48 後編11:READY for my SHOWTIME-ラストスタンド-




 遅れて風が巻き上がる。

 とはいえ、虎丸が通った箇所は彼女によって一時的に真空状態と化しており、影響はわずかでそよ風が舞う程度だった。


 激烈な結果をもたらしたのは、むしろ彼女の主の方である。

 今のハークの突きが、呪いの針一つ消し去っただけで終わりの筈がなかった。当然のように進路上のほぼ全てを消滅させている。つまりは闇の集合体にも直径30センチの横穴を貫通させていた。だけでなく、ついでにクロの顔の上半分も消し飛ばしている。


 普通であれば当然に即死であろうが、その際に肉体からリリースされる筈の魂が既に入れ物の内に無い。

 しかも、ハークの傍に到達した次の時点では、もう彼自身によってしっかりと元通りに治癒されていて問題は無かった。


 ハークや虎丸ら以外、そんな事が起こっているとは一切解らない中、虎丸は自作のエアクッション内に保護したクロの肉体を優しく横たえる。

 その上に、未だ反応の無い娘の零体をヴォルレウスは重ねて置いた。すると吸い込まれるように両者は合成し、魂は元の肉体の内に収まる。


 微かながら、少女の眼が開いた。


「……パパ……?」


『……ああ』


「怖い……夢見たの……」


『そうか……、どんな夢だい?』


「パパが、……眼の前で死んじゃう夢」


『……そうか。……それな、夢じゃあねえんだよ……』


「…………え…………!?」


 眼を限界まで見開き、クロが上半身を勢いよく起き上がらせた。


「パ、パパ! その身体……!?」


 ここで彼女は、父親の姿が半透明であることに気づく。


『……はは、ごめんな。パパさ、死んじまったんだよ』


「そんな!? 何で!?」


『何で、……か。そいつはあんまり意味が無えなあ。死んだのはパパの選択だし、その原因もパパの友達がもうすぐ取り除いてくれる』


「パパの、友達?」


 ヴォルレウスが左に顔を向けた。つられてクロも視線を向けると、その先にはハークがいる。

 ハークは戦闘態勢である龍人形態のままだ。よって、蒼い鎧に全身を包んだ格好のようであるので子供には厳つく、怖がられるかとも思われたが、クロは特に慄いた表情を見せない。恐らくは父親の本来の姿で見慣れているものだと思われる。


『だがら、クロ、お前はお前のこれからのこと、先を考えてればいいんだが……、さっきも言ったようにパパは死んじまったからな……。もうお前と一緒にはいられないんだ』


「そんな! 嫌だよ!」


 ヴォルレウスは一度頷く。


『……そうだな。パパだって嫌だよ。だがな、よく聞いておくれ、クロ。お前はもう充分に育った。強くもなったし、外の世界でも自分一人の力で生きることができるようにもなっている。お前の情緒を……、成長を伸ばすためには外の世界も見せるべきだったんだが……』


「……?」


 クロは父親が何を言いたいのかが解らずに小首を傾げる。そんな愛娘にヴォルレウスは尚一層愛おしげな笑みを浮かべた。


『パパは……それをしなかった。けれど、今こそお前は外の世界に出るべきなんだ』


「……それは、モログみたいに?」


 ヴォルレウスは深く肯く。


『そうだよ』


「でも、……でも、急過ぎるよ!」


『ああ。そうだな。クロの言う通りだよ、急過ぎる。本当なら、何日も前から準備してから送り出してやりたかったが……、それをいつまでもしなかったのは、パパがクロとまだ離れたくなかったからなんだ』


「クロだってそうだよ! パパと離れたくないよ!」


『わかってる。けど、それじゃあいつまでもクロは成長できずに停滞しちまう。それをわかっていながら、俺はずっと放置していたんだ。だから今こそ、クロは外の世界に独り立ちするべきなんだよ』


「……でも、怖いし、不安だよ」


『そうだよな。当然だよ。けどな、さっきは独り立ちと言ったけれど、お前はずっと一人ってワケじゃあない。向こうを見てごらん』


 ヴォルレウスは、今度は先程と逆の方向を指差した。

 そこにはヴァージニア、ガナハ、アレクサンドリアのドラゴンたちがいた。

 少女は無音ながらも息をのんだ様子を見せる。ハークの時とは違ってドラゴンは見慣れていなかったからであろう。


 これに気づいたのか、ヴァージニアがすぐに人間形態へと姿を変えたのは、矢張り人間世界での経験が長いゆえであろうとハークを感心させた。

 彼女に続いてガナハ、アレクサンドリアと順に人化を行う。ガナハが軽く手を振ると、クロもいくらか表情を緩ませた。


『彼女たちには、後のことを頼んである。何か困ったことがあれば頼るんだ。特にあの真ん中の紅色のは、パパの母親だ。名はヴァージニア=バレンシア。こうなる前に引き合わせておくべきだったが……、とにかく彼女のことは特にしっかりと憶えておくんだぞ』


「う……、うん」


 クロと眼が合い、ヴァージニアが深く頷いた。

 その光景を見て安心したのか、ヴォルレウスの輪郭が一瞬、横に伸びるようにバラける。


「パ、パパ!?」


 クロの両眼が途端に潤んだ。今まで我慢していたのだろう。堰を切ったように流れ始める。


『……どうやら、そろそろ時間のようだ』


「そんな! 待ってよ! まだ一緒にいたいよ!」


 ヴォルレウスは愛娘の涙を拭ってやろうとするが上手くいかない。もはや触れることもできないからであった。

 代わりにその手をクロの頭の上へと移動させる。艶やかな黒髪をすいてやることすらできないが、せめて温もりが伝わればという行動であった。


『泣かないでくれ。……お前と一緒にいられて、パパは幸せだったよ。ありがとう』


「そんなの、こっちが言う方だよ、パパ……」


『そうか……』


 ヴォルレウスはクロの両肩へと手を回した。輪郭は増々希薄となり、全体的な透明度も増していた。


「パパ……」


 クロは父親の両手を掴もうとしたが、当然のようにうまくいかない。

 そんな彼女に向かって、ヴォルレウスは最後の笑みを浮かべた。


『大丈夫だ。俺の姿は消えても、ずっと見守っているよ、ずっと。ずっと一緒だ。お前は、一人じゃあな…………』


 理解できる言葉はここまでだった。

 そして、ヴォルレウスの魂は液体の中に散らばって溶けるかように、虚空へ消えていく。ハークの眼にすら完全に視えなくなるまで、その顔はクロに向けられた慈愛の眼差しのままであった。


「……パパ……」


 クロは手を伸ばそうとしかけ、途中で力を失い、ガクリと項垂れる。

 後ろに控えていた虎丸が素早く支え、彼女が倒れ込むのを防いだ。


〈気を失ったか。気を張っていたものが、さすがに尽きたのだろう〉


 精神を操られ、魂を浸食されかけたばかりだというのにすぐに意識を覚醒できるだけでも相当なものだった。この時点で通常の人間種とは明らかに一線を画している。

 それでも、精神は紛れもなく人間の幼い少女そのものだった。ヴァージニアが人化を解除しつつ、素早く近寄ってくる。


『……ハーク。私が』


「わかった。虎丸、頼む」


『了解ッス』


 虎丸がクロの小さな身体をドラゴン化したヴァージニアの広い背中の上に横たえると、周囲の鱗の位置が変化して少女を動かぬように包み込んだ。


『この子は、私が責任を持つわ。ハークは、アイツを……』


 ハークは肯く。


「そうだな。その方が良い」


 次いで、視線を暗黒のように黒く巨大な物体と、その前に鎮座する漆黒の龍へと移す。


 闇の集合体は、ハークが今しがた打ち貫いた穴こそ塞げてはいたものの、既に末端の方から分散の兆候が表れ始めていた。

 所詮は集合体なのだ。中心を司る巨大な意思が無くては、一つとして存在を維持し続けることは適わない。


 パースはそんな光景を絶望の表情で眺めていた。時折、『なんてことをしてくれた……』などという呻きに似た声が微かに届いてくる。


『終わりじゃな』


『そうだね』


 アレクサンドリアからの断定にガナハは短く返し、両者はパースへと間合いを詰める。彼女らにとって、もうパースが足掻く手段は無いように思われた。


 だが、鋭い眼つきでこちらを見るパースの視線には、未だ強烈な怒りと憎悪が籠っている。


『まだだ!』


 そしてハークは知っている。彼にはまだ、抵抗する手段が残っていることを。





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