろうか、と苦しく思いながら本の内容に耳を傾けた。


(16歳で刺青を刺す国でリューコ語も読める…。コーラルは一体どこの国の何者なのだ?)

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