第12話

 変死体が発見されてから、それまでも忙しそうにしていた編集長は、ほとんど編集部に顔を出さなくなってしまった。結局、変死体の身元が犬上さんが口にしていた「野久保」と関係があるのかどうかも、判然としなかった。

 回収した遺体を元に身元照会をしていたはずの警察からも、有力な情報は開示されなかった。社内で迂闊に情報を漏らして変な注目を集めてもいいことはない。編集長に自分から、犬上さんや変死体との接点を明かす必要もない。

 そんなことより、なぜか急に始まった風祭先輩からの猛アプローチを如何に躱すか、どうやって追及の矛先を逸らすかが、私にとっては重要だった。私に対する直接的な深掘りは減ったものの、宍戸さんや錠さんといった外堀から、何らかのヒントを得て私のプライベートをどうしても探りたいらしい。

 宍戸さんから入手した情報がすぐに空振りだと判明したことも、逆効果だったようだ。明確な付き纏い、ストーカーめいた動きは流石にないけど、オフィスでの細かな言動や立ち居振る舞いは、常に注視されている気がする。

 年の瀬と年末進行の慌ただしさもあり、帰宅後にリビングでため息をついていると、開けっぱなしの窓から、ゼロくんが帰ってきた。現場から直帰した割に、彼の顔もコートも目立った汚れは見られない。血生臭い臭いも、特にない。

 彼は私の顔を見るなり、「随分、お疲れだな」と言った。私が「まあね」と答えると、いつもならそのまま自室へ引き上げる彼は、シンクで両手を洗うと、電気ケトルでお湯を沸かし始めた。

「紅茶か、コーヒーか」

 彼は背中を向け、食器棚を探りながら言った。カップやソーサーを用意し始めた彼の側まで行き、私は棚の下を開ける。中には、栓を開けたままの安いウィスキーがしまってあった。私はそれを取り出し、背が低い厚手のグラスを食器棚の奥から引っ張り出す。

「お湯割り? いいね。じゃあ、オレも」

「ダ〜メ。二十歳未満でしょ」

「それは、人間の話だろ?」

 彼は笑顔を見せ、自分も食器棚から似たような形のグラスを取り出した。私は彼に言いくるめられつつ、大規模な改造手術を施されたとはいえ、彼も人間の範疇に収まるんじゃないかと、密かに葛藤した。

 まぁ、お湯割りのウィスキーを一、二杯飲んだところで、十八歳以上であれば大した影響もないか。不具合があっても、替えが効かない生体組織でもなさそうだし……。保護者としては完全に失格だと思いながら、一人で飲むよりはと目を瞑ってしまった。

 ゼロくんは私に食卓で座って待つようにいい、沸いたばかりのお湯をグラスに注いで器を十分温める。器を温めるために使ったお湯は流しに捨て、改めてウィスキーをグラスに注ぎ、新たなお湯をそっと注いだ。お湯割り二杯を手に、食卓へやって来る。

 私は彼からお湯割りを受け取り、暖かさを両手にしっかり感じながら、グッと一口飲んだ。熱い塊が、喉を通ってゆっくりお腹まで降りていく。私の向かいにどっかりと座ったゼロくんは、無愛想なまま自分のお湯割りに口をつけた。飲み慣れなければそれなりに強い味だろうに、何事もなかったかのように顔を上げる。

「で、どうした?」

 ゼロくんは、私の顔を至近距離で覗き込んだ。中身は見た目に似合わないキャラクターだと分かっているけど、頭で理解していてもこの近さで美形のイケボは、身体に悪い。私は必死に理性をかき集め、「別に。何でもない」と答えた。

「本当に?」

 彼の問いに、私は頷いた。

「ただ、仕事が忙しいだけ」

 私がそう言うと、彼は「ふーん」と私の目を見つめたまま言った。必死に取り繕ったところで、嘘発見器めいた能力を有する彼に、秘め事も精神的な動揺も隠し通すことは難しい。それも分かっているのに、私は何事もないと貫き通した。仕事で面倒なことが起きていたとしても、子どもには関係のない話だ。それに私は居候の身。そんな立場で、家主を巻き込むなんてとんでもない。

「困ってるなら、いつでも相談してくれ。今はアンタも、大事な家族だ」

 ゼロくんはあくまでも飄々と、「大事な家族」なるフレーズを言い切った。ナチュラルにイケメンムーブをかますとは。夜のお店で働けば、あっと言う間にナンバーワンの座を手に入れそうだ。

 顔と声だけでも上位に食い込めそうな彼は、自分のお湯割りを飲み干すと、サッサと席から立ち上がった。空のグラスを流しに持っていくと、私を一人リビングに残して自室へ引き上げようとする。

「寝る前に歯は磨きなさいよ」

 廊下へ姿を消す前に私が呼び止めると、彼はこちらを向いて「分かってる」と言った。「そっちこそ、飲み過ぎ注意ね」と言いながら、近くにあった私のカバンへほんの一瞬、右手をかざしたように見えた。

 彼が自室へ引っ込んでからカバンの中を確かめたけど、何かがなくなったり、逆に何かを入れられた形跡は見当たらなかった。あんな一瞬で何かができるとは思えないけど、手をかざした事すら、見間違いだったかもしれない。

 ほんの一杯飲んだだけなのに、もう飲み過ぎか。元々強い方ではなかったけど、外で飲むのを控えるようになってから、一気に弱くなった気がする。本当はもう一杯飲みたかったけど、飲むのはそこまでにした。

 空になったグラスを洗うと、カバンから仕事用の荷物を取り出し、入れ替わりに珠緒さんから預かった不在票と、お風呂用のセットを詰め込んだ。銭湯へ寄るついでに、郵便局へ寄って行こう。毎年、年末に実家から送られて来る荷物まで珠緒さんのところへ届くようになるとは、実際にこうなってみるまで思いも寄らなかった。

 夜勤明け、冷え込みが強まり始めた寒空の中、えいやと気合を入れて外に出る。先に郵便局へ寄って、場合によっては荷物だけ持ち帰ってもう一度銭湯へ向かうようにしよう。それにしても、この時期にチルドの不在票とは。何度も往復したくない今、嫌な予感がする。

 ケータイの不在通知に、送り主と思われる人物からの連絡も入っていた。時間からすると、折り返しの電話を掛けても大丈夫だろう。郵便局へ向かいながら、実家に電話を掛けてみた。呼び出し音が鳴る度にもしかしたら出ないかもと思っていると、「もしもし?」と久しぶりに耳にする母の声が聞こえた。

「あ、私」

「ああ、六花?」

 電話の相手が私だと分かると、母の声はトーンが少し下がった。

 私は挨拶も程々に、何を送ったか中身を尋ねた。

「えっ、カニよ。カニ。毎年恒例の」

 母の言葉に喜びながら、つい「あちゃ〜」と残念な思いを漏らしてしまった。親の思いやりと仕送りは非常にありがたい反面、カニの入った荷物を抱えてウロウロするのは流石に厳しい。

 私は電話口の向こうへ必死に取り繕って、感謝を伝える。こっちの事情をぼかしながら伝えると、母が悪いのではないと理解してもらえた。

「それで、今年も帰ってくるの?」

 私が電話を切り掛けたのに、母はチャンスとばかりに年末年始の話題に移った。私は直近のスケジュールを思い出しながら、「う〜ん、ちょっと難しいかな〜」と答えた。

「あら、そう? お節もお雑煮も、帰ってくると思って準備してるけど」

 母にそう言われると、言葉に甘えてしまいそうになる。

「ありがたいんだけど、仕事があるから」

 私がそう答えると、母は「残念ね」と言った。私は「また、近づいたら連絡するね」と言って、電話を切った。年末年始、私が帰省したところで何の問題もないだろうけど、ようやく軌道に乗り始めた新しい生活、新しい人間関係から距離を置き過ぎるのは良くない気がする。

 どうせ帰省するなら仕事がひと段落ついてから、ゼロくんとの生活に一区切りついてからにしたい。可能なら、ゼロくんや珠緒さんを連れて地元観光というのもいい。私は最近追加した連絡先を表示して、珠緒さんに電話を掛けた。荷物を受け取ったら、そのまま珠緒さん家のお風呂を借りよう。実家から送られてきたカニも、お裾分けしたい。

 大きな荷物を抱えたまま行ったり来たりしなくても済むし、と自分に都合がいい展開を思い描きながら、珠緒さんが電話に出るのを待った。

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