離宮の王子、間諜を拾う

招杜羅147

第1話

 粉末状にしたアーモンドに、アプリコットジャムを加えて棒状に伸ばして切り、低温で焼く―。


「うん、良い匂いです。」




 「ジェイドさん、出来ました。」


厨房の外で待っていた騎士装の男に声を掛ける。


「そうですか。ではトレイは私が持ちますので、殿下の元に参りましょう。」


言葉は丁寧であるが、にこりともせず告げられて、持っていたトレイも奪われる。


(警戒するのも仕方ないよね…。私ものすごく怪しいし。)




 ジェイドの後ろをついて緋毛氈が敷かれた通路をしばらく歩くと、大きな扉の前で立ち止まった。


「アウイン殿下。お茶をお持ちしました。」


すると中から涼やかな声で入るよう指示が出る。


「そろそろ茶運びは侍女に任せて本来の仕事に戻れよジェイド。お前は茶器でなく、剣を握るのが仕事だろう?」


長椅子にゆったりと座り、羊皮紙に指を這わせている方はカルサイト王国の第3王子であるアウイン殿下だ。


アウインに苦言を投げつけられたジェイド―乳兄弟の公爵家の方だ―は、菓子を作り、後ろを歩いてきた小娘を睨めつける。


「ですがこの娘を傍に置くなど…。」


「おや、ジェイドは私が信用出来ないのかな?」


口元は笑みをたたえているが、部屋の気温が2~3℃下がったような凄味がある。


「…殿下をお疑うなど有り得ません。」


対してジェイドは苦虫を噛み潰したような表情だ。


「では本職を全うするよう。」


ジェイドはしばし躊躇したが、ティーセットの乗ったトレイをテーブルに置くと、大人しくサロンを出て行った。




 「すまなかったね。アレが君に辛く当たって。」


「いえ、ジェイドさんは殿下をお守りする役目がありますから、当然だと思います。」


気遣わしげな声に、急に部屋の温度が上がった気がする。


「ではコーラル、こちらに来てお茶を淹れてくれるかな? 私には難しいからね。」


名を呼ばれた娘―コーラルは扉から離れ、テーブルに急いで歩み寄った。


「一つ、お手に乗せますね。」


先ほど作った菓子、マカロン・ダミアンをアウインの手に乗せる。


「へぇ…一口サイズなんだね…。うん、もっちりとして美味しい。」




 アウインは両目が見えない。


10歳の時に大きすぎる魔力の暴走で目を焼いた と言われている。


正妃の子ではあるが、正妃が産褥死しているのと身分が低いこともあり、アウインを邪魔と思う者に焼かれたとしても不思議ではない立場だ。


アウインは政敵を遠ざける為、側妃達は大魔術師アウインの報復を恐れる為、昔王宮で鹿狩りのシーズンに使用していた離宮に身を置いている。




 「お口に合いましたか?」


アウインは見えてないだろうが、作った菓子が美味いと言われれば素直に嬉しい。


コーラルは微笑みかけた。


整った顔立ちだけに、目の周りの傷が勿体ないなぁ、なんて思いながら。


「ここには慣れた?」


瞼を閉じているとはいえ、アウインの顔がこちらに向くと先ほどの不埒な考えが見透かされているようでドキリとする。


「はい…女官のルチルさんもよくしてくれて…。それであのー…私は一体どうなるのでしょう?」


「そうだねぇ…。記憶が戻らない君を放り出すのも気が引けるし、作るお菓子は美味しいし、このまま客人でいればいいじゃないか。帰りたいところとか、ある?」


「いえ…思い出せませんし…。」


その答えにアウインは微笑み、


「じゃあずっとお菓子を作ってくれないかな。コーラルのお菓子には不思議な力があるんだ…今まで感じたこともない魔力だけど、元気になる気がする。そうだ。魔術師になってみる?私が教えるよ。」


アウインが嬉々としてコーラルの頭や顔を触ってくる。


目が見えないから触って正確な形を確認しているらしいのだが、コーラルは離宮暮しには慣れてもアウインのスキンシップには慣れない。


しかし居候の為無下にすることも出来ず、固まって修行僧のように耐えるのみだ。




「ジ、ジェイドさんは反対するのでは…。」


「ジェイドは私に逆らえないよ。それに―。」


(兄上達の害意も削いでしまってコーラルが無害なのは分かっているはずだから。)


ニヤリと笑うアウインの表情には兄達に対する侮蔑を含んでいた。


そう、コーラルは第1王子から送り込まれた間諜だったのだ。

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