第10話 不帰の森にて新生活

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 不帰の森。それは、ブルーム王国の東に位置する深く暗い森の名だ。

 かつての竜種が有り余る魔力を捨てたために、特異かつ危険な生態系をもつその森は、一歩進むごとに形を変える。命あって帰ってきたものは例外を除いてひとりもおらず、そのため不帰の森、と呼ばれている。


 例外――それは、竜王だ。

 最強種である竜種の中でも、竜王に天から与えられる刻印は、かつてこの森を形成したのが竜王ということで、この森の中でも無事に過ごせるという力を持っている。

 森が竜王の味方をするのだという。眉唾物の話だが、事実、かつてこの森に入ったリーハは、カヤのために珍しい果実をもぎ取ってきても無事だった。


「という話を忘れているのではないかしら、あのおたんこなす」


 エリスティナは悪態をついて、足に絡みついてきた蔦をぶちぶちと引きちぎった。

 腐っても人間貴族だ。この程度の修羅場は飽きるほどくぐっている。

 食べものがなく、木の根をかじり草の汁を啜っていた自分よりずいぶんましである。少なくとも、食に関しては。

 幸い、この森はエリスティナを襲おうとするけれど、食べ物はなるほどリーハの言った通り豊富だった。


 頭上から降って来た粘液をひょいとよけて――その粘液は地面に落ちると岩を溶かしてじゅうと音を立てた――エリスティナは道なき道を進む。

 目指しているのは、何代か前の変わり者の竜王が余生を過ごすために建てた(それも自力で!)という森小屋だ。


 森の中央にあるらしいそこ目がけて、エリスティナは川に沿って歩き続けていた。


「よしよし、きっともうすぐ着くからね」


 首に下げた小さな革製の袋に向けて、エリスティナは笑った。

 川にそっても目的地につくとは限らない。けれど、そう進むしか道はないのだ。


「思ってたより襲ってこないし、不帰の森なんて言っても大したことないじゃない」


 エリスティナはそう言って、エリスティナを絡めとろうとした木の蔓を逆につかみ返し、その先端にくっついたみずみずしい橙色の実をもぎ取ってかぶりついた。

 甘い。

 オレンジにも似たあまずっぱさはあるが、エリスティナの知るそれより格段に甘みは上だ。

 知らぬ甘味に舌鼓をうちながら、エリスティナは先ほど大木から折り採った木の枝で迫りくる枝葉を払いのけながらずんずんと進み続けた。


 やがて、うっそうと茂った森の中、開けた泉が見えて、エリスティナははっと駆け出した。

 木の根を飛び越え、蔦を引きちぎり、やっとたどり着いたそこは、間違いなく、いつか本で読んだ、竜王の建てた小屋のそばにある泉だ。

 周囲を見渡して、あ、と声を上げる。

 小屋、というより、一軒家に近いだろうか。白い壁に赤い屋根をした、美しい小さな小屋。

 入り口になにかまじないのようなものが書かれてあったため不安だったが、それはエリスティナが触れるとまるで溶けるようにして消えてしまった。


「私を歓迎してる?なんてね。そんなわけないけど、ありがたいわ。老朽化防止の魔術かしら、人が来ると解ける、みたいな」


 独り言をつぶやいて、エリスティナは中に入る。

 そこには古くはあるがきちんとした家具があり、満足に使えるほどの調理道具があった。

 裏口から出るとそこには小さな畑があり、種らしきものが保管されている。

 それにはエリスティナがわかる程度の簡易な魔術で「劣化防止」の処理が施されていた。つまり、この畑は使える、ということだ。


「竜王とその番にしか使えないって聞いてたけど、そんなことないじゃない。よかった……」


 急に安心して涙ぐんだエリスティナは、胸に抱いたままの卵をそっと手に持ち、頬ずりをした。


「あなたがいるから無事にここまでこれたのかしらね。これなら十分にあなたを育ててあげられそうよ」


 劣等個体の、捨てられた卵。それでもかまわない。愛させてくれるなら十分だ。

 誰かを愛することが許されない家に生まれたエリスティナは、この卵にようやっとよりどころを見つけられた。

 両の手で包んだ卵から伝わる鼓動、ぬくもりが心地いい。

 エリスティナは大切に卵を胸のポケットにしまい。さてと、と顔を上げた。


「とにもかくにも、まずは掃除からね!頑張るわよ!」


 森の太陽が、一番上まで登っている。

 エリスティナは、ようやくまともに息ができた心地で、笑った。


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