赤鬼
公園の隅に停車した愛車にもたれて一服をしていた相棒が、こちらへピースの箱を投げて来た。放るのではなく、一直線に向かってくる剛速球を受け止め、中から一本引き抜く。
「缶ピーにしろとは言わねえが、せめて新品をくれよ」
「急場だったのよ。文句ある?」
封が切られている説明になってないと苦笑しながら、スピンをかけて投げられたライターをキャッチし、火を吐けた。察してくださいという楪の諫める声に肩を竦める。俺だってそこまで野暮じゃあない。ハナから理由など判り切った上で茶化しただけだ。
一口目の煙を空に流して、数拍の余韻に浸る。その間を待ってから、英が切り出した。
「修羅場は片付いた?」
「フザケロ」
一笑に付す。むしろこっちは巻き込まれた被害者なくらいだ。
「高清水とは、ハナと同程度の関係性だよ。俺が屋上でサボっていた時、ヤニ吸いに来たあいつと鉢合わせることが多かっただけだ」
「ほんとですかあ? 写真もあったみたいですけれど」
少しむくれたような顔をした楪が、一枚の紙を取り出した。学生時代の自分が本を読んでる姿と、花嫁衣裳の高清水とのモンタージュらしい。
「おい何だこれ、ムカサリ絵馬じゃねえか」
「それはいいんです! ……いえ良くないですけど、一旦そっちじゃないです!」
「そうよ。質問をはぐらかすなんてあっやしー」
わざとらしい満面の半笑いに、紲は大きく肩を落とした。
「あのなあ……こんなもん知るかよ。第一、行事なんかの写真からもバックレてたのは、テメエもよく知ってるだろ」
「ええまあ。おかげで誰かさんがいなくなってから、写真もなくてとてもとても困ったもの」
「そういえば、私にプロポーズしてくれた時も、写真を撮られて恥ずかしがってましたもんね!」
「うぜえ……」
顔を背けて煙で口直しをする。よっぽどパチ郎の方が話が通じていたように思う。
逃げてもぴょこぴょこと回り込んでくる頭を押しのけていると、車内から、スピーカーで拡声された音が届いた。
『もうすぐそっち着くですよー』
夜の空気の中ではっきりと響いてくる懐かしい声に、紲は運転席の窓から顔を突っ込む。
「おう、息災だったかめるるん」
『おうドグサレ。敵のカシラ討ち漏らしといてえらい態度ですね?』
「手に負えなくて俺に泣きついてきておいてデケエ態度だな?」
『うがああああああああっ!!」
後半の方は、スピーカーからよりも直に耳に入った音の方が大きかったように思う。
クラクションの連打をしながらやってきた車が停まるが早いか、運転席から飛び出してきた小さな猛獣が、たっぷりの助走から飛び蹴りを放ってきた。
それを受け流そうと手を構えかけて、紲は、そこに銀の魔術の気配を感じて飛び退いた。
「おまっ……バカヤロウ、黒魔術付きの靴で蹴るんじゃねえよ!? 今の俺は半分怪異なんだぞ!?」
「信頼ですよシ・ン・ラ・イ。この程度で死ぬような男なら願い下げですしね」
「……怒るのか再会を喜ぶのか、どっちかにしなさいよ」
騒動の内にやってきていたニコラが、小さく嘆息をした。
よく見れば、芽瑠の手にも呪いの施された装備が見受けられる。楪達があの紛い物と遭遇して生きていられるのは、彼女が目をかけてくれていたからだろう。
「色々と良くしてもらっていたようだな、ニコラ」
感謝の意を込めて、彼女の目を見て声をかけた時、ふと、紲は違和感を覚えた。
「お前……まさか死んだか?」
「……ええ、口惜しいことに、あの紛い物に一刀両断されてしまってね」
「マジかお前、負けたのか? 俺ならともかく、パチ郎に? 負けたの?」
「
今度はニコラが叫び声を上げる番だった。
頬に棕櫚帚の跡を刻み、頭にいくつかのたんこぶをこさえ、魔術の糸でルーフに括り付けられていた紲が解放されたのは、車が米沢警察署へと到着してからのことだった。
「紲さん、ごめんなさいは?」
「大変申し訳ございませんでした」
棒読みの謝罪を口にしたところで糸が解け、体が自由になる。そっちが載せておいて「靴跡付けたら殺すですよ」という脅しをかけてくる運転手様にも平身低頭で従い、体を半回転させてから足を垂らした。
だが、下りてしまえばこっちのものである。
「おいコラ何てことしやがるクソババア」
「あら、ババアだなんて人聞きの悪い。昔はニコラお姉ちゃんって呼んでくれたのに」
「会って三回しか呼んでねえよ。その後に実年齢を聞いて――」
「駄目ですよ紲さん、女性の年齢に言及しては」
後部座席から降りて来た楪に耳を引っ張られた。ただでさえ視力を失っているというのに、この夜の闇の中で的確な動きだった。思わず『百発百中の拳骨』を誇る里のババ様を重ねてしまう。行く末が恐ろしい。
「何だ坊主、見事に尻に敷かれてんじゃねえか」
「……あン?」
豪快な笑い声に振り返れば、吾妻と落合に挟まれて、まるで堅気に見えないような厳めしい熊男が立っている。少し老けたようだが、威圧感は衰えていないようだ。
「おお、銀次のおっさんじゃねえか。久しぶりだな」
「久方どころか、無沙汰にも程がある。結婚報告もせずに逝きおってからに」
折檻のような平手が肩に打ち付けられる。
「悪い、状況が状況だったもんで、誰にも言ってなかったんだよ」
「知っている。知った上でだ。甘んじて受けろや!」
直撃を避けるように体をずらしながら、紲は体育会系少年のようにあごをしゃくらせるような追従笑いで凌いだ。
「お知り合いだとは聞いていましたが、思っていたより仲が良さそうですね?」
「まあな。里が滅んで、ニコラに助けを求めて――それから、俺が独立するまでの一年ほど、おっさんの家で居候してたんだよ」
「俺の家は岩谷の集落の出でな。離れたのも先祖の代で、坊主たちのような直系ではないが、縁あって置賜の檀家総代を仰せつかっていたのだよ」
「はえー、そうだったんですね。うちの紲がお世話になっております」
「年賀状リストに名前あったろ。憶えてないか?」
「あー、ええと……あはは」
目を泳がせた楪に、一括で印刷しておればそんなものだろうと山王浦は笑った。
その隙にと場を脱した紲は、その足で吾妻の下へと向かい、姿勢を直す。
「吾妻警部」
「ふふ。いいんだよ、いつも通りで」
「そういうわけにもいかねえよとっつぁん。不肖、漆山紲。一時的にではありますが、戻って参りました」
「うん。君の力を貸してほしい」
「はっ!」
敬礼をする。十三課側としてのつもりだろうか、回り込んだ英が吾妻に並んで敬礼をしてきやがったために、即座に手を下げる。「なんでよお!」と迫られるが無視をして、落合と拳を突き合わせるように挨拶を交わした。
それから署内へと入った紲は、本事案の拠点は山王浦率いる第一課の部屋だと聞かされた。彼ならば遅かれ早かれとは思っていたが、警部に昇進していたことには驚いた。
並んで階段を上がる道すがら、隣に並ぶ楪が、不意に切り出す。
「実は、紲さんに会わせたい人がいるんですよ」
その微笑みが、これまで見てきたどの表情よりも柔らかい雰囲気を纏っていたことに、紲は面食らった。
「……そうか。楽しみだな」
「はい。楽しみにしていてください」
直視していられなくなって、視線を前方へと戻す。
――二年半前、庄内に蛇神が出現しました。
楪の言葉から鑑みれば、あれから随分と長い時間が経っていたらしい。自分と彼女が籍を入れていた期間を超えるほどだ。さぞ色んな思い出があったことだろう。
さぞ、多くの出会いがあったことだろう。
一課のデカ部屋に入ると、また意外な人物がいた。警察官の邪魔にならないよう壁際の方でそわそわしていた青年が、こちらの姿を見てほうっと胸を撫で下ろす。
紲は青年に見覚えがあった。かつて依頼を受けたことのある、相森という若人だ。作家志望という話を聞いていたから、それが珍しくて記憶に残っている。
「良かった。皆さん、ご無事で」
「ただいま戻りました。残念ながら解決には至ってないけれど、目的は果たしたよ」
お披露目をするように手のひらを翳した楪に頷き、相森がこちらへ視線を向けた。
「お久しぶりです、漆山さん」
「ああ、憶えている。相森先生、その後はどうだ?」
「無事、プロの末席に着くことができました」
「紲さんを喚ぶための百物語を執筆してくれたのも、宗貞くんなんですよ」
「そうだったのか」
努めて冷静に、声を出す。不自然にはなっていないだろうか。
出会ってからの都合上、楪がタメ口で誰かと話しているところはほとんど見たことがない。加えて相森のことを名前で呼んでいた。
胸中で首を振る。覚悟はしていたことだ。ましてあの日、新しい相手を見つけろとけしかけたのは、ほかの誰でもない己である。
一連の件が片付けば常世に還る身で、何を感傷に浸ることがあるだろうか。しかし、まるで黄泉戸喫でもしたかのように、一度心を支配した感情は去ってくれない。
「俺に会わせたかった人というのは、彼か?」
振り切るべく、思い切って切り出す。
だが楪は、あっさりと首を横に振って、悪戯っ子のように笑った。
「宗貞くん、セツナは?」
「取調室にいるよ。山王浦さんに空けてもらったんだ」
「わかった。それじゃあ紲さん、行きましょう!」
「お、おい!」
両手を引かれ、楪はいそいそと足を進めていく。一体何が待っているのかと不安になり、振り返れば、英たちまでが意味ありげな微笑みを称えて「いってらっしゃい」と手を振っている。
訳が分からないまま、ついに取調室の前までたどり着いた。
中では矢野目夫妻が二人の子をあやしていた。自信たっぷりの顔でお絵描きをするおしゃまそうな女の子と、一緒になってぐちゃぐちゃと落書きをしている、おもちゃの剣を背負った男の子。当時はまだ性別も判っていなかった頃だったが、大きさを見るに女の子の方がその時の子だろう。
そこで紲は安堵した。つまるところ、白蛇を討ち倒してそのまま往った自分に、あの時助けた命を見せようということなのだ。
だが、そうではなかった。
楪は部屋の中へ入ると、「セツナ」と呼びかけた。
それに、男の子の方がぱっと笑顔になって振り返る。同時にこちらへ気付いた矢野目夫妻は、一度紲に会釈をしてから、男の子を楪の方へと掲げた。
「ママ! おかえんさい!」
「ただいま、セツナ! ほら、誰だかわかるかなあ?」
「ま、ま……?」
くるりと反転させられた子供のくりっとした目に、混乱に呆けた紲の顔が映る。
ほんの数秒。不思議そうな顔でじいっとこちらを見つめていた男の子は、ふにゃらと頬を緩ませて、手を伸ばしてくる。
「おとーたん!」
「…………は?」
紲はそこで、時が止まったかのような錯覚に陥った。
よくできましたと男の子のほっぺにチュウをする楪が、小刻みに震えて見える。
「どういう、ことだ?」
やっと絞り出した言葉。しかしそれは、まるで的外れだと言わんばかりにくすくすと鳴らされた喉に一蹴される。
「この子は漆山セツナ。私と紲さんの子なんですよ。憶えているでしょう?」
「いや、しかし……」
「自分の命の線は限りなく細かったはずだ、ですか?」
「なっ……」
「知っているんですからね、私」
得意げに胸を反らしてから、彼女は、すぐに真剣な表情になって睫毛を伏せた。
「枝調さんのおかげなんです。腰掛庵のわらび餅を供えることを条件に、彼女が繋いでくれたんですよ」
「まさか、岩谷に行ったのか。指を探しに」
それに楪は、静かに頷く。
「他の誰とのものでもないことは、私が一番知っています。ですから、さあ紲さん」
そっと伸ばされた腕から、男の子を――我が子を受け取る。
どんな風に、どんな力加減で抱けばいいか、よくわからなかった。ただ必死で、壊れ物を扱うように、そっと、そっと受け止める。
「名前はセツナです。紲さんの字をもらって、『たくさん』という意味のある『那』の字を加えて、紲那」
「紲、那……」
おそるおそる名を呼ぶと、彼は元気よく「だい!」と返事を返してくれる。
紲は膝をついた。込み上げてくる嗚咽に歯を食いしばって、さめざめと涙を流した。きっと母親に似たのだろう我が子が心配そうに額を撫でてくれるものだから、ついに決壊して、声を上げて咽び泣いた。
「すまなかった! お前を、一人に……っ!」
縋るように、愛した女を見上げる。こんな神の悪戯があるだろうか。
「大変だっただろう。視力のハンデを背負った状態では、難儀だっただろう。すまない。本当に……隣にいてやれなくて、すまない……っ」
「次に謝ったら怒りますよ、紲さん」
膝を折り、視線の高さを合わせた聖母は、困ったように笑って言う。
「ハナさんや芽瑠さんが協力してくれるからというのは、確かにありました。けれど何よりも大切なことがあります。私がこの子を産むことを決めたのは、紲さん、貴方との子供だからなんですよ」
そう言って楪は、紲那ごと紲を包むように抱き締めた。
「紲さんと結んだ命なら、私、たとえ世界で一人ぼっちになろうと、絶対に繋ぎ止めますから」
「楪……」
名前を呼んだ声は、とてもまともな音になっていなかったように思う。
「産んでくれて、ありがとう」
腕を絡ませるように抱き返し、二人の腕で作ったゆりかごで紲那を支える。
「顔立ちは、楪に似てるか。さっきの笑い方なんか、そっくりだった」
「わからないですよ? 紲さんも素直になれば、こういう笑い方をするかもしれません」
「まるで俺が素直じゃないみたいな言い様だな。世界一正直者だろうが」
「自分に正直なだけなのは、素直とはいいません」
「ばーあろ!」
紲那が背中から抜いたスポンジの剣が、紲の頭を打ち抜いた。
「お前な、駄目じゃねえか、人に手を上げちゃあ。ったく、こういうところは俺似なんだな。俺に……似やがって……くそ、言葉が出てこねえ」
ぽこぽこと木魚のように打ってくる紲那へやり返すように、紲はただひたすら、その小さな頭をぐりんぐりんと揉みくちゃにしてやるのだった。
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